▲作家の島田明宏さん

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【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】

「ユーチューブで馬のオークションを見たんですけど、すごい値段がついてましたね」

 理容室のマスターが、私の頭頂部付近の毛髪を注意深く整えながら言った。

 彼の言う「馬のオークション」とはセレクトセールのことだ。競馬を知らない人にセレクトセールについて説明するとき、私はだいたい次の3つのネタを伝える。

 まず、あの可愛らしい仔馬の平均売却価格が6000万円台(一昨年までは5000万円台)であること。次に、セリを見ていると金銭感覚が麻痺してきて、会場に展示してあるフェラーリやランボルギーニなど数千万円の高級車がお手頃価格に見えてくること。そしてもうひとつが、億単位の馬を購入したオーナーや関係者を、周囲は「おめでとうございます」と祝福すること、だ。

 高額商品を買って「おめでとうございます」と言われるケースはほかにあるだろうか。車のセールスマンにそう言われることはないし、土地やマンションでもないだろう。しかし、その不動産が人気のある物件で、高倍率の抽選をくぐり抜けて購入したものだとしたら、「おめでとうございます」と言われるのかもしれない。

 この場合のポイントは「抽選」である。欲しがる人がほかにもいる、ということだ。セレクトセールを主催する日本競走馬協会の会長代行でもある社台ファームの吉田照哉代表が言っていたのだが、お金持ちというのは、人が高値をつけたものほど欲しくなるらしい。金を持っていない人間でも、人が欲しがるものを欲しいと思うのは自然なことだ。みなが欲しがるものを文字どおり「競り」合って、それに勝って手に入れる。「勝者」になるのだから、「おめでとうございます」と言われるのも納得である。

 セレクトセールに関する3つのネタを聞いた理容室のマスターは、「そうなんですか」と笑いながら私の頭頂部周辺にハサミを入れつづけた。その間ずっと私は彼の目の動きを注視していたのだが、見てはいけないものを見たようには感じていないようだった。

 当欄でしばらくハゲネタを扱っていないのは、症状が著しく改善も悪化もしていないからである。急速に進行したら、本文ではなく、コラムのタイトルバナーの写真で発表することにしたい。そのほうが男らしい――と書こうとして、手術なしでも男性から女性への性別変更が広島高裁で認められたというニュースを思い出した。性同一性障害特例法では、生殖機能をなくし、変更後の性別に似た性器の外観を備える手術をすることが事実上の要件のひとつとされていたのだが、当事者はホルモン治療で女性的な体になっており、手術をしなくても外観の要件は満たされているとみなされたようだ。

 しかし、外観の要件が満たされているかどうかは裁判官の主観によるところがあるはずだし、手術をして認められた人が不公平感を抱くのではないか。ヒゲのオッサンが「俺は女だ」と言って女湯に入ることが認められたわけではないのだからいいのかもしれないが、個人的には理解に苦しむ一件である。

 もし、男性騎手が女性への性別変更を認められたらどうするのだろう。JRAの場合、女性騎手は4kg減でデビューし、101勝以上して見習騎手ではなくなっても◇の2kgの減量となるのだが、それが適用されることになるのか。たくさん勝つ騎手だったら、「女性騎手」としての記録の整理も大変になる。考えてみれば、それは今回の広島高裁の決定が出る前からあり得ることだったわけだ。

 1936(昭和11)年、岩手出身の斉藤すみ(澄子)が、日本で初めて女性として騎手免許を取得した。しかし、翌年発足した日本競馬会の新たな規程に「騎手にありては満十九歳以上の男子にして、義務教育を修了したる者とすることを要す」とあったことにより、騎手への道を閉ざされた。

 すみは、髪を短くし、さらしを巻いて胸を押しつぶすなど、女性であることを隠して修業していた。やがて周囲に努力と実力が認められ、女性であることを公にしたうえで騎手免許に合格することができた。

 だが、それでも夢を叶えることができなかったのだ。男として振る舞うべく、好きでもない酒やタバコをやるなど体に負担を強いたことが響いたのか、すみは28歳という若さで病死した。

 すみの生涯を振り返ると、時代は変わったものだとつくづく思う。

 と、ここまで書いたとき、藤田菜七子騎手が結婚することをニュースで知った。おめでとうございます。