「商品数を3分の1に減らした」銀座伊東屋のその後
銀座の老舗文房具屋、伊東屋の本店は、この赤いクリップマークが目印だ(撮影:今井 康一)
企業を取り巻く環境が激変する中、経営の大きなよりどころとなるのが、その企業の個性や独自性といった、いわゆる「らしさ」です。ただ、その企業の「らしさ」は感覚的に養われていることが多く、社員でも言葉にして説明するのが難しいことも。
いったい「らしさ」とは何なのか、にブランドビジネスに精通するジャーナリストの川島蓉子さんが迫る本連載。今回は銀座の老舗文房具店である伊東屋が「らしさ」を追求するために行った大改革を紹介します。
創業120周年を迎える銀座の老舗
東京・銀座4丁目の交差点から、中央通りを京橋方面に向かうと、右手に赤い大きなクリップが見えてくる。創業120周年を迎えた銀座伊東屋の入り口だ。いつ通りかかっても、売り場は多くの人で賑わい、楽しそうな空気が漂っている。そのありようが気になり、社長の話を聞いてみたいと思っていた。
1階奥にあるエレベーターで10階へ。扉が開くと、天井高のある広々とした空間が拓ける。大きな窓から光が降り注ぎ、モダンなテーブルや椅子が配されている。ここは「HandShake Lounge(ハンドシェイク・ラウンジ)」と名づけられたスペースで、企業や個人がミーティングやイベントでレンタルできるスペースだ。こういう場で行うミーティングなら、リラックスした気持ちになり、発想が広がりそうと想像が広がった。
現れた伊藤明社長は、「何を聞いていただいても大丈夫です」ときっぱり。シャープな語り口ながら、笑顔で語ってくれた話から、伊東屋や社員を愛し、仕事を楽しんでいる姿勢が伝わってきた。
伊東屋の創業は1904年、初代の伊藤勝太郎氏が、銀座3丁目に「和漢洋文房具」を扱う店を開いたのが発祥だ。日本のものはもちろん、欧米やアジアのものも含め、世界の優れた文房具を多くの人に伝えたいという思いのもと、店を構えた。
「勝太郎は私の曽祖父にあたるのですが、強い好奇心と実行力を持った人で、目の前のコトやモノから、次々と新しい可能性を見出していきました。その思想は、今も脈々と流れていると思います」(伊藤さん)
2005年に社長に就任した伊藤明社長(撮影:今井 康一)
2年かけて「伊東屋らしさ」をヒアリング
伊藤さんは日本の大学を卒業後、アメリカのアート・センター・カレッジ・オブ・デザインで工業デザインを学び、1992年、伊東屋に入社した。「当時の店は、商品があふれんばかりに詰め込まれていて、お客さまで賑わっているのですが、ワクワクする楽しさが感じられなかったのです」(伊藤さん)。社員も「言われたことをやる」姿勢の人が多く、未来を拓いていくのは難しいと感じたという。
改革のきっかけになったのは、伊東屋銀座のリニューアルだった。「伊東屋とは?」という問いについて、社員をはじめ、お客や取引先を含め、約2年の歳月をかけてヒアリングし、議論を重ね、『伊東屋らしさ』と題した冊子にした。
そして、そこでまとめたミッション、バリュー、ビジョンに基づき、新しい店の構成や内容を決めていった。銀座という立地も含め、伊東屋で過ごしてもらう時間と空間を、いかに有意義で心地よいものにするかに知恵と労を割いた。
豊富にモノが揃っていることが、楽しさや豊かさを意味する時代ではなくなっている中、伊東屋ならではの店構え、品揃え、接客など、次の時代に向けた“らしさ”を追求していったのだ。
「15万点もあった店頭在庫をほぼ3分の1に減らしたのです」(伊藤さん)。3分の1に減らすとはただ事ではない。基準はどこに置いたのか――。
「使い続けられるかどうかは、慎重に吟味したことの1つです」と伊藤さん。大量生産・大量消費という文脈に乗せ、微細な差別化を競った新商品を回転させていく仕組みは、時代の文脈とズレてきている。それより「気に入ったもの、センスのいいものを長く大切に使い続けるという価値観を伝えていきたいと考えたのです」。
自分にとって本当に魅力的なものは、年月を重ねるほど愛着が湧くし、壊れても直して使い続けたいと思うものだ。「時代で変わっていくものでなく、時代をつないでいくものという価値観を重視したのです」という伊藤さんの言葉には、確かなリアリティが宿っていた。
“らしさ”を体現する店の存在
2015年に建て替えられた伊東屋の店舗は、地下1階から地上12階にわたる細長い建物。各フロアは決して広くないが、ゆったりした居心地のよさが漂っている。窓から差し込む光の明るさ、インテリアに使われている素材のあたたかさ、什器のレイアウトの緻密さ、そしてもちろん、品揃えの豊かさや見せ方の工夫など、人の過ごし方に目を向けた店作りにしている。
随所で目にする店員とお客とのやりとりからも、「人」を中心に置いた商いを営んでいる姿勢が見て取れる。「お客様の豊かな体験を提供することを大事にしました」という伊藤さんの言葉が実践されているのだ。
一方、伊東屋オリジナルの商品も充実させている。さまざまな筆記具をはじめ、手帳やカレンダー、革小物まで揃っている。シンプルで上質でありながら、明るく楽しい雰囲気のデザインの商品が揃っていて、ここでも“らしさ”は発揮されている。
伊東屋オリジナルのボールペンとペンケース(撮影:今井 康一)
その他、1階には、オリジナルのドリンクスタンドが設けてあるが、お客はここでオーダーしたものを飲みながら、店内をめぐってもいいという。
伊東屋銀座は、過ごす時間と空間の豊かさを提供する『伊東屋らしさ』を体現しているのだ。ブランドを象徴するリアルな場があることが、お客にとっても社員にとっても有用に働いている。
銀座店が備えているこの世界観は、他店舗にもっと盛り込まれていったらいい――そんな欲張りな思いを抱いてしまった。
伊東屋がミッションとして掲げているのは「クリエイティブな時をより美しく、心地よく」だ。「私たちがサポートさせていただきたいのは、前向きにクリエイティブな仕事をしている人であり、その環境が美しく心地よくあってほしいと考えています」(伊藤さん)。
クリエイティブな仕事というと、建築家やデザイナーなど、限られた職種と捉えられがちだがそうではない。自分の仕事をおもしろがり、日々、何らかの工夫を重ねている行為にはクリエイティブが宿っている。「僕自身も気持ちよく仕事したいので、『美しく、心地よく』という文言を入れました。
オリジナル商品も強化していきたいと話す伊藤社長(撮影:今井 康一)
パリの“メゾン”のような在り方目指す
冊子『伊東屋らしさ』について、この秋には改訂版が出るそうだが、基軸は変えずにディテールの見直しを行った。ともすると、この手のブランドブックの改訂は、全面刷新となり、受け取る社員が戸惑うケースが少なくはない。だが、こうやって基軸をぶらすことなく丁寧に見直し、磨いていくやり方は、ブランドを鍛えていくのに有用と感じた。
伊藤さんはまた、銀座通連合会副理事長という役割を務めており、銀座の街をよりよくしていく活動にも力を注いでいる。「パリで、いわゆる“メゾン”の地位を獲得しているブランドは、自ら商品の企画から製造、販売までを一貫して行っていて、うちもそこを目指しています」(伊藤さん)。
目の前にお客がいて、そこに向けたものを作ったり選んだりし、買ったお客が愛用することで信用を得ていく。その積み重ねにこそ、“らしさ”が宿り、ブランドとしての価値が培われていく。伊東屋の強みはそこにあり――伊藤さんの話を聞きながら、そんなブランドのありように思いが及んだ。
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(川島 蓉子 : ジャーナリスト)