閉店間近!『手打うどん かるかや』 西武池袋本店で56年続いたデパ屋グルメの開拓店を地元出身ライターが実食
西武池袋本店の屋上で長らく営業している『手打うどん かるかや』が、2024年6月30日にその幕を閉じることになった。その一報を知り、別れを惜しむ人が数多く押しかけているという。そんな池袋の名店、これまで幾度となく足を運んできた地元出身のライターが実食レポート。今どうなっているのか、お届けします。
Xで駆け巡った“噂”が現実に……
ところは西武池袋本店屋上。
讃岐うどんの名店、『手打うどん かるかや』が閉店するらしいーー。
その噂がXに投稿されると、情報は瞬く間にネットの渦を駆け巡った。生まれてこのかた40数年、池袋に生きるわたしにとって、まさに寝耳に水の衝撃だった。
そして同時に、甘い思い出が去来した。
いまやその存在が、昭和レトロの象徴として愛好されているデパートの屋上、通称「デパ屋」。
かつて人びとの非日常な高揚感を引き立てていたデパートという存在の、さらに屋上というのは、「どこにも属さないロマン」をかきたてる場所でもあった。
当たり前の話だが、デパートを訪れる人のほとんどは、ビルのテナントに用事がある。目当ての買い物をしたり、お好み食堂でちょっとよそいきの食事を楽しんだり。
デパ屋というのは、そうした目的のさらに後にある場所だった。
歩き疲れたご家族連れが休憩したり、ちょっと仕事をさぼったサラリーマンが足を伸ばしたり、土・日には着ぐるみショーに子どもが歓声を上げたり、釣り堀で糸を垂れるおじさんがいたり――。
ここばかりは地上のぎすぎすから自由であって、空に一番近い場所としてのくつろぎが広がる場所だった。
そんな市民の憩いの場、池袋西武のデパ屋に、『かるかや』は、ある。
「なんとなく過ごす」ことが美徳のデパ屋において、池袋の人間にとっては「『かるかや』でうどん食べよう」と、明確な目的ともなりうる、まさにソウルフードと呼べる店である。
創業ははるか56年前、1968年のことだった。
三億円事件が起き、川端康成がノーベル文学賞を受賞した年、それは全国に讃岐うどんブームが訪れる2000年ごろよりはるか昔のことである。
機械を使わずすべて手作業となる製麺によって、手打ちならではのコシと乱切りのアクティブ感、そして何より、早くて安くてうまいところが、人びとを魅了してきたのだ。
地元民に愛される「隠れスポット」だった当店が、一躍スターダムに上がったのは、久住昌之原作、谷口ジロー作画によるハードボイルド・グルメ漫画『孤独のグルメ』にピックアップされてからだろう。
かねてより人気の高かったローカルな名店が、全国規模の漫画読者に知られることとなり、お店の賑わいはますます盛んとなった。
その勢いは衰えることなく、2015年に池袋西武の屋上が「食と緑の空中庭園」と銘打ち美しくリニューアルされた際も、この1店舗のみ変わらぬ姿で営業を続けてくれたのである。
以降も行列の絶えない名店として、池袋の人びとは、『かるかや』の永遠を信じて疑わなかった。
しかし――。
時代の趨勢もあったのだろう、ついに2024年6月30日、名店はその幕を閉じる。
ここから記すのは、池袋西武から閉店情報が公表されるその「前夜」、噂が飛び交ったある日の訪問ルポルタージュである。
行列、麺切れ、別れを惜しむ人が店に押し寄せる
Xのポストを経た5月20日過ぎには、まことしやかな噂が瞬く間に50人を超える大行列を呼び、14時前には完全に「麺切れ」のため店じまいする、という営業になっていた。
行列をさばくレーンも格段に長く設置され、さながらアトラクションのようであった。
ご多分に漏れず、噂を聞いて昼過ぎに駆け付けたわたしも麺の提供に間に合わず、「うどんが品切れのため」という見慣れぬポップを前に、涙を飲んだ。
ならば、狙うは「開店時刻」だ。翌朝の再訪を決めたわたしは、作戦を練った。
せっかくならば口開けの客になってみたい。
10時開店よりも先にと、池袋西武に向かったのである。
ミッションはこうである。屋上庭園のある本館9階にスムーズに上がるためには、1階入口からの入店では遅れをとる。ならば第1陣のエレベーターが出る、地下入口で待機すべきだろう。
策を講じたつもりであるが、朝方、意気揚々と地下入口に向かうと、開店前にはすでに多くの人が詰めかけていた。これは焦る。
そして運命の10時が訪れた。
西武のスタッフさんの深々としたお辞儀と、鳴り響くチャイムに合わせて、エレベーターへの誘導が始まる。
すると、乗り合わせたお客さんの多くが、「9階」のボタンがすでに光っていることに気付いて指を引っ込めている。どうやらご同輩らしい。
そして満載の人びとを乗せたエレベーターが9階にたどり着くと……。
なんと、ダッシュ!
目的地を定めた人びとが、わき目もふらずに、かるかやの行列に群がるのである。のんきが取り柄のデパ屋において、不思議な光景ともいえる。
はやる気持ちを抑えながら、「押さない駆けない」を守って行列の後に並ぶと、開店待ちをしたというのに、たどり着けたのは10人目ほどであった。
事前に、オーダーするものは決めてあった。池袋民の血となり肉となっている、一番人気メニューの「つけうどん(冷)」(550円)。
のれんに首を差し入れて、最小限の言葉でお願いする。スピード感のある提供も『かるかや』ならではの仕組みであって、注文して脇の割りばしをいただくころには、お盆にトンと乗っている。
レジ脇に置かれたビール缶のディスプレイにむしょうに惹かれ、「スーパードライ」(500円)も追加で注文する。
時刻は朝の10時とちょっと。この背徳感がたまらない。
後に並ぶ人の動線を考えて、つけ汁に七味とゴマをいただいてからスッと抜け、お盆を持って座席をサーチ。せっかくなのでお店がよく見える特等席にひとり座る。
早々に品切れのメニューも
ようやくひと心地つくと、あらためてお盆の中身に惚れ惚れとする。
たっぷりの熱湯で茹でられ、冷水で締められて、わしわしと切り立つうどんの山。
職人の手による包丁さばきが光る麺は、敢えて太いものも細いものも混じっているので、食感の違いを歯ざわりからも楽しめる。
現代的なバリ堅の讃岐うどんに慣れた身にはやわく感じるその麺も、創業当時には池袋民にフレッシュなのど越しとして届いていたことだろう、と思いを馳せる。
「うどんは堅ければよいというものではない」と歴戦の識者たちが語るのももっともで、ほろっとした側面のやわさが、半ばの官能をともなって舌に迫る。
つけ汁はこっくりと深いブラウン色の水面をたたえ、その底にとろりとした生卵を横たえているのを、見えずして楽しむのが一興だ。
昨今の賑わいや世情も反映してなのか、「揚げ玉サービス」がなくなったのは残念だが、正規メニューだけでも充分な量の揚げ玉が投入されており、見た目にも満足感がある。
そこに関東風の白ネギを刻んだものが撒かれており、口中の爽やかさにもひと役を買う。
箸を取り、夢中でたぐり寄せ、ふと思い出したように缶ビールを喉に注ぐ。
すると、お店の方から「すいませーん、昆布うどん品切れでーす」と声が聞こえる。
時刻にしてまだ10時25分ごろ。あまりのスピード感にくらくらしてしまうけれど、こんな声を聞けるのも、あとわずか。
うどんの最後の1本をいとおしみながら飲み込み、あたりを見回せば、あらゆる年代のファンたちが「お気に入りの一杯」に立ち向かっていた。
そう、デパ屋には「あらゆる人」のくつろぐ姿がよく似合う。
遊びたそうなお子さんを膝に乗せ、ひと口ずつうどんを運ぶお母さんたち。
仕事の合間なのだろう、背広をちょっと脱いで湯気に巻かれるおじさんたち。
お互いの写真を撮りながら、時間をくつろぐ若いカップル。
ひとたび地上に戻れば役割をあてられる人びとが、この中空では自由になれる。
そんな自由の翼を授けてくれた、ワンコインの幸せが、いま幕を閉じる。
『かるかや』の見せてくれた幸せは、長かった昭和の夢の「しっぽ」のようなものだったのかもしれない。
■『手打うどん かるかや』
[住所]東京都豊島区南池袋1-28-1 池袋西武本館9階屋上
[電話番号]なし
[営業時間]10時〜20時半(19時半LO※売り切れ次第終了)
[休日]無休
[支払方法]現金のみ
[交通]JR山手線ほか池袋駅東口から徒歩すぐ
文・撮影/森田幸江
1979年生まれ。日本女子大学文学部日本文学科卒業後、講談社雑誌編集、アメリカ大使館フードライター、芸術祭ライター等を経て、フリーランスの著述業に。熱波師、温泉ソムリエ、サウナ・スパ健康アドバイザー、高齢者入浴アドバイザー、銭湯検定3級などの資格を所持するサウナ研修家であり東京銭湯お遍路。