東大医学部卒の三段跳インカレ女王・内山咲良が引退を決めた理由「研修医と陸上の両立は迷いもあったけど、すごく尊い時間でした」
内山咲良 インタビュー 前編(全2回)
今年5月末、内山咲良さん(26歳)が引退を発表した。
内山さんは東京大学医学部在学中の2021年日本学生陸上競技対校選手権(日本インカレ)女子三段跳を自己新の13m02で制し、卒業後の2022年春からは病院の研修医として働きながら競技を続けてきた。
最大の目標としてきた今年6月の日本選手権を前に肉離れを発症し、出場を辞退。同時に、競技人生に区切りをつけることも決めた。
現在、静岡で暮らす内山さんを訪ねた。
今年5月に陸上競技を引退した研修医の内山咲良さん 写真/スポルティーバ
* * *【病院勤務後にジム、坂道ダッシュ】
ーー昨年春に大学を卒業後、研修医の仕事をしながら競技を続けてきました。どんな生活を送っていましたか?
内山咲良(以下同) まずは、昨年6月の日本選手権出場へ向けての気持ちが強かったです。大学6年の時(2021年)の日本選手権では、入賞(8位/12m51)はしたものの後悔の残る結果だったので、どうしても出たいと思っていて。じつは当初、この年の大会を引退試合として臨もうと考えていたんです。
ただ、6年冬に国試(医師国家試験)があったし、疲労骨折もしていたのでいい冬練ができたわけではなかった。かつ、4月に東京から静岡へ引っ越して新しい環境にもなりました。病院での勤務後にジムへ行ったり近所で坂道ダッシュをしたり、週末は競技場へ行って練習して......という生活だったので、精神的にも肉体的にもなかなかきついなかでの日本選手権でした。
ーー結果は12m96を跳び、大会自己最高の4位でした。
あの時の状態を考えると、よくあんなに跳べたなというのが正直なところです。強い選手もたくさんいるなかで、冷静に、あれ以上の順位は難しかったと思う。そこで、いったんはやりきったかな、という感じもありました。
2022年の日本選手権では4位に入った 写真/月刊陸上競技
ーーしかし、競技を続けることを決めました。昨年9月、SNSで「引退できませんでした」という投稿とともに、次の大会へのエントリーを表明されていました。
日本選手権のあと、もう少し跳べるんじゃないかという気持ちが残ったんです。コロナ禍がまだひどくて、人に会うのもよくないという時期だったので、仕事から帰っても予定がない日が多く、練習ができたというのもあると思います。
ただ9月には自分がコロナにかかってしまって。出場予定だった全日本実業団対抗は辞退し、次の10月の田島(直人)記念に出場しました。コロナで筋肉と体力がけっこう落ちてしまった状態でやっぱり悔いが残る結果(7位/12m38)だったので、もう一度しっかり冬練をやろうと決めたんです。
2022年の日本選手権にて 写真/本人提供
ーー冬を越えてさらに競技を続ける決意をしたわけですね。
でも、なんというか、その頃からいつまでこれを続けるのかなって気持ちがちょっとずつ出始めてしまったんです。研修医の仕事をしながら陸上をやることについて、病院の方々も含めて周囲は肯定的にとらえてくださっていたんですけど、自分としては自由時間のうちかなり多くの時間を陸上にさいていて、全然勉強をできてないなとも思っていて。
医者という仕事にちゃんと向き合えてないんじゃないかと考えることもあって、迷いを抱えながら、冬練をやっていた気がします。そして、今年4月終わりに織田(幹雄)記念に出ましたが、やっぱり思っていたより跳べなかった(7位/12m61)。その頃からハムストリングの調子の悪さも感じるようになりました。
ーーケガの要因があったのでしょうか?
たぶん、試合の出力に耐えられる体になっていなかったというのが大きな原因だとは思うんです。不安なまま練習して、質も上がりきっていないような気がしていました。
5月には出力を上げるために、大学時代にコーチから教えてもらった「砂の坂を下る練習」を千葉の砂浜で行ないました。脚への負担は大きいけれどスピードを上げられるという練習なんですが、それを数本やっているうちに肉離れになってしまいました。
ーーケガは今年6月の日本選手権直前でした。
試合まで2週間をきったくらいの時期でした。すぐ整骨院へ行って数日休んで、行けるかなと思ったんですが、競技場へ行ってみると脚が動かせず。また日を少し開けて走りに行ったけど、ダメで。
日本選手権は両親も見に来てくれる予定だったし、周囲にも出ると言ったあとにケガをしてしまったので、頭のなかでぐるぐると考えたんですけど、この状態では出ても試合にならないなと。それで出場を辞退しました。
ーー同時に引退を決めた。
日本選手権の次の試合はなんだろうと調べてみたら7月末でした。でも、それまでに治るかわからないケガを抱えながら、また陸上のためにいろんなものを犠牲にして続けていけるかと考えた時に、ちょっとなんか無理だなって思ってしまいました。
人生のすごく大きな決断を最後はあっけなくしてしまうのかなという気持ちもありましたが、陸上を続けるのも続けないのも苦しいなと思いつつ、手を離してしまった感じでした。明るい話ではないですが、最後は逃げたような形になったことに後悔は残っていて。やめると決めた時にはみっともなく涙が出てきてしまいました。
泣いてしまうというのは、中学生からずっと続けてきたことを手放して悲しいというのと、最後の瞬間に自分の可能性を信じきれなくなったことが悔しいという気持ちもあったり。あと、やっぱり自分は陸上が好きだったんだなというのも実感しました。
現役時代の日々を振り返る内山さん 写真/スポルティーバ
ーー引退発表の反響はいかがでしたか?
日本選手権が近づいてきた頃に、「頑張ってね」とメッセージをくださる方もいたので、ちゃんと言っておかないと、と思ってSNSで引退について書きました。
「もったいない」と言ってくれる人もいましたし、「お疲れさま」とか肯定的な言葉をかけてくれる人が多くて、本当にありがたかったです。こんなに応援してもらっていたんだなと感じました。
ーー引退から数ヶ月が経ちました。その間に心境の変化はありましたか?
気持ちの面でだいぶ回復しました。引退を決めた頃は放射線科を回っていて、病院の地下の部屋で黙々と画像と向き合う日々だったので、それがかえってありがたかったです。症例発表も重なってすごく忙しくなったのもあって。そうやって医学のほうに集中するなかで、だんだんと心が回復できました。
ーー今振り返って、陸上と勉強、また陸上と仕事を両立してやっていた自分になんと声をかけたいですか?
うーん、頑張っててえらいよって、ちょっとねぎらってやりたい感じはありますかね(笑)。とくに最後のほうは体が気持ちに追いついていない感じがあってちょっと追い詰められていたところがあったので、陸上をやりながら仕事をしているだけでえらいよって、言ってあげたいかなと思いますね。思い返すと、すごく尊い時間だったなと。
現在は静岡で研修医として働いている 写真/スポルティーバ
ーー今も何か運動は続けているんですか?
引退してしばらくはトレーニングも全然していなかったんですけど、気持ち的にも上向いてくるようになって、少しずつ再開しています。ジムへ行ったり、長い距離を歩いたり、あと最近は登山が楽しいなと思っています。
静岡の近場の低山を歩いたり、この間は家族で富士宮の5合目から富士山に登りました。私はその前哨戦として別の日にひとりで0合目から5合目を歩きました。目標がないと頑張れないタイプの人間なので、頂上がある山はいいですね(笑)。最近、ちょっとハマっています。
今夏は家族で富士山に登った 写真/本人提供
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後編では、医学に専念する現在の日々と、志す女性アスリート支援などについて聞く。
後編<東大医学部卒・元インカレ女王の内山咲良が目指す女性アスリート支援「月経、栄養、メンタルケアで幸せな競技生活を手助けしたい」>を読む
東京大学医学部時代のインタビュー記事>>
【プロフィール】
内山咲良 うちやま・さくら
1997年、神奈川県生まれ。東京大学医学部医学科卒業。筑波大附属中・同高を経て、2016年に東京大理科3類に現役合格。陸上競技は中学時代からスタートし、高校3年時には走幅跳で全国高校総体(インターハイ)出場。大学入学後に三段跳を始め、2021年の日本学生陸上競技対校選手権(日本インカレ)女子三段跳で自己新記録13m02を出して優勝。大学卒業後、2022年から静岡県内の病院に研修医として勤務。同年6月の日本選手権で4位入賞。2023年5月に引退を発表した。最近の趣味は登山。