Z世代を通して見えてくる「友だち作り」の変化とは(写真:mits/PIXTA)

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。

企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――例えば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。

本記事では、著者の舟津昌平氏と文芸評論家の三宅香帆氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。

大学の友だちは一生の友だちになりうるか


三宅:『Z世代化する社会』で描かれている若者たちは、舟津さんが大学の先生ということもあって、大学生が中心ですよね。私も大学で非常勤講師をやっているので、とても共感しながら拝読しました。

舟津:ありがとうございます。

三宅:個人的には、モバイルプランナー(携帯のプラン変更や乗り換えを営業する仕事)に学生時代を捧げた大学生のお話が特に面白かったです。というのは、ここ10年くらいの若者論では、『友だち地獄』という本に描かれているような、友だち関係に縛られる若者の話が主流でした。ただこの本では、友だち関係とビジネスの論理が絡み合ったZ世代的友だち関係が書かれていますよね。

それこそモバイルプランナーであったり、友だちからの「株価」を気にしたり、ソーシャルメディアで友だちを管理したり。友だち関係の基盤に、ビジネスの論理が根を張っている。ただ、もし今私が大学生だったら、ここから抜け出すのは難しいとも思うし、もし学生たちがこれに悩んでいたら、どう声をかければいいか、「う〜ん」と考えながら読んでいました。

舟津:三宅さんがおっしゃったような話を「同業者」ともよく話すんですが、この前ショッキングな話を聞きました。学生たちが「大学のときの友だちは一生の友だちになりうるか」っていう話をしていたらしいんですよね。普通なら「なるだろう」と思うじゃないですか(笑)。


舟津 昌平(ふなつ しょうへい)/経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師。1989年奈良県生まれ。2012年京都大学法学部卒業、14年京都大学大学院経営管理教育部修了、19年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。23年10月より現職。著書に『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房、2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門受賞)、『組織変革論』(中央経済社)などがある。

三宅:私たちの世代感覚かもしれませんが、大学でならなきゃどこでなるんだ、と思ってしまいます。

舟津:その先生も、なぜまずそうした問いを立てるのか、と最初は思ったみたいです。でも、学生側の話をよくよく聞いてみると、学生たちに「大学の友だちは単位を取るための友だち」という感覚があるのだと。つまり「単位を取るためにつながっておかないと困る」という理屈が前提の関係だから、「一生の友だちになれるのかな」と言い出すんです。

なぜそうなるか、いろんな要因があると思いますが、例えば都市型の大学だとキャンパスがビルのみということも多くて、学生たちも通学が会社に出勤しているような感覚になるのではないかと。まさに「ビジネスライク」なんですよね。

「ある目的のために効率化された手段のみを取るべきである」というビジネス的な考え方が、友だち関係でも当たり前になりつつあって、それが今の大学のリアルなんだろうと思います。

大人だって友だちを作るのは難しい

三宅:たしかに。最近読んだ石田光規さんの『「友だち」から自由になる』(光文社)で、学生が悩みごとを相談する相手として、友だちの割合が減って、お母さんの割合が増えているという調査結果が紹介されていました。友だちに悩みごとを相談するのがリスクになっている、という話が書かれていたんです。

その原因分析がどこまで正しいかは置いておいても「悩みごとを相談できる相手として友だちを見ていない」という感覚は、おっしゃったような目的ありきの友だちみたいな話と合致するなと思いました。私としては、悩みごとを友だちに相談できなかったら、どうするんだろうという気持ちになりますが。

舟津:本当にそうですよね。そもそも友だちって何なんだよって話になってくる。自分を出すことはリスクであって、面倒くさいことを言って嫌われたりハブられたりしたらどうしよう、という不安を抱える。信頼できる交友の範囲がすごく狭まっている状況です。

三宅:だから、自分を育ててくれた相手ぐらいにしか弱みをさらせない、となっているのかなと思ったりもします。


三宅 香帆(みやけ かほ)/文芸評論家 1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)、『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)など著書多数)。

ただ、舟津さんが本の中で強調されていたように、あくまで若者は社会の写し鏡であって、友だちの作りづらさって大人の悩みとしてもかなり言われていますよね。私も最近、40代男性の知り合い数人から、「自分に友だちがいないことに気づいた」みたいな話を聞いて。若い人たちも友だち作りに悩んでいるとは思いますが、30代、40代の大人になってもやっぱりわからないんじゃないかと思います。

舟津:たしかに。毎日通う大学の友だちが単位情報を与え合う利害関係でつながっているというのは、それは大学を会社に置き換えてもまったく成立する構造なんですよね。会社であれば、同僚とビジネスライクな話しかしないのは当たり前ですし。大学が会社化しているという、だけといえばだけ。

上司にしても、その上司が人事評価をするわけだから、部下は話したことをマイナスに取られたらどうしようと考えてしまう。実は30代も40代も、その意味で若者と同じなんだというご指摘は本当にそのとおりで、それが会社に限らず大学でも学校でも、あらゆるところに浸透しているのが現代なのかなと思いました。

なんでもかんでも「ビジネス化」の危うさ

三宅:今って、私生活ですらビジネスの論理になりやすい時代というか。労働時間は10年前に比べたら減っている企業も多いのに、その時間が結局SNSや副業といった、ビジネスの論理で動いているものに置き換わっているにすぎない気がして。仕事以外の人間関係をどうやって作るのか、リスクをさらせる場所をどうやって作るのか、若い人だけでなく年齢を重ねても悩んでいることだと思います。

舟津:三宅さんが書かれた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』もそういうテーマですよね。ここ10年は残業の時間が減っていて、それこそ余暇が生まれてもよさそうなのに、24時間働かされているような感覚を抜け出せない。もし定時で仕事を終えたとしても副業やリスキリングのことも考えましょうねとか、家庭でも家事や育児が仕事のように感じると。そう思ってしまうと、目的のない読書はできなくなっちゃいますよね。読書をするにしても副業とかリスキリングの本を読まざるをえなくなるというか。

三宅:そうなんですよね。ビジネスの論理で考えると家事や育児も効率的にできるという考え方もありますが、言っていることはすごく正しいし、うまくいくならいいとは思いつつも、すべてをビジネスの論理で考えると、どこかにリスクというか弱さをさらせる場所がなくなっちゃうようにも思うんですよね。

舟津:ビジネスの論理は、より楽に、よりコストを減らすという意味で、間違いなく人間の生活を豊かにしてくれるものです。その一方で三宅さんの本が指摘していたのは、ビジネスの論理は「効率化によって空いた時間の使い方までは教えてくれない」ということですよね。効率化の先には、さらなる効率化しかない。その結果、全部仕事になってしまう。ビジネスの論理だけでは余裕はなくなるばかりです。

ビジネスに不要なノイズを楽しめるか

三宅:ただ難しいのは、ビジネスの論理は基本的には合理的なので、本書に書かれている学生さんたちの言っていることが間違っているとは思わないんです。もし、自分がこの時代に学生だったら、同じように考えるだろうなという事例がたくさん出てきます。もちろん、モバイルプランナーだけに学生生活を捧げるのは違和感を覚えてしまいますし、合理的な選択だけが正しいのかと疑問に感じる部分もあります。でも、そのことを若い世代にどう伝えたほうがいいのか。考え込んでしまいますね。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』では「ノイズが必要」とは書いていて、それは実体験としてもそうだと確信しているんですけど、若い世代にそれが伝わるのかな、と不安に感じるのも事実です。それこそ「なぜ、人生に友だちは必要なのか」みたいな話と同じかもしれません。自分の場合は、身のまわりにいる人が全員仕事のつながりによる人間関係であったら、心許なさを覚えてしまう。仕事のノイズとなるような人が身のまわりにいてくれるほうが、自分の豊かさが増すと思うんです。

舟津:「ノイズ」という表現、すごく面白いし的確ですね。かつ、ノイズを楽しむのは熟達した人の楽しみ方でもあるので、若者には難しいというのもわかります。

おっしゃるとおり、学生一人ひとりの話を聞くと筋が通っているんですよね。だから、決してつじつまが合わないことをやっているわけではない。一方で、引っかかるところがあるのはたしかで、多くの人が「うまく言語化できないけど、なんか違う気がするな」と感じているはずなんです。

舟津:その違和感の一つが、ビジネスの論理以外はないのか、というところで。まさに「ノイズ」がない。「大学のときの友だちは一生の友だちになりうるか」という問いも、大学の中に友だちとだべるようなノイズがない都市型キャンパスだからこそ出てくるという事情もあって、その余白をもつことが許されなくなっている。

三宅:それはすごく思います。例えば都市型キャンパスの多い東京には、京都の鴨川的な空間が全然ないんですよね。同じような自然豊かな公園である新宿御苑も、素敵ではありますが有料ですし、コロナ禍のときは予約が必要でびっくりしましたよ。

舟津:この前、友人の家族と京都で会ったとき、5歳くらいの子が「鴨川行きたい! 鴨川行きたい!」って言ってました(笑)。鴨川の何が子どもをそんなに惹きつけるんでしょう(笑)。でも、そうした空間の有無は大きな要因かもしれないですね。

ノイズは自分の知らない可能性に気づかせてくれる

三宅:鴨川でも大学の食堂でもいいですけど、大学生にとって、やっぱり「だべる」ことができる空間は必要だと思います。結局、本も一緒で、本にアクセスできるある程度大きな図書館とか書店がないと、読んでみようとはならない。だから、ノイズが発生しやすい空間というのは確実にあるはず。東京だと、会社みたいなキャンパスも多いなと感じます。


舟津:近い話をこの前、知り合いともしたんですよ。京都って本当にノイズのある、雑味のある街なんです。センシティブな表現かもしれませんが、フーコーが『狂気の歴史』で述べたように現代というのは、障がい者の方が街から消えた時代なんだと。つまり、効率化やデオドラント化のために障がい者を隔離して見ないことにした。でも、京都ではそういう人たちが今なお街に溶け込んでいて、分け隔てがない。

三宅:それは京都に住んでいてすごくわかります。

舟津:自分と異なる人というのは、ある意味でノイズです。でもだからこそ、いろんな可能性に気づける。「なるほど、世の中にはいろんな人がいるわけやな」と。ノイズが必要だと言える主たる理由の一つですね。多様性に気づくための、自分の知らない可能性を知るためのきっかけなんだと。

(7月24日に配信される第2回に続く)

(三宅 香帆 : 文芸評論家)
(舟津 昌平 : 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師)