「死の直前」に人生を後悔しないために…4000人を看取ったホスピス医が証言する「本当に大切な人」の共通点
※本稿は、小澤竹俊『自分を否定しない習慣』(アスコム)の一部を再編集したものです。
■人生に本当に必要な「大切な人」
私は以前、70歳をすぎてから末期がんと診断された、ある患者さんと関わったことがあります。その患者さんは、実家の家族とも、妻や子どもともうまくいかず、仕事もなかなか長続きせず、古いアパートで一人で年金を頼りに暮らしていました。
最初に訪問に伺ったとき、その患者さんは「自分の人生を早く終わらせたい」「早く楽になれる薬はないのか」など、一方的にご自分の苦しみを訴え、自分自身や自分の人生を否定するばかりでした。
そのような人に、「そんなことを言わないでください」「あなたの気持ちはとてもよくわかります」「生きていればいいことがあります」といった言葉はまったく響きません。
それどころか「健康なお前に、俺の気持ちがわかるか」「他人事だと思って、適当なことを言うな」と、心を閉ざされてしまうでしょう。
その患者さんに対して私たちがしたことは、やはり丁寧に話を聴くことでした。故郷のこと、曲がったことや人から指図されることが嫌いなご自身の性格のこと、病気の苦しみ……。
話をしているうちに、おそらく患者さんは、私たちのことを「自分の気持ちをわかってくれている」と感じてくださったのでしょう。表情が徐々に穏やかになり、「苦労の多い人生ではあったけれど、自分を曲げてまで生きるよりは良かった」と、自分の人生を肯定する言葉を口にされるようになりました。
■「それで良い」と言ってくれる存在の重要性
誰か一人でも、自分の苦しみを聴き、わかってくれる存在がいる。
自分では「何も成し遂げられなかった」と思っていても、どんな自分、どんな人生であっても、これまで生きてきたこと、頑張ってきたことに対し、「Good Enough」(それで良い)と言ってくれる存在がいる。
そう思えたとき、世の中がそれまでとは違って見え、人の心の中に、言葉では言い表せない前向きな感情が生まれるのだと、私は感じています。
わかってくれていると思える誰かの存在は、苦しみの中の一筋の光
みなさんもおそらく、今までの人生で苦しい思いをするたびに、何度となく「誰かに自分の気持ちをわかってほしい」と望んできたのではないでしょうか。
たとえば、病気やけがで痛みを抱えたり、思うように体を動かすことができず、つらく情けない思いをしたりしたとき。
痛みや不自由さは変わらなくても、家族でも友だちでも医師でも看護師でも、その気持ちをわかってくれていると思える誰かがいるだけで、つらさが和らぐのを感じませんでしたか?
■自分を肯定できない人の大きな支えになる
あるいは、失恋したとき、痛手はすぐにおさまらなくても、その悲しみをわかってくれていると思える誰かがいるだけで、気持ちが楽になりませんでしたか?
本当は子どもに優しくしたいのに、いつもイライラしていて、あるいは子どもが言うことを聞かなくて、つい怒鳴りつけてしまう。そんなとき、わかってくれていると思える誰かがいるだけで、イライラがおさまり、笑顔を取り戻すことができませんでしたか?
社会人になってからも、なかなか成果があがらないときやトラブルに見舞われたとき、上司が「自分の気持ちや努力をわかってくれている」と感じると、気持ちが落ち着き、仕事へのモチベーションが上がったことはないでしょうか?
このように、「自分の気持ちをわかってくれている」と思える誰かの存在は、特に苦しみの中にいる人、自分を肯定できない人にとって大きな支えやエネルギーとなり、ときにはその人の人生を導いていきます。
苦しみという暗闇の中で、わかってくれていると思える誰かの存在が、前を向いて生きていくための、一筋の光となるのです。
■後悔のない人生には「ありのままの自分でいられる」ことが不可欠
また、自分の気持ちをわかってくれていると思える誰かの存在は、ありのままの自分でいられる強さを与えてくれます。
たとえば、これまでに私たちが関わった患者さんの中には、体にたくさんの管をつけながら、本当に動けなくなるギリギリの瞬間まで仕事をしていた方もいらっしゃいました。
末期のがんになり、ご自身も大変な中で老々介護をし、夫を見送った後で亡くなられた方もいらっしゃいました。
「そんな体で仕事をするのはやめなさい」「夫の介護は施設に任せなさい」という人もいるかもしれませんが、私たちには、その患者さんたちにとって、仕事をすること、夫の介護をすることこそが、ありのままの自分でいられることであり、病気の苦しみの中で生きる支えになっていると感じられました。
私たちは、仕事や介護にいのちを燃やすお二人を静かに見守り、ときには丁寧に話を聴きました。
やがて、その患者さんたちは、満足しきった穏やかな表情でこの世を旅立たれました。
人それぞれ、大事にしたいことも、望む「ありのまま」の形も異なります。世間でいいとされていること、大事にするべきだとされていることが、必ずしもその人にとっていいわけではなく、大事なものであるともかぎりません。
■人生は、自分を理解してくれる人を探す旅
そして、親でもパートナーでも友人でも、あるいはペットや先に亡くなった誰かでも、自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままの自分でいることができます。
私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです。ですから、多くの人は、大変な時間と労力、エネルギーを割いて、自分の気持ちをわかってくれる人を探そうとします。
人生は、自分を理解してくれる人を探す旅であるといえるかもしれません。
■患者が心を開き、前向きになる瞬間
人が、誰かに対して「この人は、自分の気持ちをわかってくれている」と感じるのは、一体どのようなときなのでしょうか。
ホスピス医としてこれまで4000人以上の患者さんを看取ってきました。多くの患者さんと関わる中で強く思うのが、特に、苦しみを抱えている人は、誰かが自分の話を丁寧に聴いてくれたとき、そして自分が大事にしていることを相手が尊重してくれたときに「自分の気持ちをわかってくれている」と感じる、ということです。
人は誰でも、心の中で、必ず「何を、より大事に思うか」「何を、より優先させるか」といった順位づけをしています。
たとえば、仕事とプライベート、どちらを大事にするか。
お金とやりがい、どちらを大事にするか。
AさんとBさん、どちらとの約束を優先させるか。
ふだんは複数のことを同じように大事にしていても、人生において必ず、いずれかを選択しなければならない局面がやってきます。
そのとき、人は誰でも、迷った末に優先順位を決めるはずです。
■優先順位を尊重することは、その人を肯定すること
老いや病気により体が弱くなったり、この世を去るときが近づいてきたりすると、一人でできることも残された人生の時間も限られてくるため、優先順位をつけることを、ますますシビアに求められるようになります。
たとえば、体を動かすのがしんどくなったとき、それでもトイレに行って自力で用を足すことを優先するか、部屋にポータブルトイレを置く、おしめをつけるなど、人に頼ることを選ぶか。
人生最後のときを、病院や施設で迎えたいか、自分の家で迎えたいか。私はホスピス医として、患者さんの優先順位を尊重することを、非常に大事に思っています。
なぜなら、心身が弱っている人、苦しみを抱えている人の優先順位を尊重することは、その人の尊厳を守ること、その人を肯定することでもあるからです。
誰かの尊厳を守る、誰かを肯定するというのは、ただ権利や気持ちを尊重し、認めることではありません。
その人の、どうしても譲れない優先順位を守ること、どうすればその人が穏やかになれるかを考えることだと、私は思います。
そして人は、自分が苦しいとき、自分を否定する気持ちが強いときに、自分の優先順位を尊重してくれる相手を「誠実な人」「信頼できる人」「自分の気持ちをわかってくれている人」と感じるのです。
■自分の優先順位を理解してくれる人を大切にしてほしい
苦しいとき、切羽詰まっているとき、自分を肯定できずにいるとき、自分の優先順位を尊重してくれる人、自分の生き方を応援してくれる人がいるなら、その人は幸せです。
みなさんも、ご自身のことを考えてみてください。
仕事の予定と、恋人との約束がバッティングし、「今回はどうしても仕事を優先させたい」というとき、「どうして自分の約束を軽んじるのか」と怒る相手よりも、あなたの仕事を心から応援し、「自分との約束は今度でいいから」と言ってくれる相手に、「自分の気持ちをわかってくれている」と感じるのではないでしょうか?
逆に、仕事の予定と子どもの学校の行事が重なり、「今回はどうしても学校の行事を優先させたい」というとき、「仕事を優先しろ」という上司より、「仕事は明日でもいいから、今日は学校へ行きなさい」と言ってくれる上司に対し、「自分の気持ちをわかってくれている」と感じるのではないでしょうか?
また、健康で体力があるときは、自分一人である程度大事なものを守ることができるかもしれませんが、老いや病気により体の自由がきかなくなると、誰かの力を借りなければならなくなります。
大事なものであればあるほど、誰にでも任せるというわけにはいかないため、不安になったり焦ったりする人もいるでしょう。
しかしそのようなとき、自分の優先順位を理解してくれる人がいれば、人は安心してその相手の力を借り、穏やかな気持ちになることができます。
■他者、組織、社会のために自分を犠牲にしてはいけない
なお、世の中では往々にして、他者のため、組織のため、社会のために自分の優先順位を下げることが誠実さだと考えられがちですが、私はそうは思いません。
もちろん、ほかの人の役に立ちたい、組織や社会の役に立ちたいという気持ちは大事ですが、自分が本当に大事にしたいもの、「自分がやるべきだ」と思っていることを犠牲にし、他者の都合を一方的に優先させるのは本末転倒であり、何よりも自分に対して不誠実な生き方になってしまいます。
私は、人にはそれぞれに与えられたミッションがあり、そのミッションを果たすこと、自分の役割を果たせたと思えること、自分の大事なものを守れたと思えることこそが、本当の幸せにつながると思っています。
百人いれば百通りの優先順位があります。家族を何よりも大事に思う人もいれば、友人を大事に思う人、仕事を大事に思う人、ペットを大事に思う人もいるでしょう。
とにかく、他者の評価、社会の価値観などに惑わされず、自分が大事にしたいと思うものを、しっかり大事にしていくようにしましょう。
たとえ、さまざまな事情で、自分の優先順位を完全に守ることはできなくても、自分にとっての優先順位や、自分にとって大切なものを常に意識するだけで、人生は変わります。
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小澤 竹俊(おざわ・たけとし)
医師
1963年東京生まれ。87年東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業。91年山形大学大学院医学研究科医学専攻博士課程修了。救命救急センター、農村医療に従事した後、94年より横浜甦生病院ホスピス病棟に務め、病棟長となる。2006年めぐみ在宅クリニックを開院。これまでに3800人以上の患者さんを看取ってきた。医療者や介護士の人材育成のために、15年に一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会を設立。著書に『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』(アスコム)がある。
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(医師 小澤 竹俊)