『虎に翼』写真提供=NHK

写真拡大

 ついに猪爪家の我慢の限界が来て、家族会議が開催された。朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』の第15週「女房は山の神百石の位?」では寅子(伊藤沙莉)がアメリカに視察に行くほど法曹界では一目置かれる存在になり、密着取材もされて、ちょっと鼻高々になっていたところ、矢継ぎ早に問題が起こる。

参考:高橋努と伊藤沙莉が“ガオーポーズ” 『虎に翼』竹中記者と寅子のオフショット

 最高裁長官(矢島健一)とラジオ出演したときに、長官の意見にたてつくようなことを言った直後、寅子は新潟に異動を命じられる。娘・優未(竹澤咲子)を連れていくという選択になるのも当然ではあるが、花江(森田望智)をはじめとして家族は反対。そこで寅子ははじめて、優未がこれまで自分によそ行きの顔を繕っていたことを知った。本心を装っていたのは優未だけではなく、家族全員、寅子に気を使っていた。

 仕事も家庭も悩みだらけ。後輩の女性司法修習生たちが影で寅子を批判しているのを聞いてダメージを被ったうえ、離婚調停の逆恨みで、当事者・瞳(美山加恋)に剃刀で斬りつけられるという事件も起こる。世間に寅子はこれまでいなかった法曹界における「女性の味方」であるというイメージが世間に浸透し、期待に応えてもらえないという落胆からの犯行であった。寅子は、女性や弱者を贔屓するわけではなく、冷静に平等に事態を見極めて、正しく判断するだけなのだが、彼女の気持ちは伝わらない。

 事件の遭った日、家族に竹もとの団子をお土産に買って帰るという気遣いをおそらく珍しくしようとした寅子。斬りつけられて呆然とした感じでたぶん、団子を持って帰り、家の外から様子をうかがうと、家族がカルタ遊びに興じている。そこでの優未の笑顔は見たことのないもので、寅子はおもむろに「家族会議」を行い、自分のだめなところを皆に正直に述べてもらう。それはさんざんな(でももっともな)意見だった。

 一方、寅子の異動を決めた桂場(松山ケンイチ)は、寅子がいまや優秀すぎて、権限のある先輩たち(多岐川、久藤、桂場)からも好かれ過ぎていているから、もはや弱者ではないため、いったん地方で地盤を作るほうがいいと言う。それを多岐川(滝藤賢一)は「とびきりの愛」と絶賛。こうして寅子は仕事も家庭もやり直すため、優未だけを連れて新潟へ向かう。昭和27年(1952年)の出来事である。

 1週間のうちに、長官を怒らせ、地方異動になり(一応出世ではある)、家族に不満を述べられ、後輩からは陰口をたたかれ、担当していた案件の当事者に斬りつけられ……と高く登ったはずの足元が一気に崩れるとは、アメリカの方角が彼女の運勢的に悪かったのではないか。というのは冗談として、崩れるときは一気にくるものなのである。本を積み上げていったとき、下のほうがほんの少しずれているとある瞬間、ぐらりとくる。ジェンガゲームも然り。

 さて。モデルの三淵嘉子はどうだったのか、と気になるもので。出版されている彼女に関する書籍を参照すると、三淵は自ら地方異動を望んだとある。ドラマの取材を行っている清永聡の著書『三淵嘉子と家庭裁判所』の37頁に、三淵が昭和27年、名古屋地方裁判所に異動になった章があり、“嘉子は「女性でも男性と同じように、転勤しなけれなならない」と考えていた。ここでも彼女は家庭裁判所を希望せず、地裁民事部へと異動した”とある。また、『女性法律家 復刻版』では、三淵自身が「女性裁判官と転勤」についての文章を綴ってもいる(「私の歩んだ裁判官の道」より)。それによれば当初は、既婚女性は地方勤務がしづらいとはいえ、男女平等に即して人事がおこなわれていたが、昭和30年頃には“転勤の際に家庭的配慮が必要な女性裁判官は扱い難いとして”その採用を敬遠する動きが現れてきたそうだ。三淵は、何かのときだけ女性の特性を盾にすることなく、どんなときでも平等に考える人であったのだろう。この部分は、前述の、瞳にがっかりされた妙に潔癖な寅子の考え方と合致するように感じる。

 ドラマでは、寅子は自ら地方勤務を望んだようではない。思いがけない流れに戸惑い、揺れながら、桂場に説得されている。あまりに寅子が立派すぎると近寄りがたく共感できにくいとは思う。だからドラマでは、寅子を、完璧ではない、しょっちゅう間違えてしまう発展途上の人物として描くのだろう。さらにそこに独特の工夫を感じる点がある。令和的コンプライアンスの遵守である。桂場が、寅子を優秀過ぎる、好かれ過ぎていると寅子をリスペクトすることがそれに当たる。また、第14週で、穂高(小林薫)が寅子に自ら謝罪に来て、君を誇りに思うと称えていたことも同様であろう。寅子を気遣う桂場や穂高が、令和のZ世代に気を使う上司のように見えるのだ。穂高と寅子の場面は、瞳が寅子になんでわかってくれないのか、と嘆いたのと何ら変わりがないという皮肉も感じる。

 ちょうど、『虎に翼』とキャストがかぶる映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』では、『虎に翼』で心優しい優三さんを演じた仲野太賀が「ゆとりモンスター」と言われる山岸を演じている。彼の先輩に当たる、ゆとり世代の先輩・坂間を演じているのは、『虎に翼』でこれから活躍しそうな星航一を演じている岡田将生だ。山岸は坂間のパワハラを指摘し追い込むようなことをしていたが、やがて、自身がZ世代の先輩になったとき、その言動をことごとく指摘される側となり、「持続可能な働き方を見出す時代」なのだと諭される。

 寅子は山岸と同じ道筋を歩んではいないか。いや、寅子の場合は、穂高や桂場にはまだ気を使われながら、じょじょに後輩や家族に煙たがられはじめている間(はざま)にいる。まだやり直せるというところでの新潟行きであろう。娘のために過去と名前を捨てて日本人として生きる決意をした香子(ハ・ヨンス)と、取り返しがつかないことになる前に娘との関係性を作り直したいと考える寅子の対比も印象的だ。

 令和のいま、企業はコンプライアンスの名のもとにあらゆる言動にひじょうに気を使っている。映像界では、どんなに昔の時代を描いたドラマでも喫煙シーンを出さないように、描写に気を使う。ゆえに、登場人物の欠点を誰かが批判するのではなく、傾聴し受け入れ、リスペクトする、そんな描写になっている。『虎に翼』にはそれを感じるのだ。これも慣れないとなんだか違和感で、これもまさに令和的だ。

 そして、いつの世も、若い世代の登場で上の世代が淘汰されていくもので、若い世代だった者はやがてまた若い世代の登場で古いとされていく。まさに第14週、第70回で穂高が言っていた「出涸らし」の話である。「佐田君、気を抜くな。君もいつかは古くなる。つねに自分を疑い続け、時代の先を歩み、立派な出涸らしになってくれたまえ」のセリフのごとく。

 ちなみに、モデルの三淵が新潟勤務になるのはもっと先で、まずは前述のように名古屋に異動し、東京に戻ってから新潟に行き、そこで女性初の裁判所長になる。昭和47年(1972年)のことだ。モデルの新潟勤務を20年も前倒しにしたのはなぜなのか。今後の展開に刮目していきたい。(文=木俣冬)