黄色がコーポレートカラーのファナックで異変が起きている(記者撮影)

ファナックの創業者の孫で、同社専務執行役員だった稲葉清典氏(46)が、ひっそりと退職していたことがわかった。

対外的な人事発表はされておらず、6月27日に開示された株主総会の決議通知をみると、執行役員一覧から清典氏の名前がこつぜんと消えていた。

ファナックの広報は東洋経済の問い合わせに対し、「本人の希望により、6月30日付で円満に退職いたしております」と回答 。同社は本人都合による円満退職を強調するが、”創業家3代目プリンス”の輝かしい道を歩んできただけに、波紋が広がっている。

35歳で異例のスピード出世

社内では「何もわからない」と口を閉ざす社員が多い中、競合他社や取引先からは業界トップ企業の人事に驚きの声が広がっている。

ファナックを顧客とする部品メーカー役員は、「最近知ったばかりだ。関係者と一言、二言話すと、(清典氏の退職について)みんな口にする」と興奮気味だ。また、同業他社の社員が「急な辞任だったので驚いた」と話せば、別の業界関係者は「稲葉(善治)会長がかわいがっていた息子だったのに、なぜ辞めたのだろうか」と首をかしげる。

清典氏は、寄付講座や共同研究を行うなどファナックと深い縁のあるアメリカ・カリフォルニア大学バークレー校に進学。機械工学専攻の博士課程を修了し 、2009年に30歳でファナックに入社した。

入社から4年で花形のロボット研究所長を務め、2013年6月には創業者で祖父の稲葉清右衛門氏(故人)の後押しを受けて、弱冠35歳で最年少の取締役に抜擢された。さらに、そのわずか4カ月後に専務取締役へ昇格。将来の社長候補として疑う余地はなかった。

その後は主力部署であるロボット事業本部長として、製造業向けIoTプラットフォーム「フィールドシステム」の開発を率いた。工場の生産設備をネットワークで接続し、情報を共有することで動作学習や故障予測を行うシステムだ。産業向けIoT基盤の先駆けとなるプロジェクトであり、当時はシスコシステムズやNTTグループとの協業などで脚光を浴びた。


2016年に「フィールドシステム」を発表する稲葉善治社長(右)と稲葉清典・専務取締役ロボット事業本部長(いずれも当時の肩書)(撮影:尾形文繁)

2019年の展示会「CEATEC」では、主力のロボットを展示せず、「フィールドシステム」を全面展開したことでも話題となった。

だが現在、その存在感は薄く、収益にも貢献しているとは言い難い。社内では「当初の期待ほど導入が進まなかった」という見方でおおむね一致する。

システム営業を担う社員は「ファナックの生産設備とは親和性があるが、顧客が進んで使いたいと思うキラーコンテンツにはなっていない」とこぼす。

稲葉家とかねて親交のある人物は「稲葉会長は(フィールドシステムを)息子の出世への花道にしようとしていたが、うまくいかなかったのでは」と語る。

”白い”ロボットで成果を出す生え抜き

清典氏は今年3月にロボット事業本部長を外れ、会長補佐付になっている。清典氏の後任としてロボット事業のトップに就任したのは、常務執行役員・ロボット研究開発統括本部長の安部健一郎氏だ。


安部氏が開発の立役者とされる白い協働ロボット(記者撮影)

山口賢治社長(55)と同じ1993年入社で、長らくロボット機構の開発に携わってきた、生え抜きの技術者だ。2015年に、執行役員に就任しており、清典氏のそばで仕事をしてきた人物でもある。

安部氏について、前出の取引先部品メーカー役員は「最近はいつ工場に行っても、渉外に対応するのは安部さんだ。一見、物腰柔らかい雰囲気だが、技術のことになると一流だ」と、高く評価する。清典氏が去った今、安部氏を次期社長候補として見る向きも増えているようだ。

安部氏は協働ロボット「CRXシリーズ」の立役者とされる。関連の特許は、安部氏を筆頭者として登録されているが、そこには当時ロボット事業本部長だった清典氏の名前はない。さらにいえば、2018年以降、清典氏がファナックとして出願した特許はなく、ロボットの開発現場から離れていたとも推測できる。

協働ロボットは白く小型で、安全柵を必要とせず人間と並んで作業できることから、中小企業をはじめ、食品やサービス産業など新たな領域での活用が拡大した。2021年に「ロボット大賞 経済産業大臣賞」など、数多くの賞も受賞している。

黄色の「産業用ロボット」で世界4強の一角を占めるファナックが、近年力を注ぐのがこうした白い協働ロボットの拡販だ。7月、名古屋で開催されたロボットの展示会では、ファナックのブースの半分以上を白い協働ロボットが占めていた。

建物も黄色から白色に塗り替え

工場や営業車両、作業用ジャンパーもすべて黄色。創業以来、黄色がコーポレートカラーで知られるファナックだが、最近はロボットだけでなく、建物でも黄色以外が増えている。


本社周辺に点在する社員寮「ヴィラカラマツ」(記者撮影)

ファナック社員によると、新しい建物だけでなく、既存の建物もわざわざ塗り替えているようだ。若手社員が住む社員寮は黄色から「CRXシリーズ」のような白色に緑のラインが入った配色に変わったという。

周辺環境への配慮かコスト削減か、その意図はわからないが、創業家への世襲がなくなった今、さらに黄色からの脱却が進む可能性もありそうだ。

カリスマ創業者だった清右衛門氏は2020年に95歳で老衰のため死去した。現在の善治会長(76)はその息子だが、トップ就任以来、掲げてきたのは「経営体制の刷新」だ。2013年に初めて社外取締役を招聘した一方、取締役の人数を削減。2021年には清典氏も取締役を外されている。

2022年に掲載された日本経済新聞「私の履歴書」で、善治会長は「長男の清典は父が路線を敷き(中略)チャンスはもらえたが、今後それを生かせるかどうかは本人の資質と努力次第。人事を判断するのは私ではなく、私が選んだ後継者である山口社長の仕事である」と明言している。

山中湖畔を拠点に観光レジャー業?

本音はどうかわからないが、息子である清典氏がこれまで異例のスピードで昇進し、社長候補と見られてきたことは否めない。その清典氏が、なぜ今辞めたのかは闇の中だが、3月には自身を代表取締役とする新会社「株式会社 Be Natural」を密かに設立している。


山中湖畔に位置する新会社はファナック本社から程近い(記者撮影)

登記簿によると、資本金は950万円。会社の本店は見晴らしのいい山中湖畔に位置する。

この土地は、清典氏が取締役就任後すぐの2014年に購入。その上には、父・善治会長名義の建物が建っている。ファナックの本社のある忍野村からは車で10分程度と、そう遠くない場所にある。

事業内容は12項目と多岐にわたり、「旅館業法に基づく旅館業」「プライベートシェフの派遣、人材育成」など、観光レジャー業が中心のようだ。

清典氏はここに新たな城を築くのであろうか。清典氏は今も、口を固く閉ざしたままである。

(山下 美沙 : 東洋経済 記者)