江ノ島電鉄・鎌倉高校前駅近くの踏切。海外から多くの観光客が訪れる(記者撮影)

古都・鎌倉を走る江ノ島電鉄は、国内外から訪れる観光客にとっては被写体にぴったりのようだ。海岸沿いの稲村ヶ崎―腰越間や、併用軌道の腰越―江ノ島間など、いつも通りに走っている日常の風景なのに、これほどスマホのカメラを向けられる路線はめずらしい。

名場面の舞台の駅

ホームから相模湾を望む鎌倉高校前駅。1994年公開の『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』で、失恋したと打ち明ける満男に向かって寅さんが「お前まだ若いじゃないか。燃えるような恋をしろ。大声出してのたうち回るような、恥ずかしくて死んじゃいたいような恋をするんだよ」と、叱りつつ励ます名シーンが生まれた駅だ。

いまは訪日外国人を中心に観光客で混雑している。目当ては鎌倉寄りの「鎌倉高校前1号踏切」。アニメ『スラムダンク』のオープニングに登場するとあって、電車が近づくと海をバックに画角に収めようと集まった人たちが一斉にカメラを向ける。その人気ぶりは車道での撮影やゴミの放置の問題など、地元住民の生活への支障が問題になるほど。いまや日本でいちばん有名な踏切、と言っていい。


「スラムダンク」で有名になった踏切。電車通過時には一斉にカメラが向けられる(記者撮影)

鎌倉高校前駅に限らず、江ノ電には踏切がよく似合う。例えば、長谷―極楽寺間にある御霊神社の鳥居の前を横切る踏切。アジサイの季節には線路脇の花と電車がいかにも鎌倉らしい風景を演出する。

これらの踏切の遮断機などは日本信号という会社が製造している。

設立は1928年。鉄道や道路の信号システムを中心に交通インフラ向けのさまざまな機器を手掛ける。鉄道分野では自動列車制御装置(ATC)、自動列車停止装置(ATS)、列車集中制御装置(CTC)といった信号保安装置から、自動改札機、券売機、ホームドアなどの駅でよく目にする機器まで幅広い。


鎌倉高校前駅1号踏切の遮断機は日本信号製(記者撮影)

踏切遮断機の製造現場

製造拠点は栃木県宇都宮市と埼玉県久喜市、上尾市にある。上尾工場では鉄道の現場に設置する踏切の遮断機やポイントの転轍機など信号関係の機器を主に手がける。

警報機が鳴って遮断かんが下りる、という踏切の基本的な仕組みは昔から変わらないが、技術面では進化している。上尾工場の岡見毅彦工場長は「最近の踏切は閃光灯がLED化されているほか、遮断器はロボットなどに使われる『サーボモーター』の採用で竿先の高さがずれないようにするなど、設置と保守の省力化が図られている」と説明する。


新品の踏切遮断機がずらりと並ぶ日本信号の上尾工場(記者撮影)

現在、鉄道の新線は道路と立体交差するように建設するのが原則で、踏切を新たに設置することはできないことになっている。が、古くなった既存設備の更新や、列車の接近を知らせる装置がない第4種踏切に遮断機・警報機を付けて第1種に格上げする場合など、機器には一定の需要があるという。


日本信号上尾工場の岡見毅彦工場長(左)と花田安史課長(記者撮影)

また、鉄道信号に用いるリレー(継電器)についても上尾工場で製造している。「とくに神経を使う職場なので作業している人にはあまり近づかないようにしている」と話すのは同工場管理グループの花田安史課長。「私が入社した何十年も前に『リレーはいずれなくなる』と言われたが、いまだに使われ続けている。仮に壊れたときにも確実に安全側になる、という長年の信頼があるのだろう」と語る。

交通信号も進歩する

歩行者と自動車、自動車同士の事故を防ぐのに欠かせない道路の交通信号の技術も日進月歩。いまやLEDの灯器はめずらしくなくなったが、開発の成果は頭上ばかりでなく、歩行者の手元にもある。「高度化PICS」と呼ぶ歩行者支援システムを整備した交差点では、スマートフォンのアプリの画面上で歩行者用押しボタンを操作することができる。

視覚障害者や高齢者の利用を想定する。ブルートゥースで通信し、交差点に近づくと音声や振動で知らせ、「青になりました」「信号が変わります」などと教えてくれる。鉄道駅構内での改札やトイレ、エレベーターへの誘導のほか、乗降支援などへの展開を視野に入れる。スマートモビリティ事業部ITS営業部の小野塚雅博さんは「ホーム上の転落防止や、踏切の安全対策にも役立てたい」と強調する。


信号の歩行者ボタンをスマホ画面上で押すことができるアプリ(記者撮影)

一方、久喜事業所の敷地内では地面に引いた電磁誘導線に沿って自動運転カートが走行できるようになっている。スマートモビリティ営業部の阿部直孝係長は「信号やバス停、時刻表などと連携できるよう開発している。路線バスやトラックの自動運転に信号とセンサーの技術を応用していきたい」と話す。

同事業所には、研究・教育の拠点となる「安全信頼創造センター」も設けられていて、展示スペースには実際に作動する踏切が再現されている。

台湾にもスラムダンク踏切

海外事業は台湾やバングラデシュ、インドなど30の国と地域で展開する。2022年にはフィリピンのマニラ地下鉄、エジプトのカイロ地下鉄の信号システムといった大型案件を受注した。

台湾では2020年に完成した台湾鉄路南廻線の電化事業で、踏切設備や列車検知装置、中間閉塞装置、転轍機などを担当した。2023年8月には、南廻線の北に連なる花東線で複線化に伴う信号設備の移設工事を受注した。

南廻線・太麻里駅の近くにも江ノ電の鎌倉高校前を彷彿とさせる、海を背にした踏切がある。


台湾鉄路南廻線・太麻里駅近くの踏切。台湾のスラムダンクファンが撮影に押し寄せるという(写真:日本信号)

スラムダンクの主人公、桜木花道に由来する「櫻木平交道(桜木踏切)」との呼び名もあるようだ。現地の人によると「駅の近くでアクセスがよく、少なくとも10年以上前から人気のスポット。みんなヒロインの赤木晴子の真似をして写真を撮っている」という。アニメと同様、日本の踏切は海外の人々の暮らしの中に溶け込んでいる。


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(橋村 季真 : 東洋経済 記者)