最愛の伴侶を見送るショックは認知症の患者にもさまざまなドラマを引き起こします(写真:KY/PIXTA)

国立社会保障・人口問題研究所のデータを基にしたニッセイ基礎研究所の推計によれば、令和7年には65歳以上における認知症の総数が1000万人を突破するといいます。人生100年時代を迎えた現在、誰にとっても身近な問題となった「認知症の介護」に向き合うためには、どんな心がまえが必要なのでしょうか。18年にわたり介護の第一線で働いてきたたっつん氏が、介護施設での「認知症の配偶者の看取り」における悲喜こもごもを、実際のエピソードを基に紹介します。

※本稿はたっつん氏の新著『認知症の人、その本当の気持ち』から一部抜粋・再構成したものです。

献身的に重度認知症の妻の世話をしていた夫

奥さんが重度の認知症で「そばで見ていたい」というご主人と、夫婦で入居されていたケースがありました。90歳前後の夫婦です。

その施設は全室個室だったので、それぞれに部屋が割り当てられていましたが、ご主人は奥さんの部屋のベッドの脇にマットレスを置いて、ほぼ奥さんの部屋で生活されていました。

施設の職員がやるのは入浴介助とオムツの交換くらいで、食事の介助や着替えなど、ほとんどのことはご主人がされていました。

「女房の言うことはなんでも聞いてやりたい。ずっと俺が世話をする」という言い方をしていました。

奥さんは「あ〜」とか「う〜」とかいった声しか発することができなくなっていたのに、ご主人は奥さんが何を言いたいのかがおよそわかっていたようです。

しかし、ある時期から奥さんは、ほとんど食事を口にされなくなってしまいました。そうするとご主人は「施設で出してるものがまずいからや!」と激怒しました。

実はこのご主人、身長が180センチくらいあり、顔がものすごくいかつく、女性職員たちが怖がるくらいの人だったんです。

この一件があってからは、男のぼくが対応することを増やしました。

いろいろ話をしているうちに、ご主人はぼくに心を開いてくれるようにもなりました。戦時中の話や奥さんとのなれそめなどを聞かせてもらいました。奥さんにはずいぶん迷惑をかけたので「やれるだけのことはやりたい」とも話していました。

その後、奥さんの体調が悪くなって入院することになり、しばらくはご主人だけが施設に残るかたちになりました。そのときご主人は「ほんまのこと言うと、しんどいときもあるねん」と、ぽつりと漏らしていました。

だからというわけではありませんが、退院された奥さんが施設に戻ってくると、食事介助など、それまでご主人が一人でやっていた奥さんの身の回りのお世話をやらせてもらえるようになりました。ぼくたちのことを信頼してくれるようになったからだと思います。

突然に訪れた夫の死。そして残された妻は…

奥さんのお世話を任されてからは、ぼくたち職員も、「あ〜」とか「う〜」とかの意味がなんとなくわかるようになってきました。長く介護をしていると、こうしたコミュニケーションが可能になることはそれなりにあります。介護士冥利といえるかもしれません。

そうした状況にご主人も安心されたのか、ずっと奥さんの部屋につきっきりでいるのではなく、ご自分の部屋にいる時間もつくるようになってきました。

もともと、ものすごい読書家で、奥さんの部屋にいるときも本を読んでいることが多く、本が山積みになっていたくらいでした。自分の部屋にいるときもおそらく本を読んでいる時間が長かったんだと思います。

そんなある日、ぼくが出勤すると「ご主人が亡くなった」と聞かされました。

何の前触れもない突然のことだったので、言葉を失いました。とくにどこかが悪いということはない人だったのですが、老衰に近い心不全だったようです。

娘さんに連絡すると、通夜や葬式に出席させるのは難しいので「母親には父の死は知らせないでおく」と決められました。それでも奥さんは何かを感じていたのかもしれません。それから1週間後、やはり何の前触れもなく亡くなったんです。

自分たちの介護に落ち度はなかったかと職員みんなが考えましたが、ドクターが言うには老衰とのことでした。それだけ自然死に近かったということです。

施設にやってこられた娘さんがぼくたちを責めることはありませんでした。それどころか、やさしい表情でこう言いました。

「こうなる気がしていました。ずっと二人は一緒でしたから」

かなり以前の話なのに、ご主人の笑顔と、ご主人にだけ見せていた奥さんの笑顔は忘れられません。伴侶に先立たれたあと、残された側が元気になり長生きするという話も聞きますが、このご夫婦のように連れ立つように亡くなるケースもあります。

妻の旅立ち後、その反動から夫はセクハラを

ご夫婦で入居されていたケースは他にもあります。

二人とも認知症になっていながら奥さんのほうが症状が進んでいた例もありました。1日中、わめき散らすようになっていたので、ご主人のほうは、迷惑かけて申し訳ないという感じで職員を気づかってくれるようにもなっていたんです。

しばらくすると、奥さんの身体が弱っていき、亡くなりました。

仲がいいご夫婦だったので、残されたご主人が心配でしたが、反動のようにセクハラを始めました。女性職員の身体を触ろうとしたり、入浴介助をする職員に「一緒に入らんか」といった言い方をするようにもなったのです。

認知症も関係しているのかもしれませんが、施設でのセクハラは少なくありません。セクハラがあれば正当に対処しますが、この人は奥さんを亡くしたばかりでもあり、ご家族にも相談しにくかった。そのため、この人のお世話は男性職員だけでするように切り替えました。

他の入居者とのプラトニックな交際を開始

職員へのセクハラはなくなりましたが、そのうちこの人は、ある入居者に接近していくようになりました。相手は、足が悪く車椅子を使っていた認知症の女性です。


車椅子を押してあげたり、足をマッサージしてあげたりするようになったんです。女性も、迷惑がるというよりは、それを受け入れているような様子でした。

施設内でもプラトニックに交際されるなら、とくに問題視されることではないので、双方のご家族に相談することにしました。最初はどちらのご家族も難色を示されていましたが、なかば公認ということになったんです。

マッサージをしてあげるくらいはあっても、それ以上、発展するわけでもありません。入居者が集まる部屋で、手をつないでテレビを見ているなどして、仲良く過ごされていました。

奥さんが亡くなられてそれほど時間が経たないうちにそういうふうになったことをどう受け取るかは微妙ですが……、はたから見れば微笑ましいカップルでした。

(たっつん : 介護士)