「数字を追い求める人」が幸せになれない根深い訳
悩みや苦しみを遠ざけ、幸せを感じられるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?(写真:jessie / PIXTA)
さまざまな悩みや不安を抱え、「楽しくないまま、いまを過ごしている」。
そんな人は珍しくありません。
とある調査によると「いま、あなたは幸せですか?」という質問にイエスと答えられる人は2割もいないのです。
現代は生きづらさや不安が増しているのかもしれません。
しかし、幸いなことに、多くの先人たちが幸せに生きるコツを残してくれています。
それらを現代の生活にあわせて整え、「即役立つ」ようにしたのが、新刊『あやうく、未来に不幸にされるとこだった』です。
以下では、「悩みや苦しみを遠ざけ、人生を豊かにしていく方法」についてわかりやすく解説します。
幸福とは感覚でなく、人生への取り組み方
あなたは「幸せ」というものを、どのように捉えていますか?
ちょっと立ち止まって、考えてみましょう。
社会科学者アーサー・C・ブルックスは、「幸せとは結果でも目標でもなく、一つのプロジェクトである」と述べています。
うまい言い方だと思います。
多くの賢人が「幸せとは、未来ではなく、いま、ここにあるものだ」と言っていますが、なかなかわかりにくいものです。
ブルックスは彼なりの表現で「幸福とは未来の目標ではなく、いま生きていくうえでの取り組み方なのだ」と言っているわけです。
これは「幸福であることは難しいが、幸福になることはできる」と言い換えられるかもしれません。
誰もが幸福というものを「現在の努力の先にある未来のご褒美」のように考えがちです。
しかし本当はそうではないのです。
「幸福(幸せ)」という言葉は「資格を取得すること」「結婚すること」「新しい家を手に入れること」など、具体的な目標の達成に結びつけて考えられがちです。
しかし、これらの目標を達成したとき、私たちは本当に「幸せ」を感じるでしょうか?
一時的な達成感や満足感は確かにあるでしょう。
でも「幸せ=目標の達成」であるならば、幸せは目標を達成した瞬間に終わってしまいます。
幸福とは、瞬く間に終わってしまうものなのでしょうか?
私たちは、ある目標を達成した瞬間、すぐに次の目標に目移りし、また別の未来のことを考えてしまいます。
よく「馬の目の前にニンジンをぶら下げる」と表現することがありますが、幸福はまるで私たちにとってのニンジンのようです。
しかし、幸福は未来の目標ではありません。幸福とは目標や結果ではなく、取り組み方、いわば人生への姿勢なのです。
「良い人間であるのは難しいが、良い行いはできる」のと同じで、「幸せである」のは難しくても、「幸せになる」ことは可能なのです。この違いは微妙ですが、非常に重要です。
就職できても、なぜか幸せになれない理由
私の友人、Fの話をしましょう。彼の求職活動についてです。
Fは以前、求職活動をしていました。Fは私に電話をしては、つらい、つらいとこぼしていました。彼によれば、「求職活動はマラソンよりもずっとつらい」のだそうです。
「マラソンは、ゴールがハッキリしている。でも求職活動は、明日終わるかもしれない。ずっと終わらないかもしれない。毎回、面談前に『これで終われるかもしれない』と思いながら臨み、ダメならまた振り出しに戻る。毎回その繰り返しで、毎日が地獄。就職さえ決まれば天国なのに」
私が彼の求職活動を手伝うことはできません。
でも、少しでも役に立てるならと、彼の愚痴を聞いてあげていました。
そうするうちに、彼の就職が決まりました。
私は心から「おめでとう」と言いました。
でも、電話の向こうの彼の声は沈んでいます。
彼はこう言います。
「新しい職場でうまくやっていけるか心配だ。上司や同僚はいい人だろうか。そもそも少し自分を盛り気味でアピールしてしまった気がする。『思ったよりもできない奴だ』と思われるんじゃないだろうか」
そんなことを考えると、毎日眠れないのだそうです。
就職が決まれば地獄から天国へ華麗なる転生を果たすはずの彼でしたが、そうはいかなかったようです。
彼の幸せはどこにあるのでしょうか。
結果や目標にとらわれると幸せになれない
彼は求職活動中「これがうまくいったら苦しさが終わる」という未来への期待ばかりを見続けて「いま、この瞬間」を見ていませんでした。
求職活動中、彼にはさまざまな出来事があったはずです。
うまく履歴書が書けたり、尊敬できそうな人に出会ったり、思わぬ親切や、アドバイスをもらったり、そうした嬉しさや喜びを感じていたはずです。
もちろん、つらいこともあったでしょう。
履歴書の写真が変だったり、圧迫面接を受けたり、なにより不採用通知をもらえば、自分を否定されたような気分にもなったでしょう。
だからといって「求職活動中に嬉しさや喜びはない」と言ってしまうのは、不公平というものです。
彼の求職活動は、つらくとも、不幸ではなく、幸せな人生の一場面ではあったはずなのです。
Fにとって求職活動は、いわば人生の冒険です。
冒険なら、うんと楽しむべきです。
冒険を得られたことは幸運ですし、幸福といえるはずです。
「いま」にフォーカスすることで、私たちは「達成すべき目標」に固執するのではなく、「生きる過程」そのものを楽しむことができます。
私たちの人生は小さな喜びにあふれています。
それに気づけた人の人生は、間違いなく「幸せな人生」です。
要は、結果と目標にとらわれすぎず、日々の生活の中で、小さな喜びに目を向ける姿勢が必要です。
このような姿勢を持つことで、私たちは一つひとつの瞬間を大切に生き、幸せを感じられるようになるのです。
幸せとは「いま、この瞬間」に対する姿勢であり、いま、ここで感じ取るべきものです。
不確かな未来に目を向けて「幸福になれるだろうか」と考えるとき、人は不安になります。
人生は一度きりなのに幸せになれるかどうかわからない、その事実に気が気ではないのです。
不確かな未来ほど、私たちを不安にさせます。
現代社会は情報があふれ、選択肢が多く、その結果として生じる不確かな予測が、いっそう私たちを不安にさせるのです。
いくら未来予測を重ねても、たとえその予測が明るいものであっても、それは予測でしかないのですから、不安は遠ざかってくれません。
漠然とした不安を即克服できるメソッド
哲学者のハイデガーはそんな不安について、興味深いことを言っています。
「不安は対象がはっきりしないために取り除けない。その一方で、恐怖は対象が明確なので取り除ける」
これを大胆に言い換えるとこうなります。
「不安の対象がはっきりしなくて捉えどころがないのなら、対象がはっきりした恐怖に置き換えればいいじゃない?」
なんだか「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」みたいな感じですね。しかしこの見解は、不確かな未来からくる不安を現在の具体的な恐怖に置き換えることで、それに対処する道を示しています。
Fの求職活動に関連する不安を考えてみましょう。
彼は面接がうまくいくかどうか、そして新しい職場でうまくやっていけるかどうかを心配しています。
これらは未来の出来事に対する漠然とした不安なので、具体的な行動によって対処することは困難です。
しかし、これらの漠然とした不安をはっきりした恐怖に置き換えると、事態は変わります。
例えばFの面接に対する不安は、「面接で自己紹介がうまくできない」とか「自分のスキルをうまく説明できない」などに置き換えることができます。
また「新しい職場でうまくやれるか」という不安も、「新しい人々と関わること」や「新しい業務を覚えること」など、具体的な内容に置き換えられます。
これらは自己紹介の練習をしたり、自分のスキルを説明するための言葉を考えたりすることで、具体的に対処できます。
こうした試みは、ハイデガーの哲学に倣った、一種の行動療法といえるでしょう。
つまるところ、不安を恐怖に置き換えるというのは、「コントロールできないものを手放して、コントロールできるものに集中する」のと同じことです。
もう一つ、例を挙げてみましょう。
哲学者キルケゴールは、「不安は他の選択肢に思いを巡らす態度である」と言っています。
つまり、彼は「不安を感じること=自由を感じていること」とポジティブに捉えたわけです。
たしかに、不安は迷う心細さともいえますね。
逆に言えば、選択肢のない人は不安を感じないわけです。
代わりに希望もありません。
希望があるからこそ、不安もあるわけです。
希望があるからこそ、確実に希望通りになるか心配して不安なわけです。
あなたは、不安はないが希望もない人生を送りたいと思いますか?
選べる自由があるからこそ不安になる
これについても、Fの事例を通して考えてみましょう。
Fは求職活動中に、しばしば不安を感じていました。
それは面接の成功や失敗、新しい職場での適応など、不確かな未来から来るものでした。
でも、キルケゴールの考えからすれば、Fの不安は「彼が自由であること」、つまり「彼に選べる未来があるからこそ感じるもの」ということになります。
選択肢がなければ、Fは不安を感じないかもしれません。
しかし同時に、選択肢がなければ、彼は自分の未来に影響を与える力も希望も持てないでしょう。
私たちはたびたび、不安をネガティブな状態として認識します。
しかしキルケゴール流に言うと「不安は私たちが自由であること、そして私たちが未来に対して期待と希望を持つことができることを示す、価値ある状態」ともいえます。
要するに、幸せになるには不安とも上手に付き合いながら、前向きに自分の人生を切り開いていく必要があるのです。
その意味で、幸せは、やはり一つのプロジェクトです。
あなたのプロジェクトの成功を、心から応援しています。
(堀内 進之介 : Screenless Media Lab. 所長、立教大学特任准教授)
(吉岡 直樹 : Screenless Media Lab.テクニカルフェロー)