◆闇スロの摘発でプロを引退する決意

 気がつけばそんな生活を1年近く続けたある日、二刀流生活は突然終わりを告げる。闇スロの摘発である。

「パチンコ打ってたらツレから電話掛かってきて、闇スロが摘発された!って。まぁ当たり前だよね、違法なんだから。あんなもんが堂々とポスター貼って営業してたほうがおかしいんだよ(笑)。でも、なんかこう、大切なものがなくなったって感じはしたんだよね」

 心にぽっかりと穴が空いてしまった加藤さんは、バーテンをしている店のママにそのことを伝えると意外なことを言われ、パチプロから足を洗うことになる。

「ママから『闇スロって犯罪なんでしょ? それを打ちに行ってた修ちゃんも同罪なんじゃない?』って言われて、言い返せなかった。ママはオレよりも5つ年上で、よく叱られたんだよ。『パチプロもいいけど、もうイイ歳なんだから正業に就いたら?』とも言われたな」

◆高校中退後にお世話になった内装屋へ

 それから2ヵ月後、ママにバーテンをしていた店を辞めることを伝え、その足で向かったのは、高校を中退してひととき働いていた内装屋の社長だった。

「パチプロはやめることにしたんだけど、じゃあこれから何をやるの?ってなって、オヤジの跡を継ごうかとも思ったけど弟がすでに継いでてダメ。その弟とメシ食いながら話してたら内装屋の話が出てきて、『社長、いつも兄ちゃんのこと聞いてきて、今でも心配してるよ』って。弟は工務店やってっから、内装屋とは付き合いがあって、今でも社長と繋がってたんだ。じゃあ、久々に挨拶行ってみるかぁ〜って菓子折持って遊びに行ったら、『プラプラしてんなら、もう一回、ウチで働かないか?』って。それでそのまま今に至るワケ(笑)」

 だが、30歳を過ぎてから職人の修行の毎日はツラくなかったのだろうか。

「やっぱ久々の現場仕事は体力的にキツかったね。パチプロ時代はホールもバーテンもずっと室内だから、運動不足で色白だったんだよ。もう、最初の2ヵ月は本当にキツかった。若いヤツから『加藤さん休んでてください。ペンキ、持ちますから』って言われて、情けねぇなぁ、オレ……って。でも、内装っていう仕事が合ってたし、社長や若いコたちもすごく仲いいし居心地よくて、結局8年くらいお世話になった」

◆パチンコ・パチスロが大好きだからヤメられた!?

 ツラくてもパチプロには戻ることなく続けられたのは、周囲との関係性だけでなく、自身のパチンコ・パチスロに対するスタンスだったと加藤さんは振り返る。

「基本的にパチンコ、パチスロが大好きなんだよね。ゴリゴリに立ち回ってお金を稼ぐためだけに打ってたら、たぶん職人仕事なんて『割に合わねぇ!』って投げ出してたと思う。でも、基本が『好きだから打つ』っていうスタイルだったから、仕事帰りや休みの日に打てればいいやって。むしろ昔よりも短い時間しか打てないから、逆にシビアに打ってるよ。やっぱ負けたくないしね(笑)」

 現在は独立もして、仕事も順調だという加藤さん。最近の悩みは人手不足でパチンコが打てないことだとか。

「コロナとかもいろいろあったけど、なんとかやってる。最近、九州は移住者が多くて内装の仕事がすごく増えたんだよ。今週は宮崎、来週は熊本みたいに飛び回ってる。でも、若いヤツがまったくもって雇えないから、全部自分でやんなきゃいけないのはキツい。オレらの頃って中退したヤンキーとかってだいたい建築関係で肉体労働やったもんだけど、最近はヤンキーがいなくなっちまったから若い労働力が足りないんだよね。だから、仕事ばっかで休みもねぇから嫁や子供から嫌味を言われて肩身が狭い(笑)。パチンコ打ちに行くなんてもってのほかだよ」