肥満の大将、と呼ばれた龍造寺隆信の最期とは?(イラスト:『おしまい図鑑 すごい人は最期にどう生きたか?』より引用)

伝記や教科書、図鑑で「偉人」と称されるすごい人たち。そんな人たちは、いつも偉業を成し遂げていた、とは限りません。病気や、怪我、お金がなくなったりと、自分の人生の「おしまい」を感じながらも、最期まで自分らしく生きようとしていました。著述家の真山知幸氏の新著『おしまい図鑑 すごい人は最期にどう生きたか?』を一部抜粋・再構成し、一風変わった最期を遂げた、戦国武将の龍造寺隆信のエピソードを紹介します。

食欲を持ち続けた夏目漱石

「何か食ひたい」

臨終間際にそう言って49歳でこの世を去ったのは、文豪の夏目漱石である。糖尿病や痔などにも苦しんだ漱石の死因は、胃潰瘍とされている。もともと胃が弱かったが、それでも最期まで食欲は失われなかった。

食べ過ぎは肥満を招き死亡リスクを高めるが、食欲不振も心身を弱らせる。食欲と適度な距離を保って付き合い続けることも、晩年のテーマといえそうだ。

「鉄血宰相」と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクも食べ過ぎによる、体調不良に陥っていた。

ビスマルクは47歳から75歳まで、実に約30年間の長きにわたりドイツの首相を務めた。激務のストレスからか食生活はめちゃくちゃ。大量のステーキ、ソーセージ、タマゴ料理、キャビア、魚の燻製を、ワインやシャンパンで流し込む。暴飲暴食がたたり、体重は120キロを超えていた。

このままではまずいと、主治医がビスマルクの食事や飲酒の量を管理。起床や就寝、休養の時間も管理した結果、ビスマルクは68歳にして20キロの減量に成功している。

体調不良から早期の引退を望んでいたビルマスクだったが、ダイエットで心持ちも変わったようだ。

75歳で宰相を罷免されたあとも、議員の補欠選挙への出馬に踏み切るなど政界復帰への意欲は衰えず、影響力を持ち続けた。肺の充血によって83歳で死去。かつての不健康ぶりを思えば、十分に長寿だといえる。

江戸幕府を開いた徳川家康も、肥満体型だったらしい。スペインのフィリピン臨時総督ロドリゴ・デ・ビベロは『ドン・ロドリゴ日本見聞録』でこう書いた。

「尊敬すべき愉快な容貌をしており、太子(秀忠)のように色は黒くなく、また彼より肥満していた」

それでも家康が健康を損なわなかったのは、適度な運動を心がけて、かつ、食養生を実践していたからだろう。2代目将軍を務める息子の秀忠に、できるだけ盤石な状態で実権を移すため、家康はできるだけ健康で長生きしようとしたともいわれる。漢方も自ら調合するという、こだわりぶりを見せた。

家康の死因については、タイの天ぷらを食べて食中毒になったからとされてきたが、近年は胃癌が有力視されている。75歳で没した。

肥満の戦国武将、龍造寺隆信

肥満のせいで、一風変わった最期を遂げた戦国大名がいる。現在の佐賀県や長崎県にあたる肥前国を中心に活躍した、龍造寺隆信のことだ。


肥前国を中心に活躍した、龍造寺隆信(イラスト:『おしまい図鑑 すごい人は最期にどう生きたか?』より引用)

1529年に生まれた隆信は家康より14歳年上で、織田信長と比べても5歳年上にあたる。だが、本能寺の変で信長が49歳で亡くなると、その2年後に隆信も56歳でこの世を去っている。一体、何があったのか。

20歳で龍造寺本家の当主となった隆信は、家臣たちの陰謀で引きずりおろされそうになりながらも、主君の少弐(しょうに)氏を下剋上で倒す。隆信はかつて、祖父の龍造寺家純と父の周家が謀反の嫌疑をかけられて、少弐氏に殺されている。念願の敵討ちだった。

その後、隆信はすさまじい勢いで台頭する。九州北部を支配下に置いた大友氏を撃破。肥前・肥後・筑前・筑後・豊前の5カ国にまで勢力を伸ばした。

しかし、である。このあたりで隆信の電池が切れてしまった。隆信は政務を怠り、詩歌管弦や猿楽など遊興にふけるようになる。軍師として支えた義弟の鍋島直茂はこれを諫めたが、うるさく思った隆信から筑後へと飛ばされてしまう。酒や女に溺れた隆信は、体格も「肥満の大将」と呼ばれるほどに太った。

太りすぎて馬に乗れなかった

そんななか、有馬晴信・島津家久との合戦「沖田畷の戦い」が起きると、隆信は、太りすぎて馬に乗れず、家来6人がかつぐ駕籠にのって登場。そのうえ、島津の兵を自分の兵だと勘違いして「隆信はここにいる。どこに向かって敗走しているんだ!」と罵ったことで、相手に気づかれて槍で突き伏せられている。


なんとも情けない最期だが、家康やビスマルクのように野心を持ち続けるだけが人生ではない。物心ついた頃から戦に明け暮れた隆信が、40代〜50代の中年期で、かつての情熱を失った気持ちは何となくわかる。

島津兵に首を斬られる前、辞世の句を問われた隆信はこう答えた。

「紅炉上一点の雪」

紅炉の上に置いた雪がたちまちとけてしまうように、私欲や迷いなどがすっかりとけている――。束の間の煩悩を楽しんだがゆえの境地だった。

おしまいから考える
今のうちに改善したい習慣は何だろう。

(真山 知幸 : 著述家)