「手術or抗がん剤」医師はどうやって決めるのか
大腸がん手術を専門とする中山祐次郎さんはこれまで2000件以上の手術を執刀してきた(写真:中山さん提供)
会社選び、結婚、転職……人生に時に大きな決断の局面が訪れます。頼るものがないとき、どのように決めればいいのでしょうか。
治療の意思決定が致命的なミスになり得る「がん外科医」の中山祐次郎さんは、何よりも自分で決める大切さを強調します。新米外科医時代の失敗から得た教訓を本音で書き記した中山さんの新刊『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』より一部引用・再編集してお届けします。
試験でのカンニングの誘惑
悪の誘惑というものは、まったく困ったことに、生きていく上でたくさんある。まるで大きな落とし穴がたくさん掘られた草っ原を、歩いているようなものだ。しかもその落とし穴は、ちゃんと覆いで隠されて、上に草まで乗せられていて、パッと見ただけでは落とし穴かどうかわからないこともあるのだ。
試験中に他の人の解答用紙を見る。これはカンニングといって、誰に聞いても明らかな不正である。つまり、ハッキリした落とし穴である。
僕は、こともあろうにこの大きな落とし穴に自分から落ちかけたことがある。冷静になって考えれば、落ちて良いことなどあるはずもない。それでも、ズルをしてでも、合格したい気持ちが強かった僕は、危なく落とし穴に落ちるところであった。
君はこれまで何度か試験を受けただろう。そしてこれからたくさんの試験を受けることになる。試験というのは孤独なものだ。自分だけが頼りで、誰にも相談できず、ちょっとした思い違いをしていても「勘違いしていますよ」と言ってくれる人はいない。
まるで強風の吹き荒ぶ中、穴だらけの道なき道を一人で歩いていくようなものだ。試験とは、こういう精神力もまた試されている。
君は一番の君の理解者だし、一番の味方だ
だが、ひとたび社会に出るとこのようなシーンはほとんどなくなる。君の人生における大切な選択は、50分以内とか90分以内に決める必要はなく、少なくとも数日は猶予がある。
基本的には誰にだって相談することができるし、ネットで検索して似たような人の似た悩みを見つけられるだろう。そういう風に見える。
でも、さらに逆説なのだけれど、本当に大事な選択は、誰にも相談せずに一人で決めるしかない、と僕は思っている。
たとえばどんな会社に入るか。どんな仕事をするか。どんな人と結婚するか。そして、どんな人間になるか。一度決めたらもう取り返しがつかないような選択は、なるべく自分一人で考え、自分がどうしたいかを厳しく自問自答し、決める。
そうしたほうがいい理由は、2つある。1つは、本当に君のことを考えて君にぴったりの選択を真剣に考えてくれるのは君だけだ、ということだ。
僕は君の親だから、なるべく君のことを理解したいししてきたつもりだ。それでも、親と子の関係というだけで、根本的には別の人間なのだ。一緒に暮らしても、一緒に寝ても、どれほどの愛で包んでも、僕は君のことを、君以上に理解することはできない。そのことを寂しく思うけれど、こればかりは仕方がない。
君は、一番の君の理解者だし、一番の味方なのだ。
2つ目は、「自分で決めなければ、覚悟が決まらないから」である。選択とは、何かを選ぶことであり、何かを選ばないことを決意することである。もっと言うと、実はどちらを選んでも大した違いがないことが多いという決断は多い。
大切なことなので何度も繰り返すが、僕は「選択とは、何かを選ぶことではなく、選び取ったほうの選択肢で行くと覚悟を決め、あとで『ああ、自分が選んだほうが正解だった』と言えるように、圧倒的な努力によって現実世界を捻じ曲げること」だと思っている。
他人の助言で決めた選択は、少しでも不都合なことがあると「あの人の意見は間違っていたな」「信じた自分がバカだった」などとその人のせいにしてしまう。そこに圧倒的努力は生まれない。
いろんな人に意見を聞いてもいい。助言をしてもらってもいい。でも、集めた情報を元に最後に決めるのは、たった一人の自分のほうがいい。
「先生はどちらがいいと思いますか」
外科の医者をやっていると、がんの患者さんについて手術と抗がん剤とどちらも選択できるシーンが多々ある。どちらを選ぶかは、建前上は「患者さんと一緒に相談して決めましょう」ということになっている。
だが、診察室では現実にどちらかをすすめることになってしまう場合がほとんどだ。もちろん、過去の研究データや自分の経験、さらには同僚医師の意見も合わせて提示し、色をつけずにメリットとデメリットをずらりと並べて患者さんにどちらがいいかを考えてもらう。
それでも、「先生はどちらがいいと思いますか」と聞かれることが多い。それを答えると、まず間違いなく患者さんは同じ選択をする。だから、説明する前に手術にするか抗がん剤にするか、自分の中で決めておく必要があるのだ。
自分が患者さんと同じ病気だったら、こちらにします。あるいは自分の親だったらこちらにします、と言う。
なるべくなら言いたくない。
言ってしまったらそれは僕が誘導したことになり、そうなると万が一思うような結果にならなかった時に責任を負わねばならないからだ(実際に悲しい結果になった場合に、「お前が言ったからだ、責任を取れ!」と言う患者さんはまずいない。でも、責任を強く感じる)。
その人の、文字通り命運を分ける選択をするのは、本当に苦しいしつらいことだ。けれど、外科医たちはみなその壮絶な苦痛を甘受し、それこそがプロフェッショナリズムだと思っている。
(中山 祐次郎 : 外科医)