よく人の話を誤解してしまうなど、国語が苦手な人のための「言葉を読み解く力」をご紹介します(写真:metamorworks/PIXTA)

仕事やプライベートで会話しているときに、相手の話を間違って解釈してしまい、なんだか話がかみ合わなくなってしまった経験はありませんか。これは学生時代に国語の勉強を疎かにしていた人ほど陥りやすい傾向です。全国屈指の名門校である西大和学園の現役国語教師、辻孝宗氏の新著『一度読んだら絶対に忘れない国語の教科書』を一部抜粋・再構成し、国語が苦手な人のための言外の言葉を読み解く力をお伝えします。

国語は勉強しなくてもできる?

長年国語を教えていると、教え子からこんなことを言われることがあります。

「国語なんて、日本語なんだから、勉強しなくてもできるでしょ」と。

たしかに、学生時代に真面目に国語の勉強をしていなかったけれど、大人になってから日常会話に苦労していない、という人も多いでしょう。

しかし、実はちゃんと国語の勉強をしていないと、相手の話を間違って解釈してしまったり、相手の意図を読み間違えたりすることがあるのです。

例えば、簡単な例を挙げましょう。

Q 明日、みんなでピクニックに行くことになっています。メンバーの一人が、「晴れたらいいのになぁ」と言いました。さて、このメンバーは何が言いたいでしょうか?


おそらく多くの人は、このメンバーの言葉をそのまま受け取り、「明日晴れたらいいと言いたい」と考えるでしょう。しかし、本当にそれでいいのでしょうか? それだけがこの人の言いたいことでしょうか?

普通、「明日が晴れたらいい」と思っている時に使う表現は、ストレートに「晴れたらいいな」ですよね。

でも、「晴れたらいい『のに』なぁ」って、若干否定のニュアンスが入っていますよね。この「のに」って、どういう意味があると思いますか?
実は国語の勉強をしていれば、「のに」はこういう解釈だとわかります。

・のに→〜なのに、そうなっていない

つまりは、「晴れたらいいのになぁ」は、「晴れたらいいのに、晴れないだろうなぁ」という意味なのです。

たとえば明日は待ちに待ったピクニックで、みんなすごく準備もして、楽しみにしています。でも、ニュースを確認したところ、「明日の降水確率は80%です」と言っていました。その時に言い放たれた「晴れたらいいのになぁ」は、「明日はピクニックだから晴れたらいいと思うけど、きっと晴れないだろうなぁ」という言葉だとわかります。

これは、国語や古文で習う、「反実仮想」と呼ばれるものです。

今の現実とは違うことを想像している時に使うもので、「現実と反する、仮の想像」という意味で、「反実仮想」と言います。

このニュアンスをわかっていないと、「晴れたらいいのになぁ」を「晴れたらいいなぁ」という意味だと勘違いしてしまいます。文字量で言えば「のに」という2文字しか違わないわけですが、しかしこの差は、めちゃくちゃ大きいのです。

ちょっとした言葉を使って、いろんなニュアンスを詰め込むことができるのが日本語の面白いところであり、逆にこのような言葉を理解していないと、裏側に含まれている意味を理解できないのです。国語の勉強をおろそかにしてしまうと、「自分で言葉の裏側のニュアンスを補わなければならない言葉」の意味がわからなくなってしまうのです。

〜でさえ、にはどんな意味が含まれている?

同じような言葉や文法はいくつも存在しています。

・さえ→AでさえBなのだから、ましてCはなおさらBだ

たとえば、私はよく、生徒に向けてこう言います。

私「この問題は解けるか?」

生徒「解けません!」

私「こんな問題、小学生でさえできるぞ!」

この場合、「この小学生でさえできる」はどういう意味になるかわかりますか?

もちろん先ほどと同じく、「この問題は小学生が解ける」ということを示すだけではありません。もう一個、全く違う情報を提示しているのです。

これは生徒に対して、「小学生でも解けるということは、君たちが解けないわけがない」ということを示しているのです。

もちろんこのように指摘している生徒たちは小学生ではありません。中学生だったり高校生だったり、小学生よりも上の学年の生徒に対して私は話しています。

その生徒たちに対して、「君たちが解けないわけがない」と示しているのです。

「さえ」は「AでさえBすることができる」と示すことで、言葉の中では明示していない、新しい「C」の情報に対して、「CはなおさらBだ」ということを示しています。「こんな問題、小学生でさえできるぞ!」の中には、「君たち」や「高校生」は入っていません。

しかし、「さえ」という言葉を使ったからには、明示していない新しいニュアンスが入っているはずだと考える必要があるのです。

やはり、の意味は??

・やはり→やっぱり、思った通りだ

よく相手の話に対して「やはり」と返すことがあると思いますが、これはただの相槌ではありません。相手の話に対して、「以前からそう考えていた」ということを伝える言葉です。「自分の予想通りだ」「思った通りだ」という意味ですね。

「彼は不正を働いていた」「やはりか……」

というやり取りがあったら、この時の「やはり」は「やはり彼は不正を働いていた」というニュアンスだけでなく、「予想していた通りだった」というニュアンスも入っているので、ここでいう「やはりか」は「やっぱり自分が以前からそうではないかと思っていた通り、彼は不正を働いていたんだな」ということになります。

・さすがに→そうはいってもやはり、確かにあなたの言うことは正しい面があったりして理解できるところもあると思うけれど、それでも程度が過ぎるので私はそれは受け入れられない

「さすがに」は、相手の話を否定する時に使うことが多い言葉だと思いますが、この4文字に含まれる意味はかなり多いです。「相手の話に対して一定の理解を示しつつも、それでも受け入れられる程度を超えているので、それを受け入れることができない」ということを指します。

「交通費がないんだ。1万円貸してくれる?」「さすがに……」

と言ったら、これはただ相手の話を否定しているわけではありません。相手の話に対して一定の共感を示した上で、それでも共感できる「一定」のラインを超えているので、否定せざるを得ないということを示しています。

あえて言葉で表すならば、「さすがに」=「1万円を貸して欲しいというあなたの考えはある程度は理解できるところもあるが、しかしそれでも、程度が過ぎていると思うので、私にはどうしてもので1万円を貸すことはできない」という意味になります。

もっと解釈するなら「交通費が必要だというのはわかる。だけど、1万円は高すぎるんじゃない? せめて、3000円とかだったら貸してもいいけれど」という意味で「さすがに」だと考えられます。

すべての日本語は、言葉通りではない

いかがでしょうか? すべての日本語が、本当に「言葉通り」の意味なのであれば、たしかに国語の勉強を頑張らなくても大人になってから困ることはないでしょう。しかし、そういうわけではないのですから、しっかり国語の勉強をしておかないといけないわけです。

同時に、短い言葉の中にいろんなニュアンスを入れることができるようになったら、簡潔に物事を伝えることができるようになるでしょう。

相手の話を理解し切れないことが多い人や、相手に対して簡潔に物事を伝えたいと感じる人は、ぜひ、大人の方であっても今から国語の勉強をしてみてもらえればと思います。


(辻 孝宗 : 西大和学園中学校・高等学校教諭)