カスハラと患者の権利をどう考えたらいいのでしょうか(写真:佐久総合病院提供)

医療機関で「患者」のことを「患者さま」と呼ぶ習わしを見直そうという動きがある。

「患者さま」という呼称が一部の人の誤った権利意識を助長するほか、「病気を患った人」という意味の言葉に、「さま」という尊敬語を付けるのは適切ではないといった指摘を理由に、「患者さん」という呼び方に変える動きが一部の病院で出ている。

その背景にあるのが、医療現場での患者や家族などからの迷惑行為、いわゆる“カスハラ(カスタマーハラスメント)“の深刻化だ。

「患者さま」のきっかけは?

厚生労働省がまとめた「カスハラ対策企業マニュアル」では、カスハラを「顧客などからのクレームや言動のうち、手段・態様が社会通念上不相当な言動」と定義し、具体例として身体・精神的な攻撃(暴行・傷害)、威圧的な言動、土下座の強要、差別的・性的な言動などを挙げている。

病院では患者が顧客となるので、“ペイシェントハラスメント”と呼んだりもする。

医療現場では、患者やその家族の言動がカスハラかそうではないかの判断が難しいケースもある。認知症などの症状によるものかもしれないからだ。高齢化により、医療が在宅でも提供されるようになったため、カスハラが訪問看護などの密室で起きると、実態の把握はより難しい。

患者を「〇〇さま」と呼ぶようになったきっかけは、厚生労働省が2001年11月に通知した「国立病院・療養所における医療サービスの質の向上に関する指針」。ここで推奨され、全国的に広まったとの説がある。

指針では、患者に対するていねいな接遇を実践するために、「原則として、姓(名)にさまを付することとするが、診療や検査等、諸般の状況に応じ、適宜他の呼称方法(例:〇〇さん)を用いる」と記された。

この指針により、病院関係者が患者への接遇の仕方を模索するなかで、よりていねいな呼称にするのがいいだろうと、「〇〇さま」を使わなくてはならないというムードが醸成された。ある病院関係者に聞くと、その頃から公文書には「患者」ではなく、「患者さま」と書くようになったと、当時を振り返る。

カスハラの対象は看護師

医療現場のカスハラでは圧倒的に女性の被害が多い。看護師は女性が多いからという背景もあるだろう。

カスハラによる精神障害は2023年9月、国の労働災害の認定基準に追加された。2023年の最新データによると、精神障害による労災請求件数は全産業では3575件、業種別では「医療、福祉」が888件で、前年より4割増えている。次いで多いのは「製造業」で499件、「卸売業、小売業」で491件なので、「医療、福祉」が突出しているのがわかる。

日本看護協会は、看護職員が暴力やハラスメントを受けたかどうか実態を調査している。「病院および有床診療所における看護実態調査」(2019年)によると、全国の病院8300施設の看護職員を対象に、1年間に受けた暴力・ハラスメントの内容を複数回答で聞いたところ、精神的な攻撃(24.9%)が最も多く、次いで身体的な攻撃(17.9%)となった。

日本看護協会で労働政策を担当する橋本美穂常任理事は、こう話す。

「協会として、人々の生活を支えるために必要不可欠なエッセンシャルワーカーである看護師を守っていくために、実態を把握するよう努めている。出産・育児で一時的に現場を離れた看護師は戻ってくる可能性があるが、カスハラで傷ついた看護師は、対応を間違えると二度と現場に戻ってこない。貴重な人材を失うことになるので、カスハラ対策は切羽詰まった問題になっている」


取材に応じる日本看護協会の橋本美穂常任理事(写真:筆者撮影)

また、患者の自宅などを訪れる訪問看護師の3〜4人に1人の割合で、身体・精神的、セクシャルハラスメントを受けていたことがわかった。

全国訪問看護事業協会が2019年3月に発表した「訪問看護師が利用者・家族から受ける暴力に関する調査研究事業報告書」では、3245人に過去1年で利用者・家族から暴力などを受けたかどうか聞くと、精神的暴力が36.1%、セクシャルハラスメントが31.7%、身体的暴力が28.8%という結果だった。

橋本常任理事は、「看護師はどうしても患者や施設利用者に密着してケアすることが多いので、不必要に触られたりだとか、採血の際に手を舐められたりだとかの訴えもある。病棟の夜勤帯や在宅訪問時など、比較的周りに人がいないところで起きている」と話す。

加えて、看護師が業務に支障の出るカスハラに遭ったことを上司や施設管理者などに報告しても、「お客さまなのだから我慢しろ」などと、何も対策を講じることなく勤務を続けさせることも多いという。

カスハラ対策をする病院が9割

日本看護協会は、病院などの施設にカスハラ対策を講じているかどうかも調査している。

2019年の病院看護実態調査によると、3385病院のうち対策をとっている病院が72.2%(2443病院)、準備中の病院が16.7%(565病院)で、9割近くがカスハラ対策に取り組んでいる。

例えば、新潟県の県立中央病院やがんセンター新潟病院、新発田(しばた)病院、十日町病院など11病院を運営する同県病院局は、今年5月、ペイシェントハラスメント対策指針を整備した。

対策指針をとりまとめた背景には、各病院において、患者から職員に対して過度な迷惑行為が発生していることがある。女性職員への嫌がらせや、病院内の備品を投げつけるなどの迷惑行為により、職場環境が悪化し、パフォーマンスが低下する懸念があったからだ。

対策指針には、▽組織的に対応する▽毅然と対応する▽警察への相談・通報をためらわない、を3本の柱とした。

同県病院局は「組織的に対応すると明記したことで、職員の安心感につながることを期待している」と説明。そのうえでこう述べる。

「診療拒否については、弁護士に法的観点から助言を得たうえで記載した。医療行為は、医療者側と患者側の信頼関係を基礎とするとの考え方があるため、患者側の迷惑行為により信頼関係が喪失したときには、医療者側が診療拒否することも可能だと考えている」

指針ではペイシェントハラスメントを9パターンに分類し、具体的な例も挙げた。それが以下の図だ(※外部配信先では閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)。


病院への「出入り禁止」も明記

暴力型に対しては、行為者から危害を加えられないよう、一定の距離を保つなど、安全確保を最優先し、診療時間内なら担当部署に連絡、保安員や複数職員が駆け付けるとともに、迷わず110番するとしている。

セクハラ型については録音・録画による証拠を残し、病院職員や患者・家族に事実確認をしたうえで、加害者に警告。執拗なつきまとい、待ち伏せに対しては、病院への出入り禁止を伝え、繰り返す場合には、弁護士や警察に相談するとしている。

権威型への対応としては、土下座を強要されても正当な要求を越えた範囲であるため、応じなくてもいいとしている。

特筆すべきは、医師法19条1項の「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」とする、いわゆる“応召義務”にまで踏み込んだことだ。

医療の現場で応召義務の話が出ると、診療を拒否する“正当な事由”が焦点になる。

ペイシェントハラスメントによる診療拒否について、同病院局は厚労省通知などを参考にしたうえで、「患者への診療に緊急性がなく、代替する病院などが存在する限り、拒否された(患者)側の法律上保護されるべき何らかの権利、または利益が侵害されるわけではない」として、信頼関係の喪失は診療拒否の正当事由となり得るとの考えを示している。

改めて問われる“患者の権利と責任”

カスハラと、患者の権利――。この両方をどう考えていくべきか。

長野県佐久市の佐久総合病院の玄関の患者からよく見える場所に、“患者さんの権利と責任”と題した横長の看板がある。


患者さんの権利と責任(写真:佐久総合病院提供)

40年以上前の1983年(昭和58年)1月に掲げられ、今にいたる。このように患者の権利と責任(責務)を表明する動きは、その後、全国に広がっていった。

そこには、患者の権利として、▽適切な治療を受ける権利▽人格を尊重される権利▽プライバシーを保証される権利――などが明記される一方、「患者さんも病院から指示された療養については、専心しこれを守ることを心がけなければならない。医師と協力して療養の効果をあげることこそが大切なのである」としている。

カスハラが問題となっている今、患者と医療者の信頼関係があってこそ医療が成り立つことを、今一度、認識するタイミングなのかもしれない。

(君塚 靖 : えむでぶ倶楽部ニュース編集部 記者)