書体デザインの第一人者で、著書『明朝体の教室』が発売中の書体設計士・鳥海修さんが3月25日の『くにまる食堂』にご来店。邦丸アナにはちょっと縁が遠い書体の話を伺った。

邦丸「いろんな設計士の方がいらっしゃいます。鳥海さんは『書体設計士』というお仕事を、ある意味、お作りになったと言いうことですか?」

鳥海「いえいえ、そういう呼び名は私が勝手につけたんですけども、タイプデザイナーとか、書体デザイナーという職は前からあるんですよ。昔は金属活字を掘ってた彫師という方がいらっしゃったんですけど、最近は書体デザイナーとかタイプデザイナーという風に呼ぶのが一般的になっています。」

邦丸「鳥海修さんがお書きになった『明朝体の教室』という本。これ結構分厚いんですよ。読み応えが相当あります。具体例もたくさん出ております。さっきオープニングで言いましたけども、普段生活している中で書体というものにこだわっている方はどれだけいらっしゃるんでしょう?そう思っていろいろ調べてみると、書体というのは、こうも違うものかと思いました」

鳥海「そうですね、色々ありますね。(笑) だって今3000から4000ぐらいあるっていうふうに言われてますから。アルファベットを含めるともうとんでもないですよ。アルファベットはずいぶん前から1万を超えてるって言われていましたから。」

邦丸「えっ、そんなにあるの? はあ~。今わたしが使ってる原稿、今日は書体が違うんですよ。鳥海さんがデザインされた『游明朝体』というのを使っています。『游』は『遊ぶ』のしんにょうがさんずいにになってるんですね。これなんですか?」

鳥海「中国では、しんにょうの『遊ぶ』はあんまり使わないんですって。意味としてはほぼ一緒みたいなんですけど、たまたま私が会社の名前(字游工房)を登録するときに、しんにょうの『遊ぶ』だと、いかにも遊んでるみたいだなと思って。もう少しなにかないかなと歩いてたら、この『游』を使ったギャラリーがあって、それでその日に決めたんです」

邦丸「鳥海さんは1955年のお生まれです。現在の活動の拠点は長野県は安曇野。もともとは山形県のお生まれで、多摩美術大学ご出身。…ということなんですが、実は多摩美に入ったのは車が好きで、車のデザインをしたいなと思っていたんですって」

鳥海「わたし、工業高校だったんですよ。エンジンとか歯車とか製図とかがすごい好きで、そのうち車のデザインをやってみたいと思って。美術大学で勉強すれば、そういう職業になれると考えて受験したんですけど、見事に落ちまして。二浪の末、結局、多摩美のグラフィックデザインにしか入れなかったんですね。他の大学はみんな断ってしまったので、私を。(笑)」

邦丸「いいなあ、今の言い方(笑)」

鳥海「それで入ったところ、3年生になると広告とかアドバタイジング的なことがものすごく多くなってきて、それはあまり好きじゃなかったので、文字デザインという授業をとったんです。そうしたら毎日新聞社に見学に連れてってもらって、文字を作ってる現場を初めて見たんです。40年ぐらい前なのでパソコンとかも無いし、フォントっていう言葉もないし。本当に、書体を作る人がいるということは、まさに誰も知らないぐらいの感じでした。」

邦丸「新聞の活字を作ってるんですね」

鳥海「こう、文字をきれいに書いてるんですよ。これ何するんですかって聞いたら、これは活字の元だよって言われて。えーっ、活字って人が作ってんの?嘘でしょ?と思ってね。そしたら活字を作っていく工程を見て、帰り際に小塚昌彦さんという方が『日本人にとって文字は水であり、米である』と教えてくださったんですよ。要するになくてはならないということです。それで私の故郷は山形庄内平野だったので、水と米と言ったらもう俺のことだみたいな感じもあって、これをやってみたいと思ったんです」

邦丸「基礎的なことを聞いていいですか?明朝体って言いますが、明って国が中国大陸に昔あったわけですよね。その頃生まれた字なんですか?」

鳥海「その頃に中国で生まれた書体です。もともとは文字は手で書いたものじゃないですか。中国は彫ったりしたわけです。例えば甲骨文字は骨に掘ったわけです。そして秦の始皇帝が『篆書(てんしょ)』っていう文字を中国の標準書体にしたんです」

このあと邦丸アナは書体の深い世界を垣間見ていきます。なぜ明朝体が普及したのか?鳥海さんが書体を作るこだわりとは?