その見た目に光源氏が卒倒した「末摘花」の強烈さ
(イラスト:ならネコ/PIXTA)
日本に移住してから早くも20年近く経ってしまったので、もはや驚くことはほとんどないが、最初の数年は戸惑いを感じて、生活に「気になる」が溢れていた。
当時は外国人が今よりずっとめずらしく、「顔が小さい! 目が大きい! 鼻が高い!」と持ち上げられることもしばしばあった。しかし、褒められていい気分になっていたものの、私はそれらの言葉を聞くたびにどこか違和感を拭えずにいた。
顔や目の大きさはごく普通で特に気にしたことはないけれど、「鼻が高い」と言われれば今も引っかかる。日本では、高さのある鼻は華やかで、凛とした印象を与えるとよく言われているのに対して、イタリア人は必ずしもそうとは思わないからだ。むしろ、鼻は小さい方が好ましく、さらに先端の部分がほんの少し上を向いていると、なおよし。
文学の世界で「鼻問題」を抱える人物たち
顔のど真ん中にあるため、印象を左右する鼻。化粧で多少ごまかせても、微々たる変化しか期待できない。かといって、そう簡単には隠せない。困ったものだ。鏡の前で自らの鼻を眺めつつ、ため息を漏らす人は少なくないと同じように、文学の世界においても鼻問題を抱えている人物は結構いる。しかも、どれも極端にやばい鼻である。
芥川龍之介の「鼻」に出てくる禅智内供のそれは、長さ五、六寸あって上唇の上から顎の下まで垂れている有様だという。同じく、「鼻」との題名の付くゴーゴリの短編小説の場合、鼻が持ち主から独立して、とんだ冒険に出たりするし、エドモン・ロスタンのペンから生まれた『シラノ・ド・ベルジュラック』の主人公も、特徴的な長鼻で知られている醜男だ。シラノは実在した剣術家・作家だったと考えると、なかなかパンチの効いた設定だと言わねばならない。
芥川龍之介は『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』を題材にしているそうだ。そのことからやはり古代人も容姿、とりわけ鼻にこだわり、大いに悩まされていたのがわかるが、平安女図鑑とでもいうべき『源氏物語』のなかでも、かなり残念な鼻を持った姫君が姿を見せる。
胸を膨らませる光源氏に強烈なオチ
言うまでもなく、それは末摘花、『源氏物語』第6帖に初登場を果たす強烈な姫君である。
その時点で、19歳の光源氏は、葵の上と結婚していた上に、六条御息所と関係を結びながら、夕顔との危険な情事に走り、忘れられぬ初恋・藤壺の宮と瓜二つの若紫を手元に置いている。普通の人はこれだけで十分お腹いっぱいになるだろうに、我らが光源氏はいつだって恋は別腹だ。
常陸宮のボロ邸に妙齢の姫君がいるという噂を、大輔の命婦と呼ばれる評判の「色好み」の女房に吹き込まれて、光源氏はすぐさま興味津々モードに切り替える。しかし、期待に胸を膨らませて会いに行ったら、件の姫君は不美人ばかりか、非常識で、貧乏でセンスもすこぶる悪くて、かなりのハズレくじを引いたというオチが待っていた。
コミカルなタッチで描かれている末摘花の物語において、大輔の命婦はとても重要な役回りを担う。彼女は光源氏の乳母の娘で、内裏に勤務するキャリアーウーマンだ。
確かに「色好み」と形容されている女性だが、本人が恋多き女だったとは限らない。どちらかといえば、家から一歩も出たことない姫君に比べて、男性のあしらい方が上手で、フットワークも軽く、スマートな女性といったようなニュアンスが込められている。
大輔の命婦は、後に末摘花という名で知られる女性の話を、以下のように光源氏に持ちかける。
「心ばへかたちなど、深き方はえ知り侍らず。かいひそめ、人疎うもてなし給へば、さべき宵など、ものごしにてぞ語らひ侍る。琴をぞなつかしき語らひ人と思へる」
【イザベラ流圧倒的意訳】
「性格とか見た目とかよく知らないんだけど。シャイな人らしいので、私も几帳を挟んでしか話したことないの。お友達と言えば楽器の琴ぐらいだわ」
血筋は申し分なく、控えめな性格。音楽を心底愛する、落ちぶれた姫君。古今東西の男たちが好きでたまらない、いわゆる「ダムゼル・イン・ディストレス」(囚われの姫)というイメージが勝手に光源氏の脳裏に浮かぶ。まさに大輔の命婦の狙い通りだ。
そのあと、大輔の命婦は興味をそそられた光源氏を手引きして、ミステリアスな姫とのセッティングの場を設ける。まずは、琴の音色を光源氏に聞かせることになるけれど、男心を知り尽くしている命婦は、ワンフレーズほど弾かせて、すぐに演奏を止める。それは男性に「もっと聞きたい!」と思わせるためであり、ボロが出る前にダメージコントロールするためでもあるのだ。なんて素晴らしい段取り術!
光源氏が「見てしまったもの」
紫式部の周りには、大輔の命婦のような女性はたくさんいたはずだ。そこそこの家柄、社交的な性格、それなりに歌やファッションなどに精通している女房たち。
政略結婚が出世への近道だった平安時代では、彼女らこそ重宝がられる存在だった上に、『源氏物語』の一番の読者だったわけである。大輔の命婦の活躍ぶりに耳を傾けながら、彼女らは仕事に勤しむ自らの姿をそれに重ね合わせて、物語にのめり込んで行っただろう。
ミステリアスな姫に手の込んだ手紙を出しても返事はなかなかこない。それでも光源氏は時々彼女を思い出して、アプローチしてみる。そして雪が激しく降るある夜、2人はやがて契りを交わすことに……。
空が白む頃、光源氏は見るともなしに外の景色を眺める。荒れたボロ邸の庭は、人の踏み開いた跡が一つもなく、真っ白だ。積もった雪は明け方の仄かな光を反射して、周り一面が優しい雰囲気に包まれていく……と雪景色の美しさの余韻に浸っているところで、光源氏が見てしまうのだ。姫君の醜貌を。
まづ、居丈の高く、を背長に見え給ふに、「さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、御鼻なりけり。ふと目ぞとまる。 普賢菩薩の乗り物と覚ゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたる事、ことのほかにうたてあり。
【イザベラ流圧倒的意訳】
まず、目に入ったのはばかに座高が高いということだ。「やっぱそうだったのか!」とぞっとした。次に、何その鼻!? すごすぎて目が離せない。普賢菩薩が乗っているゾウみたいじゃん! びっくりするほど高くて長くて、先の方がだらんと垂れてそこだけが赤い。
光源氏の視線は女たちの鋭い視線そのもの
『源氏物語』や他の女房文学は「ひらがな」だけの「つづけ字」で書かれていた。写本を翻刻、翻訳した学者や研究者がのちに句読点をつけているので、作者の思い通りではない可能性もある。しかし、この部分の小刻みの切り方は非常に効果的だ。光源氏の目の動きが1つひとつ正確に追うことができるし、過呼吸の発作が起こりそうな気配さえ感じる。
顔色も青白くて、化け物のような馬面、細すぎる肩……光源氏は末摘花の身体を舐め回すように凝視して、目に焼き付けている。髪の毛が立派なのはせめてもの救いだが、それは大海の一滴にすぎない。姫君のとんでもない醜態に光源氏が震えている。
「見えたまふ」や「見ゆる」という語が示すように、これは彼の目に映ったままの姿である。しかし、平安朝の男性は相手の女性をゆっくり吟味する機会はあまりなく、今回の帖に描かれているシチュエーションはわりとまれだ。
光源氏に見せかけて、そこに現れているのは、大輔の命婦と同じように、いつも姫君の周りにいる女たちの鋭い視線なのではないか、と私は疑っている。その「女房寄り」の語り口こそが、彼女らの『源氏物語』への支持を集めたのではないだろうか……とまたして妄想が広がる。
次に点検の対象となるのは、服装だ。
ゆるし色のわりなう上白みたる一襲、名残なう黒き袿重ねて、上着には黒貂の皮衣、いと清らにかうばしきを着給へり。古代の故づきたる御装束なれど、なほ若やかなる女の御よそひには、似げなうおどろおどろしき事、いともてはやされたり。
【イザベラ流圧倒的意訳】
薄い紅色の変色してしまったものを重ねた上に、元の色がわからないほどすっかり黒ずんだ袿、香を焚きしめた黒貂の皮衣を着込んでいる。毛皮はかつて貴族の間にはやっていた舶来品のようだが、若い娘が着るような代物では決してないし、なんと言っても目立つ。
ファッションセンスも酷かった!
黒貂の皮衣は、物語が設定されている時代よりひと昔前に男性が着用するスタイルのもので、おそらく末摘花の父親存命時のものだろうと思われる。とにかく若い女性が絶対に身につけないものだったらしい。
このダサくて、イタいファッションは今だったら何になるのだろうか? ボディコンシャスなニットドレスとジャケットスーツとか? ヒョウ柄全開? 逆に全身ハイブランドで固めたファッション?
……気がつくと、身を乗り出している自分がいる。「末摘花」のページからムンムンと臭ってくる底なしの意地の悪さが移ったと思いたいけれど、残念ながらその腹黒さは私の中にも、姫君のただならぬ容姿を思い浮かべて笑いを堪えている読者の皆の中にも、元からしっかりと備わっている。紫式部はそれを私たちに見せつけているにすぎず、彼女の鋭い眼差しに驚かされるとともに、自らの悪辣さにぞっとさせられるのだ。
そこで、どうしても気になることが1つある。光源氏がもし、私の高い(らしい)鼻を見たら、どう思うだろう、と……。
(イザベラ・ディオニシオ : 翻訳家)