「スニーカーブーム」終焉もデニムは今も高い理由
スニーカーメーカーが現在のような過剰生産を続けることは不可能であり、遠からず限界を迎えます。その時にどんな戦略を取るべきなのでしょうか(写真:surachetsh/PIXTA)/写真はイメージです
裏原宿で25年以上、ストリートカルチャーの栄枯盛衰を誰よりも見てきたスニーカーショップ「atmos」創設者で元「Foot Locker atmos Japan」最高経営責任者の本明秀文氏。“スニーカー投資は実際に儲かるのか?” を忖度なしで解説します。
※本稿は、『スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰』(本明秀文著)の一部を再編集したものです。
スニーカーの価値は急落したのにヴィンテージデニムが高止まりする理由
スニーカーをはじめとした投資的商品の多くは金融緩和による金余りの市場によって高騰し、その後の金利引き上げによって価値が暴落しました。
ただし、定価を易々と下回るようなスニーカーの下落ぶりに比べて、同じく高付加価値の投資的商品として扱われていたヴィンテージデニムや「ロレックス」の下落幅は比較的ゆるやかです。また、実際にそれらを資産として保有しているコレクターたちも将来的な価値に関しては楽観的な予測をしています。
では、なぜ同じ投資的側面を持つ高付加価値商品だったにもかかわらず、スニーカーとヴィンテージデニムでは大きな違いが生まれたのでしょうか。
それはまず、市場に出回る製品の数量の違いが挙げられます。ヴィンテージデニムはかつて大量生産されたものですが、そのほとんどが日常生活のなかで使い潰されており、現存する個体はごくわずか。そのため、欲しい人たちは大金を払ってでも手に入れようとする動機が生まれます。
同様に「ロレックス」も工芸品に近い存在のため製造数には限りがあります。そのため相場が下落したと言ってもいまだにデイトナをはじめとした人気モデルは「ロレックス」の店を訪れても一見の顧客が手に入れることはできず、他の時計を何本も購入して常連客になるか、百貨店の外商経由で購入するか、あるい2次流通市場でプレ値で購入するか、という選択肢しかありません。
つまり生産数そのものに限りがあるため、需要が供給を上回っている限り定価を割ることはない、と言えます。
一方でスニーカーは大量生産品です。需要の高まりに合わせて供給量を増やしていくことが可能であり、実際にスニーカーメーカーはブームに乗って生産数を大幅に増やしました。欲しい人は誰でも手に入れることができるまで生産量が増えた結果、スニーカーの価値は下落していきました。
さらに、製品寿命の長さも関係しています。ヴィンテージデニムは1900年代初頭に作られたものでも現存していますし、戦前に作られたものでも今なお穿くことができます。仮にぼろぼろの端切れだけになったとしてもデザイナーたちや古布(こふ)マニアがこぞって欲しがるほど資料的価値を有しています。
「ロレックス」も同様に適切にメンテナンスをおこなっている限り価値を減じるものではなく、後の時代にヴィンテージとして価値を高める可能性も残っています。
つまり、ヴィンテージデニムや「ロレックス」は売ると損する状況ならば相場が回復するまで株のようにいくらでも塩漬けすることが可能なのです。
一方でスニーカーの場合はそうはいきません。EVA素材のクッションソールは言うまでもなくカップソールのモデルでもいつか加水分解してバラバラになってしまうため、実際に履けるだけのコンディションを10年以上保ち続けるのは至難の業です。
最近は加水分解した古いスニーカーをコレクタブルなものとして売買する流れもないわけではありませんが、あくまでフェティッシュなマニアの間だけの話。デザイナーが端切れから生地の組成を解析するために買い求めるヴィンテージデニムと違って、資料としての利用価値はありません。
スニーカーは加水分解する前に手放さないと価値がなくなってしまう。そのため、ヴィンテージデニムのように現存する個体がなくなるまで保管し続ける、という戦略も取りづらいうえ、ヴィンテージデニムや時計よりも圧倒的に保管スペースが必要になるため、そのコストもかかってきます。言い換えると、スニーカーは短期で売り買いすることに向いている(というよりも、そうするしかない)投機的なアイテムと言えるでしょう。
マネタイズの期間が短くなればなるほど、つまり投機の側面が強くなるほど相場は市場のムードを大きく反映するようになります。スニーカーバブルが一気に弾けたのは投機的側面が強くなりすぎたがゆえに、それまで熱狂していたスニーカーファンや転売ヤーたちが「そろそろブームが終わるんじゃないか」と疑念をいだいた瞬間に、潮が引くように市場から一斉に撤退して争奪戦に参加しなくなったことが原因です。
明るい未来のためにスニーカーメーカーが取るべき戦略
国連貿易開発会議から世界で2番目に環境を汚染している産業と名指しされているアパレル産業。多くのブランドがシーズンごとに新作を発表し、毎年のように変わるトレンドによってまだ着られる服ですら時代遅れとして廃棄される道を辿っているのが根本的な原因です。一説にはいま世の中にある服だけでもこの先全人類に10年間行き渡る、とも言われています。
もちろん、多くの企業がエコやサステナビリティの観点から取り組みをおこなっています。しかし、いくらエコレザーや環境に優しい製法を取り入れたところで、毎シーズンのコレクションやトレンド作りで需要を喚起し、まだ使うことができるアイテムを捨てさせることで過剰生産を続ける限り、環境に配慮した製造をおこなっても焼け石に水です。
また、利益を出して株主に配当するためには前年より多くの生産をおこなう必要があり、アパレル産業が資本主義社会の論理で動いている以上、この動きから逃れることはできません。現在のアパレル産業において、企業がエコロジーを謳うのは構造的矛盾を秘めており、グリーンウォッシュであると指摘されることが多いのはそのためです。
アパレル企業における過剰生産の問題はハイプスニーカーにおいて最も顕著です。たとえば、ハイプスニーカーは履かずに保管する人が多いのにもかかわらず、現在では1モデルあたり数万足という規模で生産されています。過剰生産による歪みは、環境そのものだけでなく、スニーカーブームにも致命的なダメージを与えかねません。
ハイプスニーカーに憧れる若者の数は増えています。にもかかわらず、これまでは手に入らなかったスニーカーがキチンと手に入ることが増えつつあります。その理由は単純で、メーカーが生産量を増やしているからです。体感ではここ数年で1モデルあたりの生産量がかつてよりも7〜8倍に増え、さらに今や毎週のように限定モデルのドロップがおこなわれています。
これまで繰り返し述べてきたように、ハイプスニーカーは誰でも手に入るわけではないという希少性によって、需要を喚起してきたものでもあります。それが簡単に手に入るようになると、一気に興味を失う層が出てくることが予想されます。
特にリセールマーケットでは既にその傾向が顕著で、一定のモデルを除いてリセール全体の価格が下がり、なかには資金が続かずに原価割れでスニーカーを手放している例も散見されます。
アパレル企業が抱える持続可能性と利益追求という矛盾に、唯一と言っていいほど具体的な回答をしてみせたのが「パタゴニア」です。
彼らは「地球が私たちの唯一の株主」と明言し、サステナビリティに優れた素材を用いて需要のある量だけを生産しているだけでなく、ショップ内に修理工房を設けて修理や中古品の販売も積極的におこなっています。そしてビジネスで得た利益を環境保護のためのファンドに投資することで、実際的に環境問題にコミットしようとしている。
また「パタゴニア」のファンも彼らの理念に共鳴し、他社と比較して決して安くないアイテムに喜んでお金を払っています。
大量生産・大量廃棄という時代は、過去のもの
スニーカーメーカーが現在のような過剰生産を続けることは不可能であり、遠からず限界を迎えます。その時にどんな戦略を取るべきか。
まずは矢継ぎ早に商品をドロップすることをやめ、時間をかけて本当に消費者が求めている製品をリリースする形へ戻すことが必要です。
そして今の投資財的な位置付けを維持するために費やしてきたマーケティング費用を本当の意味で環境に対して意義のある活動に使い、それらの取り組みの重要性を消費者に訴えかけていくことが重要です。
大量生産・大量廃棄という時代は、もはや過去のものです。たとえ価格が上がったとしても良いものを作り、それに賛同する消費者が長く使う構造に変えていくことが、今後のスニーカーには欠かせません。
(本明 秀文 : 「atmos」創設者)