奇想天外な企画を次々と繰り出す「箕輪家」店主・丸山紘平さんとはどんな人なのか(写真:筆者撮影)

家系店で「二郎系ラーメン」がバズる

東京・中野にある横浜家系ラーメンの人気店「箕輪家」の動きが大変面白い。

伝統や暗黙の了解、タブーが多いと言われてきた「横浜家系ラーメン」という枠の中で、その枠にとらわれずに自由な発想で客層を広げているのだ。

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2月から提供を開始した二郎系ラーメン「まるじろう」はその中でもトップクラスのバズり方を見せている。「家系ラーメン店で、二郎系を出すなんて……」というタブーを無視した一杯で、そのクオリティの高さも含めイノベーティブな展開と言えるだろう。


(写真:筆者撮影)

そもそも「箕輪家」は幻冬舎のカリスマ編集者・箕輪厚介さんが開いたお店で、創業時から常識にとらわれない展開が期待されているお店だった。その期待に勝るとも劣らない展開にファンが急増している。まさに令和の時代のラーメン店だ。

奇想天外な企画を次々と繰り出す「箕輪家」店主・丸山紘平さんとはどんな人なのか? ラーメン職人になるとは到底思えない、その独特な経歴に迫ってみた。

「もう一度ラーメン屋をやらないか?」

大学卒業後、兵庫で自衛隊に入隊した丸山さんは、知人に連れられ箕輪さんの講演を聞き、自分の知らない“楽しい世界”を知ることになる。ずっと厳しい環境で揉まれてきた丸山さんにとっては、箕輪さんの姿が輝いて見えたという。

2年間の任期を終え上京し、箕輪さんのオンラインサロン「箕輪編集室」に入り、「運転手募集」の投稿を見て飛び付き、応募の100人の中から見事選ばれた。

半年間箕輪さんの運転手・カバン持ちを務めた後、見聞を広めるためにクラウドファンディングで資金を集めてトゥクトゥクで日本一周をした。

その頃、箕輪さんから一度「ラーメン屋をやらないか」と誘いがあった。箕輪さんは昔から「まこと家」「武蔵家」など横浜家系ラーメンが好きで、自分でも店を開いてみたかったのだ。しかし、肝心の丸山さんは、当時は全くその気になれず断ったという。

「当時、自分はまだ26歳。その先の人生の道を決めたくなかったんです」

その後、コロナ禍のカンボジアにて飲食店の立ち上げを経験する。準備は順調に進み、無事お店を開くことができたが、丸山さんは大きなバイク事故に遭ってしまう。幸い命は取り留めたが、足を開放骨折する大怪我を負ってしまい、そのまま日本に帰国せざるを得なくなる。

ここで再び声をかけたのが箕輪さんだった。

「怪我をしていても湯切りぐらいはできるだろう。もう一度ラーメン屋をやらないか?」

箕輪さんの、2度目の提案を受け、丸山さんは人生をかけてラーメン屋をやろうと決意。ここから「箕輪家」のプロジェクトがスタートする。


(写真:筆者撮影)

コンセプトや世界観は箕輪さんが作るが、ラーメン作りは一から学んだ。

業務用スープを使って作った試作品を「下北線路街 空き地」のイベントで提供したところ、そこにたまたま食べに来たのが、東京・高田馬場にある博多ラーメンの人気店「博多ラーメン でぶちゃん」の店主・甲斐康太さんだった。

筆者の連載でも以前取り上げ、大きな反響を呼んだ、名物店主である。

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甲斐さんにラーメンを褒められ、「よかったら教えるよ」と声をかけてもらい、丸山さんは「でぶちゃん」で修業することになる。


「下北線路街 空き地」のイベント出店の様子(写真:筆者撮影)

復活プロジェクトのなか、修行を開始

「でぶちゃん」では以前、高田馬場にあった家系ラーメンの名店「千代作」を復活させようというプロジェクトが走っており、ちょうどこのタイミングで丸山さんは修業することができた。

名店「千代作」のラーメンの作り方を直接学ぶことができ、充実した修業生活を送ることができたのだ。


(写真:筆者撮影)

順調な丸山さんだったが、2022年8月に会社を立ち上げていたこともあって、早くお店をオープンしなければならなかった。まだ道半ばであったが修業を3カ月で終え、2022年11月に「箕輪家」を中野にオープンすることになった。

「昼はサラリーマンが多く、夜は飲み屋で、中野は昼夜しっかりお客さんを呼べる素晴らしい場所です。箕輪さんと立ち上げたお店ということもあり、オープンからかなり好調でしたが、オープン景気は終わり、だんだんと客足が遠のいていきました。

ラーメンのクオリティにおいても失敗の繰り返しで、日々勉強しながらお店を続けていたという感じでした」(丸山さん)

「もう少し計画的に会社を作っていればよかったのでは?」と思う人もいそうだが、良く言えば「行動力がある」、悪く言えば「やってから考えよう」、それが丸山さんなのだ。

翌年3月には、カンボジアでのバイク事故で残っていた後遺症の手術でお店が営業できなくなった。いよいよ売上が危なくなり、箕輪さんも見ていられなくなってXで呼びかけた。


(箕輪厚介氏Xより)


(箕輪厚介氏Xより)


(いずれも、箕輪厚介氏Xより)

箕輪さんでも救えなさそうな倒産の危機のなか…

倒産寸前になっている「箕輪家」をなんとかしようと、箕輪さんは自ら店に立ち、スナック営業するなどして売り上げを支え続けた。そんな書き込みを見て箕輪さんに連絡をしたのは意外な人物だった。

それは、昨年のWBCで侍ジャパンを支えたダルビッシュ有投手だった。


(写真:丸山さん提供)

箕輪さんの友人だったダルビッシュ投手は「箕輪家」を心配して連絡。

そして、大会期間中である3月13日に、後輩たちを引き連れて「箕輪家」を訪れた。宇田川優希投手や大勢投手、湯浅京己投手、宮城大弥投手ら侍ジャパンの面々を連れて「箕輪家」のラーメンをすすった。


(写真:丸山さん提供)

この姿がダルビッシュ投手のInstagramや箕輪さんのXで公開され、一気に話題沸騰。「箕輪家」は倒産の危機を免れた。

「オープンからこういった紆余曲折をへて『箕輪家』らしさというものが生まれたと思っています。各所にご心配やご迷惑をかけてここまで来ましたが、昨年の秋頃からようやくスープも安定し美味しいラーメンが提供できています」(丸山さん)


(写真:筆者撮影)

5月に新店オープン予定。まだまだやりたいことだらけ


(写真:筆者撮影)

意外と思うかもしれないが、「箕輪家」のラーメンは非常にオールドスタイルな家系ラーメン。今流行の濃厚系や醤油の強い家系ラーメンとは違い、じんわりと豚骨の旨味を感じる一杯だ。もともと箕輪さんの原点である、昔の家系ラーメンの良さが滲み出ている。

卓上に「王道家」の無限にんにくと、刻みしょうがが置いてあることも驚きだ。家系ラーメンのインスパイア店でこんなお店が今まであっただろうか。

「箕輪家ラーメンは、ダシが強めで旨味を逃さない豚骨の炊き方を目指しています。鶏ガラ、背ガラ、ゲンコツの3種類と、『まるじろう』で使うチャーシュー類の肉ダシのスープ。そして純粋な鶏油の3層になっています」(丸山さん)


(写真:筆者撮影)

そして、今年の2月には「まるじろう」が誕生。新たな「箕輪家」の魅力が生まれた。5月には西荻窪に新店オープンする予定だ。

「毎週水曜日に出している限定の“鶏家系”をスピンオフし、中野本店とは別の味で新店をオープンしようと思っています。まだまだやりたいことがたくさんあります。常識にとらわれずにお客さんに喜んでいただける美味しいラーメンをこれからも作っていきたいと思っています」(丸山さん)

丸山さんが生み出す「ワクワク感」の正体

丸山さんが箕輪さんに初めて会ったときに感じたワクワク感が「箕輪家」から生まれている。

「箕輪さんが僕を気にかけてくれているのは、『死ぬこと以外かすり傷』を体現しているのが僕だからかなと思います。カバン持ち時代には寝る時間以外のほとんどの時間を箕輪さんとともに過ごして、本当に空気のように一緒に過ごさせてもらって、気持ちを認めてもらいました。

箕輪さんに昔、『まるちゃんはいい意味でバカで素直なのが一番』だと言われました」(丸山さん)


(写真:筆者撮影)

がむしゃらを絵に描いたような丸山さん。不器用ながらも、そのまっすぐさで皆に助けられながらここまで走ってきた。

これからもどういう展開になるか全く予想できないが、常に新しい一杯、そして楽しさを提供してくれるに違いない。


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(井手隊長 : ラーメンライター/ミュージシャン)