令和ロマンの優勝で幕を閉じた「M-1グランプリ2023」。今回で19回目を数えるこの大会は、下火になっていた漫才を立て直すべく、元吉本興業社員の谷良一氏がゼロから立ち上げたものでした。

谷氏がM-1創設の裏話をつづった『M-1はじめました。』は、一つの新規事業の立ち上げ物語として読むこともできます。30万部を超えるベストセラーとなった『ストーリーとしての競争戦略』で著名な経営学者の楠木建氏が本書を読み、経営学的な視点から谷氏と語り合いました。

前編に続き、後編をお届けします。

なぜM-1は長続きしているのか

楠木:M-1は1回目からハイレベルで、手応えもあったと思いますが、これほど長く続くとお考えだったのでしょうか。


:過去の漫才ブームは2、3年だったので、このときも同じで、短い時間で終わってしまうのは嫌やな。5年やれて、その間にブームを起こせていれば満足、くらいに思っていました。ところが、3年過ぎても、5年過ぎても、下火にならなかった。

楠木:そこは一番聞きたかったことの1つですが、1980年代の漫才ブームは立ち上がりが早いけれど、盛り下がるのも早かった。消費され尽くして終わるテレビ・コンテンツの典型的パターンです。M-1は今に続いていて、ブームといえないほど、エンタメの大きな部分として定着しました。何が違ったのでしょうか。

:過去のブームは、プロ野球が雨で中止になった予備の番組として、フジテレビで「THE MANZAI」が放送されて、その翌日から、漫才師は突然、キャーキャー言われるようになったのです。

みんな初めての経験でわからない中で、「笑ってる場合ですよ!」とか「オレたちひょうきん族」とか漫才番組がいっぱいつくられて、漫才師も出るようになる。もう少し抑えぎみにすればよいのでしょうが、吉本側も慣れていなくて、スケジュールが埋まっていても、そこを何とかと頼まれる。それで一気に消費され尽くしてしまった。

あとは、デビューして3年や5年くらいの漫才師は、ネタを作れなかったこともあるみたいです。新ネタを作らないと飽きられるとわかっていても、暇がないので、ついついいつものネタをやる。それでもまたウケる。まだいけるのかなと思って先延ばしにして、気づくと飽きられていた。M-1は年1度のすごく長いストーリーなわけで、それが逆によかったのでしょう。


谷 良一(たに・りょういち)/元吉本興業ホールディングス取締役 1956年生まれ。京都大学卒業後、1981年吉本興業入社。間寛平などのマネージャー、「なんばグランド花月」などの劇場プロデューサー・支配人、テレビ番組プロデューサーを経て、2001年漫才コンテスト「M-1グランプリ」を創設した(撮影:今井康一)

「爆笑レッドカーペット」は漫才を壊す

楠木:真剣勝負でネタの準備からトレーニングまで行うことは、単純に目先の需要に応えることに対する一定の規律になったのかもしれません

:そうですね。ちょっとブームになったときに、「爆笑レッドカーペット」のように、ネタの一部を30秒とかに切り取って、笑いのギャグの部分だけをオンエアする番組が多く出てきました。あれは本当に漫才を壊すので、絶対に嫌でした。M-1は年1度だし、その間に、来年に向けて、いいネタづくりができます。

楠木:そして、本当に笑いがわかっている人が審査すると。それから、最初から別室審査では、本当の審査っぽくないから駄目だと。スポーツ競技のようにお考えだったのですね。

:紳助さん自身が若いときに新人コンテストに出て、わけのわからんヤツに審査されて、えらそうに言われて、落とされた経験があったのですね。なんでお前が漫才のことを言えるんだ、みたいな気持ちがあったと思います。

楠木:M-1は定着して、優勝すると、国民的なニュースとしてわっと知られるようになっています。今から見ると、テレビ的によくできたコンテンツで、途中のドラマとか、去年はどうだったとか、いろいろなストーリーを乗っけて楽しめます。

それでも、テレビの人たちは最初、テレビに合わないと思ったわけですよね。もっとドラマ仕立てにしたり、ドキュメンタリーで、親が死にそうな人はいないか、とか。当時の状況を考えると、いろいろなハードルを越える必要があったと思いますが、それでも「M-1はこういうものだ」というコンセプトは貫いているところに感心しました。

:とりあえず漫才を盛り上げるためには、漫才を見てもらわないといけないけれど、コーナーの1つとしてお茶を濁す程度に20、30分やるだけでは、漫才のおもしろさが1個も出てこない。ガチンコで漫才師が漫才をやるのがおもしろいので、それを番組にしてほしいんだと。

ただ、テレビマンとしては、そんな名もない若手の漫才師で、しかも漫才をやるだけではおもしろくないし、視聴率がとれない。正常な判断だと思うんですけどね。


楠木 建(くすのき・けん)/一橋ビジネススクール特任教授 1964年東京都生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より一橋ビジネススクール教授。2023年から現職。専攻は競争戦略とイノベーション。著書に『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『絶対悲観主義』(講談社+α新書)のほか、近著に『経営読書記録(表・裏)』(日本経済新聞出版)などがある(撮影:今井康一)

成功するプロジェクトはブレない

楠木:これまでのお仕事の経験からテレビ側の立場もわかるけれど、初めに決めたコンセプトをぶらさなかった。僕はいろいろな商売を傍から観察しているだけですが、目先の反応でコンセプトを崩したり、ブレたりすると、結局ダメになる。それが成功するプロジェクトの共通点だと思います。

ところで、紳助さんは本当に考えが深い方で、M-1の裏テーマは、才能のない人を諦めさせることにあるという考えですね。そこも深いと思いました。

:かなりきつい言葉ですけれどね。芸能界は何年かいると、やはり居心地がよいのでしょう。舞台に立って、自分の言ったことで1000人くらいのお客さんが一斉に笑うのは、ものすごい快感らしいんですよ。売れていない人でも笑いをとった経験があって、仲間と「今日のお客は重いな」と、自分もいっぱしの芸人になった気がする。漫才師としての収入はほとんどなくて、アルバイトをしながら、続けている人が多かったわけです。

しかし、年をとっていくと、ほんまに使ってもらえなくなるのです。ジリ貧になって、どうしようもなくてやめる。ところが、そこから第二の人生を始めるには遅い。20代でやめていたら、何とかなったけれども、30代まで引っ張ると、本当にダメで。プロとして1回戦、2回戦で落ちるようなヤツはもうやめさせようと。

楠木:それで実際にやめていった人も出てきたのでしょうか。

:直接ではなかったかもしれないけれど、やめた人もたくさんいましたね。

楠木:ここまでM-1が長く続くことについて、当時はたぶん誰も意図してなかった、もう1つの機能があるように思っています。今でもバラエティ番組や、漫才の形式をとらないお笑いコンテンツはたくさんあって、そちらに流れる傾向がある。

しかし、年に1度、M-1のような真剣勝負の場があることで、芸人さんたちを本筋の漫才に引き留める効果があるのではないかと思うのです。最近では、小籔千豊さんのように、ベテランが新しくコンビを組み直して挑戦することもあるみたいですね。

:あれは洒落で組んでいるかと思いますが、才能のある人が漫才に入ってくる効果はあるかもしれませんね。

楽屋裏はどこまで見せるべきか?

楠木:ご著書で触れられているのはM-1の2年目までの話ですが、これからの漫才について聞きたいと思います。

M-1をきっかけに、漫才師がまたエンターテインメントの中心になったり、インターネットやYouTubeのようなものが出てきて、今はお笑いの文脈がとんでもなく濃いですよね。見ている側は素人で、業界の人間でもないのに、先輩後輩とか吉本興業の人間関係まで知っている。提供する側もそういうことが全部わかっているうえで、おもしろいコンテンツが成立している。僕はあまりテレビを見ないのでわからないのですが、ネット記事を見ると、そういう傾向があるように感じます。

それに対して、僕の古典的な芸の定義は、楽屋の裏とかと一切無関係に成立すること。事前知識がない人でもおもしろいのが本来の芸だと思うのです。時代が移るとともに芸の内容も当然変わっていくべきだとは思いますが、それにしても、あまりにも背後の文脈が濃すぎて、今後どうなるのかなと思ったりしませんか。

:そうですね。番組を盛り上げるために、M-1も楽屋裏は見せていますが、本当は見せてはいけない部分もあると思いますね。たとえば、芸人は努力している姿を見せない。泣いている姿を見せない。表だけを見せて笑いをとると。それが、M-1ではその裏側も見せています。1組の漫才師を全部裸にして、こんなことをやってきて、今日の決勝に出てきましたと。

楠木:それは本番のコンテンツをおもしろくする重要な仕掛けで、年1回のコンテンツではかまわないと思いますが、やはり限度がありますよね。本人がアルバイトで苦労してきたのをわかったうえで、その芸を見て、結果が出て、みんな感動するのはわかりますが、その人と同じ事務所でやってきた人が応援して、サポーターみたいに盛り上がるとなると、本当にスポーツ競技みたい。漫才はスポーツではなく芸だ、というのが僕の世代の感覚です。

僕はナイツの塙宣之さんの『言い訳――関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(集英社新書)をおもしろく読んだのですが、漫才には距離適性があると。ナイツは競馬で言うとステイヤー、最も長距離で力を発揮するタイプで、浅草の東洋館で2時間でも3時間でもできるんだと。M-1はスプリンターで最も短距離の瞬発力で勝負するから向いてない、というようなことを書いています。

「短距離型」の漫才師ばかりになる懸念

みんながこれだけM-1に注目するようになると、短距離の人ばかりになり、それが漫才師の芸の賞味期限を短くしてしまう懸念はないのでしょうか。

:それはありますね。M-1で決勝に残ったファイナリストが劇場で10分の高座をすると、長いネタを持っていないので、頭でつかみネタをやって、間でちょこちょこ話して、2本目をやって、かろうじて10分やっているなと。M-1前からやっている世代はできるのですが、M-1ができてから後に漫才をやりだした人間はそうかなと。

楠木:それだけ漫才は難しいものなのですね。僕はチャンピオンとかM-1の決勝に出た人がその後どうなったか、興味を持って見ているわけですが、これまでトップクラスに残った人たちが、M-1を契機に燃え尽きて、漫才ができなくなったりしませんか。

:優勝やいいところにいったコンビはそのまま売れて、仕事はできていますね。ただ、仕事が忙しくて、漫才は年に何回しかやらない。それでいい漫才ができるはずはなくて。決勝には残ったけども、優勝できなかったコンビは欲求不満が残っているみたいです。

楠木:それだけ最初にお考えになったコンセプトが今でも機能していることと思います。

:たまたまですけどね。

楠木:僕は落語以外の大衆お笑い芸能では、漫才が一番おもしろいと思っています。そのときのおもしろさだけでなく、何回見てもおもしろい。それだけ芸としての完成度が高いジャンルです。しかし、そもそもM-1がなかったら、漫才の第二黄金期も長く続いてはいなかったわけですね。

最後に、これからの漫才についてですが、やはりYouTubeの影響がすごく大きいと思っています。「ざっくりYouTube 」ってご存じですか。千原ジュニアさん、小籔千豊さん、フットボールアワーさんが本当に雑談するだけですが、長い時間をかけて練り上げられた話芸の達人が自然と話し合うのを、傍から聞いているだけでもおもしろい。それで初めてYouTube番組を習慣的に見るようになりました。

劇場などでの経験がなく、純粋にYouTubeで知名度を得て、映画やコマーシャルに出るようになったユーチューバーもいます。たとえば、岡田康太さんは「岡田を追え! !」というYouTubeチャンネルで知られるようになりました。なぜ僕が見ているかというと、その方が僕の本をしょっちゅうネタに使ってくれていると聞いたからです(笑)。これは100% YouTubeのコンテンツですが、僕の世代でも見ていておもしろい。

10年後に漫才はどうなるのか

ということは、プロの話術ではなくても、見ている人がおもしろければいいし、YouTubeでしか成立しないものも出てくるとなると、最も高度な技術が要求される漫才のようなジャンルはどうなるのか。


今は好調でも、10年後にM-1の神通力がなくなって、谷さんみたいな方がもう1度プロジェクト立ち上げなくてはならないときが来るのではないかと思うのです。そのときには、M-1のようなコンテスト形式のカードはもう切れない。その頃、我々は生きていないのかもしれないですけどね。

:わからないですが、そのときは漫才というジャンルではない、まったく違うものになっているかもしれません。能や歌舞伎になると伝統芸能ですが、漫才も生で見る芸能として、その時々、時代を切り取ってしゃべるライブとして、生き残るのかな。

楠木:僕が最近知った好きな言葉が、「人間は死んでからが勝負だ」というものです。その人が死んでから、みんなが何を言うかでその人の真価がわかる。こんなことを言うと、縁起が悪いですが、M-1を誕生させた谷さんと、この本は、きっと死後も語り継がれますね(笑)。

今回、谷さんの本を読んで、漫才というジャンルの価値が本当によくわかりました。

(構成:渡部典子)

(谷 良一 : 元吉本興業ホールディングス取締役)
(楠木 建 : 一橋ビジネススクール特任教授)