ラクにおカネを稼げるから不安になる…若手社員の「ホワイト企業離れ」が進んでいる本当の理由
※本稿は、山本直人『聞いてはいけない スルーしていい職場言葉』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■「成長できる環境で働きたい」という人の本音
いつ頃からか定かではないのですが、就職活動時に「成長できる環境で働きたい」と言う人が目立つようになりました。
2000年代に入って起業が増加し、いわゆるベンチャー系と言われる会社を志望する人が増える中で自然に目立ってきたと思いますが、ではどのような環境なら成長できるのか? ということまで深く考えている人は少ないと思います。
会社がアピールするのは、「若いうちから大きな仕事を任せる」とか「新しいことにチャレンジできる」といった機会付与に関することがもっとも多いでしょう。さらに、教育研修システムなどの充実について積極的であることも、売りになります。
採用するからには、できるだけ大きな仕事を成功させてほしい。たしかに、それは会社にとっても社員にとってもいいことです。その一方で、誰もが成功させられるわけではありません。
仕事の能力をそれなりの水準まで高めるには本人の努力が必要です。当たり前だと思われるかもしれませんが、どのくらいの努力が適切なのか? というのはとても難しい問題です。
努力、と書きましたが実際には負荷が伴います。できないことができるようになるためには、時間が必要です。より成長しようと努力するならば、身体的にも精神的にも負荷は増していきます。
■ホワイトな職場を辞める若手社員が増えている
そうだとしても、こんなことが会社案内に書いてあるでしょうか。
「目標達成のためには、チームのみんなが疲労困憊(こんぱい)することもあります」
おそらく、書いてある会社案内はないと思います。しかし、そういうことも実際にはあるでしょう。
アスリートであれば、身体がクタクタになるまで練習することもあります。アーティストだって、アイデアを生み出すためには徹底して悩みぬくこともあります。成長のためには努力が必要で、努力は負荷を伴い、負荷は疲労にもつながる。疲労は過労にならないようにすれば、やがて回復します。
ところが、そんな当たり前のことが言いにくくなってきました。いわゆる「働き方改革」が進む中で、働くことの本質が見えにくくなり、表面的な辻褄合わせが増えてきたからだと思います。
過酷な職場環境がなくなっていくことは良いことです。働きやすい職場は増えていると思います。いわゆる「ホワイトな職場」です。ところが、そうした職場を離れていく若手社員が増加していることが、近年話題に上るようになってきました。なぜでしょうか?
先にも書いたように、働いている限り負荷はかかるし、より成長しようとすればその負荷は強まります。そのことときちんと向き合わないままに制度をいじったりしたことが一番の原因だと私は思います。
■長時間労働が改善するのはいいことだが…
たしかに日本の職場では長いこと「働き過ぎ」が問題になっていました。2016年にノルウェーの哲学者が書いた本にこんな一節があります。
この後に続いて「過労死はヨーロッパとアメリカにも見られる」とも書かれていますが、「日本は働き過ぎ」という問題意識は強く存在していました。そして、いろいろな事件が起きる中で法制度も変わり、いわゆる「ブラックな職場」は減少してきていると思います。
しかし、成長したいのであれば一定の負荷が必要であることは、先にも書いたように明らかです。これを人材育成の世界では「ストレッチ」と呼びます。英語で使われる表現がそのまま持ち込まれているのですが、要は体をグーンと伸ばす「背伸び」のイメージです。
その時は、いつもよりも体に負荷がかかります。長時間椅子に座っていた後に「伸び」をする感じですが、もし本格的にストレッチをおこなえば痛みを感じることもあるでしょう。
キャリアにおけるストレッチも全く同じです。今よりも、もっと高いレベルの仕事、大きなプロジェクトに取り組もうとすれば負荷が増します。その加減をどうコントロールするか? ということは職場において最も大切なテーマの一つです。
■「職場に不満はないけれど、将来が不安」という人が増えたワケ
ところが、働き過ぎを防ぐことに注目が集まった結果、適切な負荷のかけ方が見失われてしまいました。その結果として、「職場に不満はないけれど、将来が不安」という人が増えているといいます。
「不満転職」ではなく「不安転職」が増える。この現象を聞いて、ちょっと懐かしい気がしました。実は私自身が2005年に書いた本の中で、そのような現象を指摘していたからです(『話せぬ若手と聞けない上司』新潮新書)。
当時からすでに起業の波は高まっていて、大企業からベンチャーへと転職する若手はそれなりにいました。ただしその時代は、既存ビジネスが衰退することへの不安が契機になって挑戦していたと思います。
ところが、現在は「この安穏とした職場にいては社会で通用しなくなる」という不安が若手を転職に駆り立てているようです。
比喩的に「背伸びをする」というのは「実力以上のこと」を試みることです。子どもが「背伸びをして」といわれる時は、ちょっと咎められるようなニュアンスもあるでしょう。
しかし、仕事をする時に「実力以上のこと」をする機会がなければ、成長はあり得ません。そんな当たり前のことがなぜ見失われてしまったのでしょうか。
■バランスは目的ではない
そのもっとも大きな理由は「なぜ働くのか」ということを、きちんと議論したり考えたりしないままに、「働き過ぎない」ことが目的化したからだと思います。
その象徴に、ワーク・ライフ・バランスという言葉があります。仕事とそれ以外の生活の均衡を探っていこう、という趣旨は当たり前のことだと思います。ただし、日本では「働き過ぎている」ということが前提になったので、「ワーク」の負担を削減することがその主旨になってしまいました。
しかし、本当に大切なことは「働くことの意味」だと思います。つまり、働くことで喜びが得られたり、誰かの役に立つという実感が得られたりすることではないでしょうか。
哲学者の鷲田清一さんが働くことについてこんなことを書いています。
■「ブラック企業だ」と揶揄するのは誰のためにもならない
この本の原本は1996年に書かれています。つまり、一連の働き方改革がおこなわれるより、20年ほど前です。しかし、ここで書かれているような視点で働き方は改革されたのでしょうか。
ちなみに、この本のサブタイトルは「労働vs余暇を超えて」とあります。ワークとライフの「バランス」と捉えること自体に問題提起がされているのです。
仕事と、それ以外の生活の均衡は人によって異なります。初めからバランスを目的にするのではなく、その時の状況に応じて調整しながら結果として最適なバランスを見つけることが大切なはずです。
ここぞというときには少々の負荷がかかっても仕事を頑張りたい。そういう自然な気持ちで働いているときに、「ブラックだ」と揶揄するような空気は、結局誰のためにもならないはずです。
■「はたらく」と真剣に向き合ったほうがいい
ワーク・ライフ・バランスという言葉に代わって、ワーク・ライフ・インテグレーションという概念も提唱されているようです。
ワークとライフを統合して充実をはかるということだそうです。対立的に捉えない、ということでは幾らかはいいように思います。ただし、それ自体はかなり前から議論されていたことは先ほど確認しました。
なんとなくわかったようなカタカナ語で働き方を論じるよりも、ちょっと泥臭いけれど「はたらく喜び」や「やりがい」のような素朴な感覚の方が遥かに大切だと思います。
あまりにホワイトな職場に不安を感じて離れていった若者たちも、結局は「なぜ働くのか?」という疑問に突き当たったことがきっかけでしょう。
「先輩たちにはめぐまれたし、職場には何の不満もないんです」
「いい職場」の社員は、そう言って去っていきます。たしかに、それは事実でしょう。
しかし、「無理をしなくてもおカネは稼げる」という状況が、得体の知れない不安をかきたてていくことはよくあります。
さらに、「仕事がマシンに代替される」とか「人よりもAI(人工知能)の方が優れている」といった情報を聞けば、「ラクをしている」ことに対する焦燥感も高まります。
■頑張りたい人が頑張れる環境づくりが大切だ
その一方で「バランス」自体が目的化してしまっている若い社員も増えています。「無理をしない」ことを「努力しなくてもいい」と思い込んでいる社員は、多くの場合ワーク・ライフ・バランスを自分の都合で解釈して目的にしているようです。
耳に心地よい言葉が、人々を迷路に入り込ませているのがいまの職場で起きていることです。その結果として、いろいろなポジションの人に、不満と不安がたまっているのです。
「無理に働かせない」制度をつくるために多くの企業が労力を費やしてきました。しかし、これからは頑張りたい人が働きやすい環境をつくり、積極的な挑戦を促し、働いた成果に十分に報いる仕組みが求められると思います。
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山本 直人(やまもと・なおと)
コンサルタント
1964(昭和39)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。博報堂に入社。2004年退社、独立。現在マーケティングおよび人材育成のコンサルタント、青山学院大学経営学部マーケティング学科講師。著書に『電通とリクルート』(新潮新書)など。
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(コンサルタント 山本 直人)