「失敗の世代」から「黄金世代」へ。”メッシと仲間たち”はいかにして世界一の称号を手にしたのか――
![母国を世界一に導き、英雄となったメッシ。21年に引退した盟友アグエロも、ピッチ上で喜びを分かち合った。(C)Getty Imges](https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/e/3/e375f_1429_3ed15dd6_b8c43e79-m.jpg)
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その英雄伝説は、苦楽をともにした仲間の存在なくして語ることはできない。とくに88年生まれのアンヘル・ディ・マリア、ニコラス・オタメンディ、そしてセルヒオ・アグエロ(21年12月に現役引退)の3人は、87年生まれの先輩メッシを支える重要な役割を果たしてきた。この4人がいわゆる“黄金世代”の代表格である。 だが彼らを黄金世代と呼べるようになるのは、22年のカタールW杯で優勝を成し遂げてから。それまでは、あろうことか「失敗の世代」と揶揄されてきたのだ。 旅の始まりは05年のワールドユース(現U−20W杯)。内向的な性格でグループに溶け込めずにいたメッシを救ったのはアグエロだった。その純真無垢で飾り気のない人柄に心を開き、チームに馴染んだメッシは、大会MVPと得点王に輝く大活躍で優勝に貢献。これがアルビセレステ(空色と白)のユニホームを着て最初に獲得したタイトルとなった。 続く07年のU−20W杯では、A代表の一員としてコパ・アメリカに参加していたメッシが不在の中、MVPと得点王を受賞したアグエロ、3ゴール・2アシストをマークしたディ・マリアがチームを牽引して連覇を達成。3人は翌08年には北京五輪に出場し、金メダルを獲得した。本大会で揃って2ゴールずつを記録した攻撃トリオは、文字通りA代表の未来を担う新時代の旗頭として期待されるようになった。
しかしこの頃から、ペップ・グアルディオラ率いるバルセロナでメッシが活躍すればするほど、母国のメディアやサッカーファンの間で「代表では輝きを失う」といったメッシへの厳しい意見が出始める。そして10年W杯と自国開催の11年コパ・アメリカでノーゴールに終わったことで批判の声はさらに強まり、国内ではアンチ・メッシの風が吹き荒れた。 そんななか、11年のコパ・アメリカ終了後に代表監督に就任したアレハンドロ・サベーラは、メッシをキャプテンに任命。指揮官の思いに応えたメッシは、14年W杯の南米予選で文字通りチームを背負って奮闘し、ブーイングを拍手喝采に変えてみせたのだ。 ようやく母国のサポーターに受け入れられたメッシだったが、苦難は終わらない。14年W杯、15年と16年のコパ・アメリカと3大会連続の準優勝にショックを受け、代表引退を表明したのだ。その後周囲の説得などもあって撤回したものの、チームは下降線を辿り、18年W杯ではわずか1勝しか挙げられずにベスト16敗退に終わった。
そんな状況を一変させたのが、かつて06年W杯などでメッシとともにプレーしたリオネル・スカローニだ。18年11月に就任した青年監督は、個を重視したスタイルに大きく舵を切る。この転換が功を奏し、21年コパ・アメリカで、A代表としては28年ぶりとなるタイトル獲得に成功。ようやくプレッシャーから解放された“メッシと仲間たち”は、続くカタールW杯では、エンソ・フェルナンデスやフリアン・アルバレスら新世代の若手とも融合し、悲願の世界王者に輝いたのだ。 優勝後、ディ・マリアは「君がどれだけこのタイトルを望んでいたかよくわかっている」と涙目で語りながらメッシを抱きしめ、オタメンディは自身の身体にW杯のトロフィーに触れるメッシの姿をタトゥーで刻み込んだ。喜びも悲しみも分かち合ってきた同世代の強固な絆と、母国のために重圧を一身に背負ってきたメッシへの敬愛の表われだろう。 ワールドユース優勝から17年後に世界一となり、ついに黄金の輝きを放った“メッシ世代”。だが、大冒険の途中には、ワールドユースの初戦で控えだったメッシをスタメンで起用するよう監督に進言したパブロ・サバレタ、的確なパスでメッシを活かしたフェルナンド・ガゴ、そしてメッシ、アグエロ、ディ・マリアとともに“クアトロ・ファンタスティコス”(4人のファンタジスタ)と称されたゴンサロ・イグアインといった功労者たちがいたことを忘れてはならない。文●チヅル・デ・ガルシア※ワールドサッカーダイジェスト5月2日号の記事を加筆・修正