嬉々として「サービス残業」する部活顧問の深刻
(写真:筆者撮影)
教員の「やりがい搾取」が大きくクローズアップされている。公立学校の教員は、1972年に施行された「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」によって、「生徒実習・学校行事・職員会議・非常災害等」の4つの臨時または緊急時を除いて、残業を命じることができない。
しかし実際には部活など他の業務による超過勤務が発生するので、月給の4%を「教職調整額」として上乗せして支払うということになっている。
多くの教員は部活顧問に任じられている。活動内容によっては、土曜日曜、祝日、夏季、冬季休暇も含めて実質的な「残業」が発生するが、上記の法律によって残業代は一切支払われない。いくら残業しようとも4%の上乗せがあるだけだ。
教員の多くは部活指導に「やりがい」を感じてはいるが、ほとんどが「タダ働き」。これを「やりがい搾取」と言う。
「やりがい搾取」だけではない問題
近年、教員採用試験の倍率が年々低下しているのは、大学生にとって「やりがい搾取」が多発する「教員」という仕事が敬遠されているからではないかと言われている。さらに公立だけでなく私学でも「やりがい搾取」的な状況にある学校が多い。
こうしたこともあって、文部科学省は「中学部活の外部委託」を推進する方針を打ち出した。また並行して高校でも「部活のあり方」を見直す動きが出てきている。
しかしながら筆者は、この問題は行政が制度を変えれば解決するような問題ではないのではないか、と思っている。
「やりがい搾取」が問題化する直前の7年ほど前、筆者は文化、スポーツの部活を集中的に取材する機会を得た。ある媒体に「うちの高校の自慢の部活」を紹介するためだ。各校が推薦した全国の文化、スポーツ系の高校部活を取材して回ったのだ。
取材したほぼすべての部活の指導者、顧問は「休みは年に10日あるかないか」だと話した。「元旦とお盆以外はずっと部活指導」「早く帰宅するのは中間と期末テストの期間だけ、あとはサービス残業」などと話す。不満げな表情ではなく、自慢げでさえあった。
そして、必ず「家族の理解があるので」と付け加えるのが常だった。
さらに「女房とは新婚旅行以外に旅行に行ったことはない」とか「新婚旅行の途中で、選手の試合を見に行った」「部活を優先するために子供の運動会には行ったことがない」などの話をあたかも「武勇伝」であるかのように言うのだった。
嬉々としてサービス残業を語る指導者
(写真:筆者撮影)
筆者は息苦しさを感じたが、多くの先生は「でも、授業の準備をしっかりして、学校行事の仕事もして、そのうえで部活の面倒も見るんだから、どうしたって休みなんか取れないじゃないか」と言った。残業代は当然出ない。これこそが「やりがい搾取」なのだが、先生方はそれを嬉々として話すのだ。
このように書くと、これらの部活指導者は「熱血」で「スパルタ」「オラオラ」の、「昭和の指導者」であるかのような印象を受けるかもしれないが、意外なことにそういう指導者は当時でも少なかった。
体育会系であれば、最新のトレーニング法を学び、新しい機器もそろえて選手に無理な負荷がかからないように練習させる。「マッサージ」の仕方についても学んでいる。また「コーチング」を専門に学んでいる指導者も多く、選手に笑顔で接し、彼らの能力を伸ばそうとする指導者が多かった。
ある演劇部の指導者は、教師になってから芸術大学の演劇コースに入り直し、演劇のメソッドを学び直したと話した。進歩的で、生徒のことを第一に考える優秀な指導者が大半だったという印象だ。
生徒が授業を終えて部活に出てくる前に、部活顧問の先生たちは、用具をセットし、今日の予定を確認し、選手を待ち受ける。そして練習が終わると、部員たちの相談に個別で応じたあとに、翌日の準備をする。顧問の先生たちは、生徒が全員帰宅してから、最後に帰宅する。
休日は朝から学校に詰めて、練習を指導する。対外試合や公演があるときには、マイクロバスを運転して遠征する。夏休みには、生徒が学校に泊まり込んで「合宿」を行うことも多い。顧問の先生は、文字通り365日、24時間、生徒に接して指導し、励まし、濃厚な人間関係を築いていく。
受け継がれていく「熱中顧問」の系譜
筆者はそうした指導者の一人に「なぜ、そこまでして部活に心血を注ぐのですか?」と聞いたことがある。
その先生は、まっすぐ筆者の目を見て「私も、そういう高校生活を送ったからです」と言った。
「私の恩師の先生も、365日、生徒のことを考えて指導してくださった。親身になって相談に応じてくださったし、進路についても指導してくださった。
私は当時から、大学で教員免許を取って高校教師になり、部活顧問として恩師のように、子供たちのために全力を尽くす教員になることを考えていました。今、その夢がかなって、最高にうれしいです」
この手の話も何人かから聞いた。そういう形で「熱中顧問」の系譜は受け継がれていくのだ。
取材をする際には、高校の職員室に挨拶に行く。在席中であれば校長や教頭に挨拶をすることもあるが、「私も部活顧問として年中子供たちのために頑張っていましてね、そういう先生が今も、何人もいるのは、わが校の誇りだと思っています」「こうした先生方は、まさに高校教師の鑑ですね」などという話を聞くこともしばしばだった。
「やりがい搾取」は、学校が強制的に先生に押し付けたのではなく、教員が「頼まれもしないのに」自主的に「搾取されにいった」という一面もあったのだ。
しかし、そういう「熱中部活」は、高校部活全体の一部だ。
同じ学校でも、顧問が形式上立ち会うだけで、生徒たちが主体的に活動している部活もある。そういう部活では、顧問は生徒がケガをしないか、トラブルが起きないかを見守るのが主な仕事だ。そして時間が来たら「早く帰りなさい」と生徒に帰宅を促す。受験勉強のために、3年生になれば引退することも多い。
別個の生き方の教員が共存している
多くの学校では「熱中部活」と「普通の部活」が混在している。
私学には「強化指定クラブ」と「一般クラブ」を明確に分けているところも多い。野球やサッカーなどは、有望選手を別枠で入学させる私学も多い。「文武両道」ではなく「文武別道」と言われる形だ。
「熱中部活」は、「普通の部活」の顧問からすれば、付き合いきれないし、まさに「やりがい搾取」のように見えている。職員室には、別個の考え方、生き方の教員が共存していることが多いのだ。
「やりがい搾取」で、筆者が問題だと思うのは、搾取が「やりがい」だけで済まない事例が散見されるからだ。
ある公立高校の部活顧問は、校舎の横にある小さな建物に筆者を案内した。中には様々なトレーニング機器がおかれてあって、生徒たちがトレーニングをしていた。
「ここにあるトレーニング機器は、私がボーナスで少しずつ買いそろえたものです。ボーナスシーズンになると、生徒とカタログを見て、『今度はこの機器を買おう』などと話し合って購入します。私学に負けない練習環境になっているんですよ」
筆者は思わず先生の顔を見て「でも公立だから、数年で転勤になりますよね?」と聞くと、「いや、その時は次の学校でも同じことをするだけですよ」と涼しい顔で言った。
教員の「趣味」や「道楽」になっている部活
確認したわけではないが、選手が遠征に使うマイクロバスを自腹で買った先生もいるという。これは本当にやりすぎだと思うが、部活顧問の先生が生徒のためにドリンクを買ったり、用具の補充をするなどの「自腹を切る」のは、多くの学校で容認されている。経費として請求しても「予算がない」と言われることも多いという。
こうなれば、もはや仕事でも職業でもない。「趣味」あるいは「道楽」と言うのがふさわしいのではないか。
新型コロナ禍で、部活の在り方はかなり変わったと思う。生徒と顧問が「リモート」でミーティングするなど、新しいコミュニケーションも生まれている。「やりがい搾取」も多少緩和されたのではないか、という声も聞こえる。
しかし、日本の部活の「やりがい搾取」は、あまりにも長く放置されていたために、一朝一夕で改善できるとは思えない。
「熱中部活」の顧問の中には、「やりがい搾取」という言葉に反発する人もいる。あるスポーツ部活の顧問はこう語る。
「日本のスポーツが、健全で優秀なアスリートをたくさん生み出すことができたのは、高校部活が、選手を基礎からしっかり指導してきたからだ。先生方が、文字通り心血を注いで、一生懸命指導してきたからだ。それを今になって『やりがい搾取』とか言って、余計なことをしていたように言うのはおかしいんじゃないか?
今、中学で部活の外部委託が進んでいる。高校の部活も変わるだろうが、外部委託の顧問は、我々みたいに熱心に指導しないだろうし、ビジネスライクだろうから、選手や親から『こんなはずじゃない』みたいな声が上がるんじゃないか?」
もっともな意見ではある。
変革が求められる部活
大事なことは、そうした部活顧問の「熱意」を、今後、改革が進む中学、高校の部活に取り入れることだろう。今の「部活指導」は、個人の熱意に依存することが多いが、これをノウハウとして共有する取り組みが必要だ。
そして顧問の先生から一方的に部活を取り上げるのではなく役割分担をすべきだろう。さらに言えば、そうした先生の熱意を「経済的な対価」に置き換えることも必要だ。
「部活」は日本独自の「教育文化」だった。その知恵を活かしつつ、変革していくことが求められているのだ。
学校だけでなく有識者や外部の知恵も借りて。これまでの部活の「ええとこどり」をしていく必要があるだろう。
(広尾 晃 : ライター)