昭和から現存する芝唯一のレコード サッカーボーイの足跡を振り返る
様々な技術が発達し、競馬界も日々大きな飛躍を遂げている。そんな中にあって芝コースのレコードとして80年代のもので唯一、そして昭和のものとしても唯一更新されていないのが函館芝2000mである。レースは88年の函館記念、そしてマークしたのはサッカーボーイ。栗毛の美しい馬体から「テンポイントの再来」とも呼ばれた優駿の足跡を振り返る。
サッカーボーイは父ディクタス、母ダイナサッシュ、母の父ノーザンテーストの血統。85年に北海道白老町の社台ファームで生まれた。87年に栗東・小野幸治厩舎からデビュー。阪神3歳Sでは単勝1.9倍の1番人気に推され、直線で後続を突き放して8馬身差の圧勝。勝ち時計の1分34秒5は、ヒデハヤテが71年の阪神3歳Sでマークしたコースレコードを0秒6も更新する優秀なものだった。この走りが75年の阪神3歳Sを7馬身差で制したテンポイントを想起させるものだったことから、早くも「テンポイントの再来」の呼び声が上がった。
しかし、3歳(当時4歳)となって以降、弥生賞が3着、NHK杯が4着と苦戦が続いた。1番人気に支持された日本ダービーでも15着に大敗。それでも中日スポーツ賞4歳Sで復活の重賞2勝目を挙げる。そして迎えたのが古馬との初対決となる函館記念だった。
この年の函館記念は超豪華メンバーだった。2頭の日本ダービー馬、メリーナイスとシリウスシンボリに加え、前年の牝馬2冠を制したマックスビューティも参戦。そんな強豪を押しのけて、サッカーボーイは単勝2.2倍の1番人気に推された。レース序盤は後方に位置したが、3角から外を進出。4角で前に並びかけると、その後は独走だった。2着のメリーナイスに5馬身差をつけて、堂々の重賞連勝。勝ち時計の1分57秒8は、86年の函館記念でニッポーテイオーがマークしたコースレコードを0秒8更新。さらにはサクラユタカオーが86年の天皇賞(秋)で樹立した日本レコードも0秒5更新した。
その後、マイルCSを圧勝して、2つ目のGIタイトルを獲得。年末の有馬記念で3着となった後、翌年も現役を続ける予定だったが、ケガのため引退に追い込まれた。種牡馬としてはナリタトップロードやヒシミラクル、ティコティコタックなどの活躍馬を輩出し、母の父としても多くの重賞ウイナーを送り出している。父系を伸ばすことこそ叶わなかったが、函館芝2000mのレコードタイムはおそらく、今後しばらく更新されることはないだろう。そしてその名は後世まで語り継がれていくはずだ。