なぜ18年経っても“都内の道路”開通しない? 理由は「約200のお墓」何が問題? 寺側移転同意も…長い時間掛かるワケ
工事に着手してから既に18年が経過も…いまだ開通しない道路とは
東京都練馬区内には、整備がほとんど終了していながら未開通となっている道路「放射第7号線」が存在します。
この道路の真ん中には約200基にもおよぶ「お墓」が立ち並んでいますが、なぜ立ち退きが進んでいないのでしょうか。
東京都は千代田区九段北から練馬区西大泉までを結ぶ延長約19.3kmの都市計画道路「放射第7号線」の整備を進めており、この道路は将来的に都心から埼玉県狭山市までつながる予定です。
【画像】「え…!」ここが“18年間も未開通”の場所です。画像を見る!
特に放射第7号線のうち、練馬区大泉学園町2丁目から同区西大泉5丁目までの2km区間については並行する道路の交通渋滞の緩和や、公共施設へのアクセス向上などの効果が期待されています。
しかし同区間は工事に着手してから既に18年が経過し、道路のほとんどの整備が終わっているにもかかわらず、未だ開通していません。
大泉学園町2丁目側は入口部分がフェンスで囲まれ、西大泉5丁目側についてもガードレールによって通り抜けできない状態となっています。
この区間を航空写真で確認すると、大泉学園町寄りの部分に道路を横断するような形で約200基ものお墓が立ち並んでいるのが分かります。
このお墓の立ち退きが進んでいないため道路も開通できない状況が続いているのです。
では、具体的にはどのような問題があるのでしょうか。
そもそも、放射第7号線は終戦後すぐの1946年に決定した都市計画です。
そのうち大泉学園町2丁目から西大泉5丁目までの区間については2006年に国の事業認可を取得し、その後用地買収が終わった場所から順次道路の建設が進められてきました。
そして約200件の住宅が立ち退いた結果、用地取得が済んでいないお墓の部分がポツンと残されるような形となったのです。
事業を進める東京都建設局の話によると、2022年度末現在で同区間の98%の用地取得が完了しています。
お墓がある場所は500年以上前に創建された由緒あるお寺であり、これまで地域の人々の菩提寺として親しまれてきました。
実はお寺側も立ち退き自体には同意しているものの、お墓の移転をめぐってさまざまな問題が生じているため、立ち退きが難航しています。
お寺の住職によると、約200基のお墓のうち都市計画道路にかかっているものは約130基であり、残りの約70基のお墓については移転の対象となりません。
東京都はあくまでお寺の本堂と道路計画にかかる部分のみの移転を求めています。
住職は本堂とすべてのお墓を合わせて一つのお寺と考えていますが、東京都から提示された代替地ではすべてのお墓が移転できず、お寺が分断されてしまいます。
このような事情から、東京都との話し合いは平行線をたどっています。
加えて、お墓の移転に際してはお墓の持ち主すべてに「改葬」と呼ばれる手続きの同意を得なければならないほか、移転先の周辺住民に対しても説明会を実施する必要があるなど多大な労力がかかるため、容易には移転ができないといえるでしょう。
なお、1962年頃にはお寺の上に放射第7号線を開通させる計画が決まっていたようですが、どのような経緯で決定したかについては判明していません。
この区間の開通問題についてSNS上では「お墓を全部立ち退きの対象にしてあげたら良いのに」「いっそのこと、お墓を乗り越えられるように陸橋を作るとかできないのかな」といった意見が寄せられました。
ほかにも「お寺は檀家さんになかなか連絡がとれない、親族が見つからないといった問題があるらしい」「一基ずつご遺族立ち会いのもと供養するのって相当大変だよね」など、寺側の負担を心配する声も聞かれます。
また地域住民からの反響について、東京都建設局の担当者は「報道等によりさまざまなご意見があることは承知しております」と話しています。
さらに今後の方針に関し、お墓の立ち退きなど個別の状況については回答を控えるとした上で、次のように説明しています。
「道路整備については、整備が進んでいる区間もあるため、部分的な交通開放に向けて検討してまいります。
今後とも、地元の皆様のご理解・ご協力を得ながら事業を推進してまいります」
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放射第7号線上にあるお墓の立ち退きに関しては、お寺と東京都の間で移転条件が合意に至っておらず、現段階で話し合いは平行線の状態です。
もし仮に移転条件がまとまったとしても、お墓の移転には膨大な手続き・労力が必要となるため、開通までには長い時間を要するものとみられます。