店側から見たレビューサイトの本音と、意外な活用術を紹介します(写真:yosan/PIXTA)

レストランは物語の宝庫です。そこにはさまざまな人々が集い、日夜濃厚なドラマを繰り広げています。人気の南インド料理店「エリックサウス」総料理長、稲田俊輔氏の新著『お客さん物語:飲食店の舞台裏と料理人の本音』より一部抜粋し再構成のうえ、店側から見たレビューサイトの本音、意外な活用術をご紹介します。

レビューサイトは「あてにならない?」

食べログやグーグルマップなどの飲食店レビューは、現代において趣味の食べ歩きだけにとどまらず、日常の飲食店選びにも欠かせないツールになっています。実際にその店を利用した人々のリアルな感想がすぐに得られるのはありがたい反面、心無い中傷や根拠のない決めつけもあったりして、「評価があてにならない」という批判もあるようです。

嗜好や価値観は人それぞれですから、そういうことが起こるのもある程度は仕方ないことなのかもしれません。なのでそこは、利用する側が情報を取捨選択して賢く使うしかない、ということになります。

僕はその効率的な利用法の1つとして、「まず低評価レビューから見る」ということをよくやります。高評価レビューって案外自分の言葉で書かれていなくて、結局「おいしい」としか言ってなかったり、テレビのグルメ番組でもよく見かけるような定型句に終始したりしているものが大半。

その点、低評価レビューには、逆に生々しい感情があふれています。もちろんそこには偏った価値観や料理への無理解、時にはあからさまな悪意も存在するわけですが、そういった毒気に当てられず冷静にそれを読み込めば、そこにはその店の真の姿がリアルに浮かび上がったりもするのです。

低評価レビューは貴重な情報源

例えばフレンチ、イタリアン、スペイン料理といった欧風料理の店に関して言えば、そこに「しょっぱい」「油脂がくどい」「香草がキツい」(なので「食べられたもんじゃない」)といった低評価がいくつかあれば、僕は「これはアタリの店かもしれない」と判断します。

塩気や油脂を控えて、誰にでも食べやすく、どこからも文句が出ない料理を作るのは、プロならそう難しいことではありません。なのにあえてそれに背を向けるということは、そうやってでも表現したい明確な何かがあるということでしょう。この場合であれば、おそらくクラシックでどっしりとした料理を目指していることが推測可能です。

誰にでも食べやすい現代的な料理と、食べ手を選ぶクラシックな料理──もちろんどちらが上というわけでもありません。しかしおおむね世間において後者の存在は貴重です。

お店によっては、クラシックを標榜しつつも実際はメニューの中のごく一部だったり、現代的に食べやすくアレンジされていたりすることも少なくない。高評価のレビューだけ見ていると、それがどんなタイプのお店であっても区別なく、

「とにかく絶品です!」

「何を食べてもおいしい」

「素材を生かした豪快かつ繊細な料理」

「内容に対しては安い」

といった「何も説明していないに等しい」定型句が並んでいることのほうが多いようで……。

だからこそ低評価レビューは貴重な情報源になり得るのです。

ただしこれは、あくまでお客さん、消費者側だけから見た話です。

ある時こんな質問を受けました。

「お店の人は飲食店レビューで好き放題書かれることをどう思ってるんですか?」

この答えは基本的には大変シンプルな話で、高評価が付けばうれしいし、低評価が付けば悲しい、それに尽きると思います。

このうれしい悲しいは、それが店の集客・売り上げを左右するという純粋にビジネス的なものと、単純に人として褒められりゃうれしいし貶されりゃ悲しい、というプリミティブな感情がミックスされています。

低評価の多くはマッチングミス

そこでとても重要なポイントがあります。

たとえ10件の高評価があったとしても、1件の低評価があれば、高評価のうれしさなんて全部吹っ飛んでしまうのです。

たった1回貶される悲しみは、10回褒められるうれしさを簡単に帳消しにしてしまうということです。褒められる喜びは一瞬ですが、貶されれば延々とクヨクヨしてしまう……。

その低評価が店の改善のヒントになる的確なものであればまだクヨクヨしがいもあるってなもんですが、残念ながら低評価の多くはマッチングミスです。僕はこれを「不幸な出会い」と呼んでいます。

「そういうのがいいんだったらそういう店に行けばいいのに、どうしてわざわざウチに来て文句言うの?」

と言いたくなるやつです。

低評価を書き込む人は、たぶんですが、多くのお客さんがその店と関わる中で自分ひとりの意見なんてささやかなものだろうと思っているんじゃないかと思いますし、だからこそ貶すべきことは貶して少しでもバランスを取るべきみたいな使命感もあるのかもしれません。

それは決して間違ったことではないかもしれませんが、実はそれは店(の人のメンタル)に存外大きなダメージを与えている。「だから批評なんてするな」というのももちろん違うかもしれないのですが、その甚大なるダメージにはつねに思いを馳せて欲しいなとは思います。

店側の対処としては、店を貶したら貶したほうが恥をかく、みたいな構造を構築するしかありません。

もちろんその前に、サービスや商品のクオリティーを上げ、かつミスを無くすという基本的な努力はありますが、これはレビュー云々関係なく当たり前のことですし、それをやったからといって低評価をすべて回避できるわけではありません。

おいそれと貶されないようにするためには、その店の思想・方針・ポリシーなどを世に広めていく必要がありますし、そもそもそのコンセプトが「貶しづらい」ものである必要もあります。自分で言うのもなんですが僕はそういうことに関しては狡猾ですし、それをアピールする、SNSや各種ネット上のメディアなどの場も持っています。

しかしすべての店がそうとは限らない。よしんばそういうことをやれていたとしても、関係なくそこに突撃してくる無敵の人はいます。なので、店を的確に理解した高評価レビューがたまることが、ほとんどのお店にとって唯一、それを回避する方法となります。

並べて見ると、低評価レビューのどの部分が「無理解」に基づいており、どの部分がある程度的確なものかがわかるからです。

レビューサイトはないほうがいい?

しかしそれとて無理解に基づく低評価を完全には回避できません。そもそもそこまで比較して読み込んでもらえる保証もありません。

だから世の中の結構な割合のお店の人が「レビューサイトなんて無くなってしまえばいいのに」と思っていたり、自分からはそれを絶対見ないようにしていたりもします。


ただ個人的にはそれはそれで少しもったいないとも思っています。割合は少ないかもしれませんが、改善のヒントが得られることも確実にありますし、何より「褒められてうれしい」という、飲食業をやっていくうえでのある意味最大のヨロコビも得られるので。

あとは1件の低評価ごときにクヨクヨしないようメンタルを鍛えるしかないのでしょう。現実的には1件の低評価より10件の高評価のほうが世間に与える影響は大きいわけですし。

もっと言えば実際は、レビューの何十倍何百倍ものお客さんが実際に店を訪れて楽しんでくれているわけです。あえて星は付けずとも、高く評価しているから通ってくれているファンがその店には大勢いる。

この幸福な事実を改めて噛み締め、レビューサイトとはほどほどに付き合っていく──これが現代の飲食店主に求められる処世術なのかもしれません。

(稲田 俊輔 : 南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長)