3年超の休職から職場復帰した筆者が語る、治療・休職の期間中に失ったもの、手に入れたものとは(写真:8x10/PIXTA)

「急性白血病と診断されます」。診断後、即休職、翌日入院。人生に突如発生する「電源オフ」、そんな生活の強制終了をどう乗り越えるのか。

そのヒントになればと願いつつ、「人生における電源オフ」を迎えた経験を振り返ったのが、山添真喜子氏の『経営コンサルタントでワーキングマザーの私がガンにかかったら』である。氏は白血病の治療を終えて、3年超の休職から2021年秋に職場復帰した。今回は治療・休職の期間中に失ったもの、手に入れたもの、そうした経験の活かし方について話していく。

治療開始から丸5年、病は遠のいた


「最近仕事はどう? 忙しくなってきたんじゃないの?」

そう質問されて、少し考えこんでしまった。白血病を発症する前に比べたらそこまで忙しくはないけれど、復職から時間が経つにつれて確実に忙しくなってきている。

「休職する前のような感じではないですが、じわじわと忙しくなってきてるのかもしれないですね。いつか昔みたいな働き方になっちゃうのかな……」

「だめだよ、昔と同じような働き方しちゃ。せっかく病気治したのに、昔のように身体に無理させるの、やめたほうがいいよ」

私のぼんやりした回答に、ガツンと言ってくれたのはがん患者支援の活動を通じて知り合ったSさん。Sさんもがん治療経験者だ。

Sさんの言葉を聞いてハッとした私は、

「そうですよね、昔と同じ生活にならないように気をつけます」と急いで答えた。

「自分自身が、白血病になったことを忘れ始めてるのかな……治療してからこの夏で丸5年。たしかに病が遠のいた気がするなぁ」

Nさんとのオンラインミーティングが終わった後、そうふと思った。

がんは、一般的に術後5年間再発しなければ完治したと見なされる。白血病の場合、手術はしないので、いつの時点を起点とするかは私も正確に把握していないが、寛解のための抗がん剤治療からこの夏で丸5年になる。

入院時からお世話になっている主治医に7月の検診の際に、この夏で治療から5年経過すると告げたら、笑顔で「おめでとうございます」と言ってくれた。そんなやり取りをした後、「今年の夏で、一区切りなんだな」と心のなかで呟いたのを覚えている。

「病気をした人」と扱われる機会が減った

区切りの期間を迎えたこと以外にも、病が遠くなったと感じる理由がある。急性リンパ性白血病の発症のため緊急入院したとき、小学5年生と1年生だった娘たちは高校1年生と小学6年生になった。長女が中学受験を続けられるかどうかが、当時の私にとって重大なテーマだったが、現在は次女が中学受験準備の真っ最中。4年前と相変わらず過酷な小学6年生の夏休みを過ごしている最中、当時のことを思い出しながら、「お姉ちゃんのときよりはましだよね。ママが元気で、勉強のサポートできるんだから」と自分にも次女にも言い聞かせながら過酷さに耐え忍んだ。

2年半前に復職した職場では、私が3年間休職していたことを知らない同僚と一緒に仕事をすることが増えてきた。

「病気をした人」ではなく接してもらう時間が増えていくと、自分も無意識のうちに「特別な申し送りのない人」として振る舞うようになるのかもしれない。

今年の4月に海外出張に行ったのも大きかったと思う。在宅での抗がん剤治療を終えた頃、コロナの感染拡大が始まったため、免疫力の下がっている自分が海外に行くことなど考えられなかった。コロナ感染の心配が低下しても積極的に海外に行こうと考えることがなかったのだが、仕事の関係で今年4月にベトナムのハノイに行く話が持ち上がった。

「こうしておけば…」という少しの後悔

以前は1人で外国を訪れることも多かった私だが、5年ぶりに1人でハノイまで行くことになって多少緊張した。コロナ関連の追加手続きやアプリを使っての出国入国にも慣れていなかったし、なにより自分の体力にも完全な自信がなかったからだ。そんな状況だったため、ハノイでのタスクを無事に終えて帰国した際、心からほっとした。と同時に、達成感も感じることができ、病気をする前の自分に戻ったような感覚を覚えた。

こんな環境の変化や経験が積み重なった結果、自分自身が白血病になったことを忘れ始めているのかもしれない。

白血病の治療がうまくいき、寛解維持をして日常を取り戻した私は非常に幸運な人間だと思う。しかし5年前のことを思い返すと、「こうしておけばよかった」と思うこともある。

「もっと仕事関連の動向や関連情報をキャッチアップしておけばよかった」

「もっと早くに復職しておけばよかった」

という、キャリアに関わることが頭をよぎることがある。

サステナビリティ領域のコンサルタントにとって、2018〜2021年は非常にクリティカルだったと感じている。さまざまな法規制やソフトローの改正や施行があった時期と重なり、企業のサステナビリティ経営への対応も加速的に進んだ。競合他社の動きも激しく、復職した時に市場の大きな変化を感じずにはいられなかった。

多分野にわたる知識的なキャッチアップも容易ではないのに加え、その間コンサルタントとして経験を積めなかった痛手の大きさも日々感じている。

時間があるからこその幸せ

一方で、当時「こうしておいてよかった」と思うこともたくさんある。著書『経営コンサルタントでワーキングマザーの私がガンにかかったら』にもくわしく書いたが、入院中、治療方針の変更を打診されたことがあった。

主治医の話を聞き、質問もして、さらには英語で書かれた医療論文を読んだうえで、骨髄移植ではなく化学療法の治療を選択することにした。自分が納得したうえで意思決定できたことは、今でもありがたい経験だったと感じている。

退院してから子供たちと向き合う時間を十分にとれたことも大きな出来事だった。

退院時に小学6年生になっていた長女の中学受験のサポート中心とした時間をもてたし、受験が終わった後は次女と一緒に親子で参加するスタイルの英語スクールに通い、英検受験にチャレンジすることができた。体力の限界まで子育てに時間を使った退院後のこの2年間は、私にとっても子供たちにとっても貴重な時間だったと思う。

子育て以外に休職中に私が熱心に取り組んだのが料理だが、料理教室には今も通い続けており、私の料理への関心は今も衰えていない。

料理を通じた愛情表現を学んだ私は、モチベーションをもってお弁当や日々の食事づくりを続けられている。最近は食事を通じた体調維持に関心をもつようになり、野菜や魚を使ったレシピや発酵食品を取り入れたメニューについて勉強を続けており、この秋には薬膳・漢方検定にもチャレンジする予定だ。

休職中のキャッチアップと経験のシェア

「やっぱり、休職したあの3年があるから今の私がいるんだよな。仕事的には後悔が多少あっても、あの3年の過ごし方が今の生活の基盤となっている」

今の生活や人生に納得しているので、休職した時期の過ごし方について後悔はしていない。病気にならなかったら、もしかしたらキャリア的にも違っていたかもしれないと、what if と考えることがないとは言えないが、仕事に関しては、復職してからのキャッチアップで頑張るべきなのだと思っている。

たくさんの素晴らしい同僚・上司に囲まれていることもあるが、こう考えているから卑屈にもならずに、以前と同じ職場で同じ職種の仕事を続けられるのかもしれない。

「病は遠くなりにけり……だとしても、病気と向き合ったことを忘れたくはないな。これからどうやって白血病を経験したことと付き合っていくべきなんだろう?」

この夏、こう自問自答してみた。一番手っ取り早いのは、仕事で当時の経験を活かすことだろう。ただ、私は医療現場や患者さんからは遠いところで働いており、ストレートに経験を活かせる環境に身をおいてはいない。

一方で、治療時の経験を活かせるケースも少しずつだが出てきている。例えば、ヘルスケア領域の事業で特に患者支援にフォーカスしている事業者とのコミュニケーションに私の経験は非常によく役立っている。彼らがつくりたい社会的インパクトを検討する際も、患者が治療を自分事にするために必要不可欠と認識したヘルスリテラシーやヘルスコミュニケーションの考えを活用した。

また、会社の健康経営促進の取り組みに関われないかと思案している。人事部に私が休職中に出会ったがん患者さんの治療と仕事の両立支援をしているNPOの知人を紹介し、会社がこれから展開していく健康経営にかかわる活動を一緒に検討していく提案を行った。私も社内ボランティアとして同僚達に自分の経験をシェアする等、貢献していくつもりだ。

経験者として患者さんをサポートしたい

Sさんのように、休職中に出会った人々は私の人生にとって財産だと感じている。自分が歩んできた道を忘れないためにも、休職中に培ったご縁はこれからも大切にしていきたいと考えている。また、当時支えてくれた友人にも感謝し続けたい。たまに会って当時の思い出話をすると、どれだけみなに世話になり、支えられたか自分が思い出すことができる。だからこれからも友人らと一緒に過ごす時間をもつようにしたい。

年齢が上がるとともに、友人・知人からがん治療に関する相談を受ける機会も増えてきた。白血病を治療して5年経ち、私の人生に病が落とした影が薄くなってきているが、病と闘っている人を支えたい気持ちは弱まらない。自分が患者だった時にしてもらってありがたかったこと、助かったことを思い出して、私も自分なりに精一杯、治療にこれから向き合う、また向き合っている方々のサポートをしていきたいと思う。

(山添 真喜子 : コンサルタント)