北朝鮮に「レッドアラーム」のウラで、日本、韓国、北朝鮮に「いま起きている本当のこと」

写真拡大 (全4枚)

イ・テギョン先生からの連絡

6月に入ってイ・テギョン先生から訪日すると連絡を突然もらった。

イ・テギョン先生は1952年、山口県下関市で生まれで、小学校から下関朝鮮初中級学校に通ったが、1960年、在日朝鮮人の帰還(北送)事業により家族で北朝鮮へ渡った人物である。

北朝鮮では1971年、朝鮮人民軍に入隊、1986年にP医学大学を卒業、医学研究所の研究院を経て、2001年に平壌近郊の病院長になった。

そして2005年に脱北するが、ヤンゴンで「不法入国」の罪に問われて2年3ヵ月服役し、2009年に韓国入国。いわゆる「在日脱北者」である。

現在は韓国で「北送在日同胞協会(帰国事業で北に送られ脱北した在日の支援団体)」の会長として活動をされている。北送在日同胞協会に登録されている「在日脱北者」は約50名ほどで、私は韓国で多くの脱北者と積極的に会い話を聞いてきた。

イ・テギョン先生は最初、私に自分の原稿を世に出す手段の相談で出向いて来た。その甲斐あって、去年は自身の書籍『囚われの楽園』を上梓した。今回の訪日はその本を読んだ下関の同じ在日の先輩が書籍の内容に感銘を受けて、自身で連絡先を探しての訪日招待となった。

イ・テギョン先生は8年前に一度、生家のある下関に訪れているという。

私たちは何も知らない

その時は誰にも知られずひっそりと訪れて韓国へ帰ったが、今回はその先輩のおかげで長年の希望だった同級生や組織、学校関係者にも会って歓迎されたという。訪日初日にこの歓迎会が行われ、私は遠慮して翌日から合流したが、イ・テギョン先生のこんなに嬉しそうな顔は初めて見た。

これまで北朝鮮で生まれ、故郷を思い、「できることならば日本に帰りなさい」という母親の遺言を胸に脱北し、いまは韓国に住み、時には無性に日本を恋しがっていたことを私は知っていた。

ただ、この歓迎は60年ぶりに会うことへの歓迎で、決して北朝鮮の体制やイ・テギョン先生の地獄の人生についての話はほとんどなかった様だ。招待して主催してくれた先輩はそんなことを十二分に理解しているだけに、最初の対面の場所では重い対面にならない様に気を使った結果なのかもしれない。

それにしても、我々は北朝鮮のなにを知っているだろうか。北朝鮮からの脱北者から聞き知り感じることなのだが、日本でも韓国でもやはりまだまだその実態は多くに知られていないと思う。

そうした中で、北朝鮮を無批判に擁護する人たちを一部で見ると、いつも唖然としてしまう。イ・テギョン先生も、北朝鮮に傾倒して擁護活動を行なっている者たちに対して「それならば国に行って、暮らしてみてはどうか」と話すが、その一言は重い。

日韓の接近に伴って

そうした中で、最近、各地方にいる後輩からいろんな話が舞い込んでくる。そんな話の中で興味深いのは、北朝鮮が韓国との「平和的祖国統一」を放棄し、韓国を「第一敵対国」と宣言し、武力統一の準備に入ったことで、色々なことが変わり始めているというのだ。現在のような北朝鮮の状況を踏まえて、「もう組織から独立したい」という人も増えているという。

北朝鮮の平和的祖国統一放棄によって、これまでの組織活動に「大義名分」がなくなったことは確かだろう。

日韓が接近し、北朝鮮は韓国や日本との距離を広げつつある。中国は台湾危機を煽り、ロシア、アメリカなどを巻き込んで東アジア全体に不穏な空気が漂っている。いま確実に変化が起きていることは間違いないし、北朝鮮に「レッドアラーム」が灯り、それが何かしらの「導火線」になるリスクも高まっているといえるだろう。

さらに連載記事『韓国が「一人当たり国民所得で『日本』を初めて超えた」騒動のウラで、在日3世の私が直面した「意外な違和感」』では、いま韓国で起きている“もう一つの異変”についてレポートしよう。

韓国が「一人当たり国民所得で『日本』を初めて超えた」騒動のウラで、在日3世の私が直面した「意外な違和感」