発表あるか?「熱中症特別警戒アラート」の危険性
日中の行動が制限されるほど、年々、厳しさを増す猛暑(写真:photoポケット / PIXTA)
日本列島は多くの地域で短い梅雨の期間を経て、危険な猛暑に見舞われている。昨年は観測史上最も暑い夏となったが、今年も厳しい夏を覚悟する必要がありそうだ。
欧州連合・気候情報機関の調査では、世界の平均気温は6月として過去最高の暑さを記録し、月別で最も高い気温を付けたのは13カ月連続となった。気温の上昇が続けば、耐え難い暑さとなることは避けられない。
サウジアラビアでは、6月中旬に行われたイスラム教の聖地メッカへの大巡礼(ハッジ)の間に、少なくとも1300人が死亡したと報じられた。今年の巡礼は気温が一時的に50℃を超える熱波の中で行われ、長距離歩行に伴う熱中症が原因とされている。
日本では、さすがにこれほどまでの高温は発生したことはない。また、日本には「熱波」の公式な定義はない。しかし、これまで経験したことがないような状況が、この先も起きないという保証もない。「想定外」が起きた際、人の健康や命に甚大な影響が出る可能性がある。
「熱中症特別警戒アラート」とは何か
国は今年4月から従来の「熱中症警戒アラート」より1段階上の「熱中症特別警戒アラート」(特別警戒アラート)を導入している。
環境省の調査によると、「熱中症警戒アラート」に対する認知度は約8割に達している。しかし、「特別警戒アラート」は2024年7月22日現在、一度も発表されていないため、認知度はまだ低いとみられる。
この2つは何が違うのだろうか。環境省の説明資料を一部抜粋すると以下の表の通りとなっている。※外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください。
出所:気象庁資料「改正気候変動適応法の法施行(令和6年4月1日)について」(令和6年1月18日)を参照し、筆者作成
環境省が「特別警戒アラート」の導入を考えたのは、2021年6月、カナダのブリティッシュコロンビア州で起きた熱波が1つの要因だったという。
人口約500万人の同州では、6月29日に49.6℃を記録。熱中症による死亡者は619人にも上った。同州は日本の北海道よりやや北緯に位置するので、6月の気温としては異常だ。
特別警戒アラート、発令のハードルは高い
国立環境研究所気候変動適応センターの岡和孝・気候変動影響観測研究室 室長は、過去に観測したトレンドから判断すれば、「特別警戒アラート」が「すぐに発表されるような状況ではないかもしれない」とみる。
岡氏は環境省の「特別警戒アラート」の導入を議論する「ワーキング・グループ」の座長を務めた。
国立環境研究所の岡和孝氏(写真:筆者撮影)
理由の1つとして、ある都道府県の“全て” の観測地点において暑さ指数(WBGT)が35に達する「特別警戒アラート」の基準は、ハードルが高いことを挙げる。
過去、その基準に最も近い状況になったのは埼玉県(2020年8月11日)だが、35を超えたのは同県内の8観測地点のうち2地点だった。
「過去に例がない危険な暑さ」だった2020年8月11日における、埼玉県内観測地点の日最高暑さ指数(WBGT)と観測地点の地図(出所:環境省「改正気候変動適応法の施行について」)
暑さ指数は、熱中症のリスクを判断するため、気温だけでなく「湿度」、日差しや地表面などからの「ふく射熱」を含めて算出される。本来は気温と同じように℃で表示されるべきだが、通常の気温との混同を避けるため、単位はつけられていないという。
突然発表されても不思議ではない
一方で岡氏は、これまでのトレンドから外れた高温も起こりうるため、「特別警戒アラート」が「ある日突然、発表されたとしても不思議ではない」とも語る。
2020年8月11日の埼玉県の最高気温を調べると以下の通りである。暑さ指数が35に達しなくても、人の体温をこえる危険な高温であることが分かる。
2020年8月11日の埼玉県内の最高気温(出所:日本気象協会のHPを参照し筆者作成)
暑さ指数を構成する要素の中で、特に重要なのは湿球(しっきゅう)温度と呼ばれるもので、これは湿度の影響を考慮した気温を示す。
私たちの体は、暑いと汗をかいて水分を蒸発させることによって体温を下げている。しかし、湿度が高いと、この機能が正常に働かなくなるため、体がオーバーヒートして危険な状態に陥るリスクが高い。湿度の高い日本では特に、注意が必要だろう。
仮に「特別警戒アラート」が発表された場合、どのような状況になるのか。
岡氏は、予防行動が取られないと仮定すると、救急搬送数や死亡者数は、「指数関数的に増える可能性がある」と警告する。
政府が作成している熱中症予防行動を呼びかけるポスター(出所:気象庁HP)
また「特別警戒アラート」は広域を対象に出されるため、エリア全体で救急医療が逼迫する状況も想定されるという。
日本では高齢者を中心に熱中症による死者数が、2018年以降(除く2021年)、毎年1000人を超えている。この数は自然災害による死者を大幅に上回る(環境省)。高齢者や既往症がある人が被害を受けやすいという点では、コロナ禍と似ている。
熱中症の症状は、軽度の場合、めまいや筋肉の痙攣、中程度で吐き気や嘔吐、重度の場合は意識喪失や呼吸困難になり、死に至るケースもある。しかし田中内科クリニック(神奈川県大和市)の田中啓司院長は、「熱中症と診断するのは、実は勇気がいる」と話す。
田中院長は、まずは本人や家族から水分補給や具合が悪くなる前にいた場所を聞くほか、問診では舌や皮膚の渇き具合と血圧などをチェックする。
しかし、熱中症と似たような症状の患者が、実は「脳梗塞だった」こともあったという。また、熱中症から脳梗塞に進行するリスクを考え、大病院を紹介することもあるという。
過酷な夏をどのように生き抜くべきか
熱中症予防について岡氏は、「基本的にはエアコンの適切な使用と水分・塩分補給の2つを守れば防げる」と話し、「これが自然災害との大きな違いだ」と強調する。
さらに「特別警戒アラート」は前日の午後2時に発表されるため、翌日の屋外でのイベントなどを中止・変更するための時間的余裕はある。すでに暑さ指数を活用し、活動予定を判断している建設会社や教育機関もある。
ただ岡氏は、懸念材料として、エネルギーの供給面を挙げる。2019年に千葉県を中心に大きな被害をもたらした台風15号は、停電のため長期間エアコンが使えずに、8人が熱中症で亡くなった。
また国が今年3月に公表した電力需給の見通しによると、今夏の電力逼迫は回避できるはずだった。ところが7月上旬に東京都心の最高気温が36度を記録し電力需要が急増したため、東京電力管内は中部電力から電力融通を受けた。
国は電力の安定供給の確保に万全を期すとしているが、未曾有の猛暑が継続した場合、本当に大丈夫なのか、一抹の不安が残る。
全て個人の判断に任せるのは限界
気候変動への対応策は、「緩和策」と「適応策」の2つに分かれる。
「緩和策」は化石燃料を自然エネルギーに転換し温室効果ガスの削減を図ることなどがあり、「適応策」は洪水防止のインフラ整備、暑さに強い農作物の品種改良などがある。政府による「熱中症警戒アラート」などの情報提供も「適応策」の1つだと言える。
「適応策」が専門の岡氏は、この2つの策を「車の両輪」として推進する必要があるが、すでに顕在化している悪影響に対し「適応策」を講じることは「論を待たない」と語る。
一方、熱中症予防でエアコンの必要性をいくら説得しても、頑なに拒否する高齢者もいる。日本では国が、個人の自由な行動に制限を課すことはしないが、岡氏は健康被害に関わるため「個人の判断だけに任せておくことは限界がある」と指摘する。
そのうえで、一人暮らしの高齢者などに対しては、地域のコミュニティーが、情報技術なども駆使しながら、「見守り」や「声かけ」を一段と強化すべきだと語る。
人との接触を回避する必要性を強いられたコロナ禍を経て、他人や地域のつながりが希薄になった面は否めない。酷暑や熱中症との闘いは、「お節介」も含め、人とのつながりの重要性を見直す機会となるかが試されている。
(伊藤 辰雄 : ジャーナリスト)