(写真:maroke/PIXTA)

コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻を経て、世界中がインフレの波に襲われたが、日本も例外ではない。万年デフレの代わりに、物価高やインフレが日常語となり、初めはパンやガソリンなどの輸入品中心の値上げだったものが、今やほとんどすべての商品が値上がりしたと言っても過言ではない。避けがたい税金のごとく、まさに「インフレ課税」である。

各国がインフレに見舞われる中でも、日本はその影響を特に大きく受ける可能性がある。日本はなぜ「インフレ耐性」が欧米に比べて低いのか。『インフレ課税と闘う!』の著者である、エコノミストの熊野英生氏がわかりやすく説明する。

円資産の価値は10年後に18%減に?

日本は、今後もしばらくはインフレ課税の圧力にさらされるだろう。その度合いを考えると、計算上、平均2%の消費者物価の上昇で10年後には円資産の価値は18.0%減になる。この数字がそれほど大きくないという人もいるだろう。

しかし、年金生活者にとってはけっして小さくはないだろう。2%上昇が10年間も続くという前提が少し大袈裟だという人もいるかもしれない。確かに、その意見には同意する。IMFの経済予測では、2023〜2027年までの5年間は、消費者物価が年平均の上昇率1.01%と置かれている。5年間の円資産の減価率はマイナス5.9%と計算できる。こちらのほうがより現実的かもしれない。

2010〜2020年は世界のインフレ調整の幅がマイナス5.2%とやや小さくなる。この10年間の平均物価上昇率は、各国とも2%に届かなかった(平均1.6%、日本は0.55%)。過去10年間は、本当にモデレート(穏やか)な物価上昇ペースであったことがわかる。リーマンショック後は、熱すぎもせず、冷たすぎもせず、適温経済だという人もいたくらいだ。

ところが、コロナ禍の2020〜2022年はこの流れが激変する。特に、2022年は各国で久々の大幅なインフレ加速を見た。IMFの経済見通しでは、たった3年間でインフレ調整が平均マイナス13.2%も進む見通しになっている(日本を除く、日本はマイナス5.2%の見通し)。

うがった見方をすると、各国がコロナ禍で積極財政に打って出られたのは、財政負担がインフレ課税でいくらか軽くなったからではないかと見ることもできる(これは完全な後講釈かもしれないが)。

それに比べると、従来の日本はデフレ、または物価上昇がほとんど起きない中で、財政出動を活発に行ったために、現在のような過重負担になった。日本は、インフレ課税が少なかった分、余計に低金利に依存するかたちになる。これが、金融抑圧の背景構造だとも言える。

欧米人は、いかにして資産を防衛しているのか?

ここで、1つ疑問が湧くのだが、もしも、欧米のほうが、インフレ調整圧力が強いのならば、日本以上に金融資産の目減りが大きくなり、国民の間に不満が高まるのではなかろうか。また、欧米のほうが家計は不利に置かれていることをどう考えるべきだろうか。

その点についても、ケインズの考えほうが役に立つ。貯蓄階級はインフレで損をするが、実業階級は損しない。実業階級は、借金をして事業で利益を得ている。この事業利益はインフレ抵抗力が高い。企業は価格転嫁を進めて、インフレ時には利益水準をインフレに同調できる。

ならば、家計も株式を保有して、事業利益の分配を受けられるようにすると、いくらかインフレ抵抗力は高まるはずだ。貯蓄階級が実業階級のメリットを取り込むのである。家計金融資産に占める株式など有価証券の保有割合は、日本よりも欧米のほうが高い。

日本の金融資産構成は、預貯金の割合が半分以上を占めていて、有価証券の割合は相対的に低い。このことが、欧米の家計のインフレ耐性を強め、逆に日本の家計のインフレ抵抗力を弱めることにつながっている。日本は、デフレ時代はそれでよかったのかもしれないが、今後は不利になっていく。

日本の家計は「円資産」信仰が強い

もう1つ、欧米の金融資産のインフレ耐性を強めているのは、海外資産への投資だ。日本では、資産運用をするときは、円建て(自国通貨建て)のほうが安全と考える。外貨は、円高になると目減りすると敬遠する人が多かった。

しかし、インフレのリスクが高まると、事情は変わる。インフレと円安という変化がセットになってやってくるため、為替変動のリスクを回避するには、ドルもユーロも円もまんべんなく保有しているほうがよい。ドル安のときには、円高・ユーロ高になり、全体では為替変動がならされる。逆にドル高のときは、円安・ユーロ安でやはりメリットとデメリットが相殺し合う。

資産運用の世界では、世界中の金融資産をまんべんなく保有するほうが、リスクを相対的に低下させて、高いリターンを追求できると考える。だから、自国通貨建ての資産に偏ることを、「ホームバイアス」と呼んでいる。ホームバイアスはないほうがよいのに、どうしても各国ともそうしたバイアスがかかる。

特に、日本の家計はその傾向が強い。ホームバイアスが低い欧米のほうが為替変動に強く、インフレが起きたときもその利上げをする国々の通貨が高くなる恩恵を得やすくなる。自国の財政が悪化して、金融抑圧の政策を始めたとしても、海外資産への分散をしていれば、相対的に自国通貨の減価リスク、インフレリスクに巻き込まれずに済む。

さらに、欧米と日本の違いとして、富のクリエーションの力量の差もある。ケインズは、新しく富を築く人にはインフレが有利だと説いた。昔築いた富は減価するので、次々に新しい富を生み出すことが、インフレ時代に生き残るすべだ。

そうしたインフレ時代はどうしても、所得格差が生じる。家計自身も事業利益の恩恵をもっと積極的に得られるようにしたほうがよい。副業として自分で事業を手がけるのは、その一例だ。できれば、起業して自分で経営者になることがより望ましい。1人で行うのならば、自営業という選択である。

インフレ期には所得格差が広がると言われる。インフレの中で新しく富を得て高所得層に成り上がる人が増えて、「上向きの作用」が働くからだ。逆に、2000年以降のデフレ経済は、中堅所得層が高齢化も手伝って、日本の家計を低所得化させていく。大学を出ても正社員になれないことが格差を作った。

起業率の差が富のクリエーションの差に

以前から、欧米では起業の割合が高く、企業間の新陳代謝が働き、日本はそうした流れと一線を画していることが指摘されてきた。主要国の起業率に差があり、常に日本は低い状況にある。このことは、日本で富のクリエーションが弱まっていることを示している。


家計の統計中で高所得層は、個人事業主、自営業、法人経営者が含まれる。彼らは、事業 収益の恩恵を享受しやすい。先に、株主には実業階級の恩恵を分配されると述べた。株主以上に、事業のオーナーには恩恵が厚い。

こうした事業からの利益は、資本の利益そのものである。企業が得た付加価値は、労働分配される以外に、資本分配される。インフレ期には、資本の力がより強まって、事業者に利益が集まっていく。

日本は、長いデフレ時代に、資本の利益を享受できる人たちが逆風にさらされた。個人事とうた業主や自営業者はかなり淘汰された。しかし、今後はインフレ期に変わることで、彼らは徐々に復活していくだろう。

欧米のほうが、起業志向が強く、能力のある個人が資本の利益を追求することが多い。日本にいる中国人や欧米人を見ても、事業を自分で始めようという志向が日本人よりも遥かに高い。そうした気質の違いも、国ごとのインフレ抵抗力の差になっていると考えられる。
 

(熊野 英生 : 第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト)