渡邊渚アナ(本人のInstagramより)

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 昨年7月に療養期間に入り、闘病の模様をSNSで発信していたフジテレビの渡邊渚アナ。今回、療養中にパリ五輪を現地観戦して批判を集めたが、ライターの冨士海ネコ氏は、「復帰への懸念は体調よりも過剰な警戒心」と指摘する。

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【写真を見る】すっぴん部屋着姿の渡邊アナ 闘病の様子をインスタグラムにつづっている

 今や新入社員に「どこ住んでるの?」と世間話で聞くのもダメらしい。自分が信用していない相手に自分の情報を話すことに、若者はものすごく抵抗感があるという。その代表が、フジの渡邊渚アナなのかもしれない。

 昨年7月に療養期間に入り、辛い闘病の様子をインスタグラムで発信していた渡邊アナ。「歩けない」「食事もろくにとれない」と弱々しげにベッドに横たわる写真は、常にネットニュースになるも、かたくなに病名を明かすことはなかった。

渡邊渚アナ(本人のInstagramより)

 人間の性として、隠されれば隠されるほど知りたくなるもの。過去には人気男性アスリートの結婚相手の詳細を巡って過熱報道があった。渡邊アナに関しても、国で指定されている難病ではないか、はたまたメンタルの病気かなどと、さまざまに推測する人は後を絶たない。しかし今月、パリ五輪の観客席にいるところをカメラで抜かれ、物議を醸すことに。男子バレーボールの観戦が主目的だったようだ。

 これを素直に「回復してきた証拠」だと喜ぶ声もあれば、批判の声もある。療養中に業務のしわ寄せがあった同僚に配慮がない。あれだけ深刻そうに病状を語っていたのに、パリに行く元気はあるのね……ネットニュースでも真っ二つに反応が割れている。

 渡邊アナにしてみれば、想定されるあらゆるネガティブな状況を避けるために、病名を明かさない選択をしていたのだろう。勝手に同情されたり、臆測で職場復帰の可能性を語られたり、同じ病気の当事者からいらぬ期待を押し付けられたり。あれこれ詮索されるストレスそのものが、回復の妨げになる。その理屈はもちろん分かるのだが、病名や回復の状態についてきちんと公表していれば、今回の炎上は避けられたのではないだろうか。

「友達少なそう」と言われる渡邊アナ 先を読みすぎる過剰な警戒心がアダに?

 昨年書かれたエッセイによると、渡邊アナは「友達がいなさそう、少なそう」とよく言われるという。言う方も言う方だが、そんなことを何度も言われる大人も珍しい。ただそれだけ、渡邊アナには人を遠ざけるような何かを感じさせるということなのだろう。

「めざましテレビ」や「ぽかぽか」など、有名番組の曜日担当を任され、看板アナへの道筋ができていた渡邊アナ。でも志半ばで病に倒れたことで、人気どころか戦力外という批判が増すかもしれないという、不安や焦りが募ってしまったのではないだろうか。渡邊アナの闘病インスタには、先の先を読みすぎる頭の良さと、だから出す情報は徹底して吟味するという頑固さがうかがえるのだ。

 女子アナとして復帰するためには、世間から忘れられないことが大事。でもたたかれたくはないから、社会的強者の女子アナというより、弱い病人だという印象を前面に出す。ただし病名は絶対に言わない。余計なお世話コメントを引き寄せるから。渡邊アナは、そうやってさまざまなシミュレーションをしていたのかもしれない。

 今回、SNSで語ることなく五輪観戦に行ったのも、療養中に行くことの是非が問われることになると分かっていたからではないか。でもその強すぎる警戒心によって、かえって世間の耳目を集めてしまった。ずっと心配していた相手が、なぜだかパリで五輪をエンジョイしている姿を見て、複雑な気持ちを抱いた人が少なからずいたために、大きな波紋を呼ぶこととなったのだ。

 報道を受けて渡邊アナは、「最後のチャンスだと思って」「会社にも報告」したうえで、現地入りしたとインスタを更新。

 療養と言いつつ海外イベントには行きたがる面の皮の厚い女ではなく、今後の仕事に生かそうと、バレーボールの試合を観戦しに行きました。わずかな回復期さえ自分の将来を見定めるために使った健気な職業人なんです――自分のイメージをそう軌道修正することで、批判の芽を摘もうとした格好だ。変に卑下したりせず、あっけらかんとした説明には、打算などなく無心で会場に向かったという姿勢が貫かれている。抜かりがないというか、やっぱりとても頭がいい人なのだと確信した。

インスタで見える「強み」は女子アナとしての「弱み」? 今のままでは「お高くとまっている」女子アナに

「注目されたい」という自意識、先読みのできる頭の良さ、うわさ好きな人間を拒む高潔さ。SNSからは、決してつづられなかった渡邊アナのパーソナリティーが浮かび上がる。ただ、それらが女子アナとしての強みかというと難しい。批判されないよう予防線を張ってばかりの、腹の底が読めない女子アナ、という印象に転びかねない。

 自分の知らないところで何を言われるか分からないから、自分の情報は人に教えない。自分の嫌いな人たちに、あれこれ言われるのは許せない。そういった信条や思いは納得できるし、なんら制限を受けるものではない。でも、警戒心をむき出しにされて、モヤッとしない人もいないだろう。インスタなどを通して見守っていた側からすれば、どうせ下世話なうわさ話をするんだろ、と、無言で決め付けられたような気になるのではないか。

 一方で渡邊アナの懸念は、当たってしまっている。ちょっとでも情報を渡したら最後、井戸端会議やネットニュースの種にされてしまうのは確かなのだから。でも渡邊アナがこれから復帰して向き合う視聴者の多くは、私も含めそういううわさ好きな一面を持つ人たちである。中には、やっかみを向けてくる人もいるだろうが、ほとんどはぼんやりと画面を見ているだけの無害な人間のはずだ。それでも警戒心を隠さないというスタンスならば、やはり「友達少なそう」「お高くとまってる」と、かえって反発を招いてしまうことだろう。

 パリ五輪中継キャスターには同期の佐久間みなみアナが抜てきされ、渡邊アナにとっては楽しい思いだけでなく、歯がゆい思いもあったのではないか。海外に行けるほど回復したのはとても喜ばしいし、早く復帰がかなうことを祈る。ただ、そつなく傷のない自分を守ろうとし続ける人よりも、かすり傷や穴がある人の方が愛されるというフジ女子アナの成功法則を、たまに思い出してみてはどうだろうかとも思ったりする。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部