2022年3月に社長に就任した島田太郎氏(写真:Bloomberg)

「東芝」と聞いて多くの人は何を頭に思い浮かべるだろうか。経営混乱だろう。東芝が経営不振に陥ってからの8年間、耳にするのは経営再建に関するニュースばかり。メーカーであることを忘れてしまうほど、本業に関する話題で盛り上がることはなかった。

ところが、9月21日に発表された日本産業パートナーズと企業連合による株式の公開買い付け(TOB)成立により大きく風向きが変わった。12月にも上場廃止になる見通しだ。

東芝でデジタルがわかる初めての社長

TOB開始を発表した8月7日、島田太郎社長兼CEOは記者会見で「中長期の戦略をしっかり実行できるようになる。東芝は革新的な技術があるが、ビジネスとして成立させるには一定の時間がいる」と強調した。

2022年6月に発表した経営方針では、2030年度に売上高5兆円、営業利益6000億円を目標に掲げた。データサービスをその牽引車にする。長い歴史を持つインフラ事業から生じるデータを駆使することで、巨大テック企業5社GAFAMや、中国IT大手のようなプラットフォーマーに近いビジネスモデルを構築しようとしている。島田氏は社長就任時に自ら口にした「東芝でデジタルがわかる初めての社長」として長所を最大限に発揮する意向だ。

ハード主体の電機メーカーだったソニーグループが、2021年度に「ゲーム」「音楽」「映画」など3領域から成るエンターテインメント分野が連結売上高全体の50%を超えたように、東芝は「デジタルが分かる会社」に変身できるだろうか。

思い起こせば、ソニーがハードとソフトの両輪経営を構想し始めたのは創業者の盛田昭夫氏である。

平井一夫前CEOがエンターテインメント畑出身だったことから、その手腕が注目されたが、盛田氏が大きな時代の変化を見通す先見性を発揮し、ソフトがわかる歴代CEOが着々と地歩を固めてきたからこそ、平井氏が果実を手にすることができたのだ。

では、東芝は「デジタルがわかる会社」へ転換するための下地づくりが長い年月をかけて行われていたのだろうか。

東芝は約150年にわたり、 発電などのエネルギー事業、水処理などのインフラ事業、社会・情報インフラ事業に携わってきた。今、エネルギーやインフラの分野では、再生可能エネルギーの普及やインフラ老朽化への対応などが求められている。東芝はここでデータの力を生かそうとしているのだ。

一方、経営危機に直面し、虎の子だった医療機器や半導体メモリーなどの事業を次々と売却、分離してしまった。こうした中で、「残された事業で何ができるのか」と危ぶまれる声も聞かれるようになったが、残された事業にも、POS(販売時点情報管理)のように大きな市場シェア(日本:約50%、海外:約20%)を占めている強いインフラ・ビジネスがある。スマートフォンと連動することで、データを活用した新たなビジネスモデルが構築できそうだ。

デジタルの波を「感知」するのが遅れた

ただ、悔やまれるのは、なぜ、もっと早くデジタルの大きな波を「感知」し、自社の強みを「捕捉」しなかったか、である。そして新規事業を立ち上げ主力事業に育てる「変革」をもっと早い段階から手を打ってこなかったのか。

ソニーに比べれば、東芝にリロケーションの下地はあったものの、具体的にビジネスモデルとして構築しようとする動きは見られなかった。サイバー技術とフィジカル技術を融合した「サイバー・フィジカル・システム(CPS)」と称し、やっと全社的に重い腰を上げたのは、退任に追い込まれた車谷暢昭前社長の頃からだ。

74年ぶりに非上場化するというコーポレートガバナンスの抜本的変化に伴い、既存の宝の山にすがる重い腰の企業文化も、世の中の大きなうねりを敏感に感知、捕捉し、素早く動き変革できる企業文化に大きく変わるかもしれない。その象徴の1つとして想定されるのが「脱高学歴」である。

かつて、「野武士の日立」「公家の東芝」と呼ばれた時代があった。無骨な感じの日立製作所に対し、東芝のどことなくおっとりした企業文化を表現した比喩といえよう。もっとも、東芝は日立と同様、メーカーなので工場など多くの現場労働者を抱えている。

ところがその一方、経営層や中間管理職に目を向けると高学歴の従業員が目立つ。東芝は石坂泰三氏、土光敏夫氏(いずれも経団連会長)、岡村正氏(日本商工会議所会頭)を輩出してきたことから、この印象をさらに強いものにした。まさに東芝は、日本を代表する名門大企業だった。

1990年代まで東大・東工大卒の社長が続いた

東芝のトップには東京大学や東京工業大学の出身者が就任していたが、潮目が変わったのは、慶應義塾大学経済学部卒の西室泰三氏が1996年に、社長に就任したときからだった。同社としては初めての私立大学文系出身の社長である。

その後、後継者となった岡村正氏は東大法学部卒だが、相変わらず西室氏が実権を掌握した。同氏が高く評価していた後継社長の西田厚聰氏は、早稲田大学政治経済学部を経て、東大大学院法学研究科に進み、イランの現地法人に入社し、31歳で本社に入社した。過去の東芝では考えられない異色と言える経歴だった。

9電力会社が最大得意先である東芝らしいエピソードを西田氏から聞いたことがある。

「西室会長に、経歴には早稲田卒、東大大学院修了のどちらを書いたほうがいいでしょうか、と相談すると、『早稲田卒と東大卒双方のお客さんと縁ができますから、両方とも書いておけばいいでしょう』とアドバイスを受けました」

西田氏の後任になったのが、西田氏と確執が深まっていった佐々木則夫氏。早大理工学部卒である。続く田中久雄氏は神戸商科大学(現兵庫県立大学)商経学部卒、室町正志氏は早大理工学部卒と、脱「東大・東工大依存」が図られているかのように見えた。

ところが再び、綱川智氏(東大教養学部卒)、外部から登用された車谷暢昭氏(東大経済学部卒)と東大卒が続く。車谷氏が突然退任に追い込まれ、綱川氏が再登板する。

なぜ、経営危機に直面した時に東大卒が続いたのだろうか。一般的に日本の高学歴型大企業で見られる現象としては、とりあえず「東大卒」を社長に据えておけば、詳しく説明をせずとも、現場だけでなく高学歴社員まで納得するという思いこみがあるからではないか。

そのような企業文化の中では、「東大出の頭のいい人だから、無難に危機を脱してくれるのではないか」という論拠のない期待が高まりがちである。結果論になるが、この2人の東大卒社長の下では、改革は大きく進展しなかった。

ニュースリリースに学歴を書かなかった

とはいえ、「東大卒=失敗」という明確な因果関係があるわけではない(1人や2人の談話をうまくつなげて一般化しようとするのは、経営学者の端くれとしても慎みたい)。

危機を打開しなくてはならないときには、従業員に対して変化の認識を意識させ、改革の動機付けをする必要がある。過去の経営者と同じような背景を持つ人がトップに座っても、危機感は熟成されない。

そこで、非常時には、うちの会社も変わったなと思われる人がトップに就くといいだろう。革命家のイメージを社員に与えることで、改革しなくてはならないという雰囲気が盛り上がる。

車谷氏が退任を迫られ、皮肉にも、その後任として車谷氏がスカウトしてきた島田氏が新社長に就任する。島田氏は甲南大学理工学部卒だが、就任時、メディア向けに発表した略歴には学歴が書かれていなかった。日本の大企業が発表するニュースリリースでは、めずらしいケースだ。

このため、さまざまな臆測が飛んだ。仕事の実績よりも30数年前に卒業した大学を気にするあたりは、偏差値至上主義になってしまった日本らしい悪しき風潮だ(誤解を招いてはいけないので補足しておく。甲南大学は独自の文化を誇るすばらしい大学であり、経済界で活躍しているOB・OGも多い)。

島田氏は、シーメンス日本法人の専務から転じて2018年10月東芝に入社。コーポレートデジタル事業責任者、2019年4月執行役常務、2020年4月執行役上席常務を経て2022年3月から社長を務めている。

島田氏の学歴、キャリアは東芝において革命的変化である。上場廃止後の東芝の経営でも革命的変化を起こすか否かが見ものである。企業統治しか話題に上らなくなってしまった東芝が、本来の「技術の東芝」に再生するだろうか。

9月には、経営方針に掲げるデジタル化を通じたカーボンニュートラル・サーキュラーエコノミーの実現を加速するために、ドイツのデュッセルドルフに新しい技術拠点「リジェネラティブ・イノベーションセンター」を開所。ドイツ語に堪能な技術者である島田社長にとっては、「自ら牛耳れる」戦略拠点になりそうだ。

東芝社員マインドも変えられるか

島田社長は「東芝には私より頭の良い人はいっぱいいる」と自覚していると思われる。自分より優秀な人に活躍してもらうよう苦心するだろう。変革を実現するためには、知らぬ間に「学歴の天井」を感じて萎縮していた社員にも最大限の実力を発揮してもらわなければならない。

それには飛び越えなくてはならないハードルがいくつもある。そのような中にあって、TOBに際し受けた多額融資の金利負担増加が懸念される。想定以上に事業が悪化すれば「物言う金融機関」が事業や資産の売却を迫るかもしれない。

一般的には、上場廃止は失格の烙印が押されたと見られるが、島田社長はメーカー本来の仕事ができるとワクワクしている。そのような人にとっては、学歴などどうでもいいことなのだ。そして、いい結果を出し続けることができれば、高学歴会社の東芝社員にとっても、学歴が意味なきものに見え、よりそれぞれが能力を発揮しやすい環境が作られることになるのではないか。

「脱高学歴会社」という視点から評価しても、島田氏の社長就任は高く評価できる。改革がうまくいけば、東芝は学歴社会終焉のロールモデルを築けるかもしれない。島田氏が社長就任発表時の略歴に卒業大学名を書かなかったのは、このメッセージが含まれていたとも読み取れる。

(長田 貴仁 : 流通科学大学特任教授、事業構想大学院大学客員教授)