加藤未唯インタビュー前編(全3回)

「あ、かわいい」

 パリの町中を歩いている時、ショーウィンドウのマネキンが着ている服に、思わず目を奪われた。吸い寄せられるように試着すると、サイズもぴったり。明るい気持ちで、上下揃いで購入した。

 全仏オープン開幕を控えた初夏の日の、ささやかながらもうれしい出来事だった。

 それから、約2カ月後──。

 パリで出会ったその服に身を包み、加藤未唯は真夏の京都にいた。


加藤未唯が現在の心境を素直に語ってくれた

 京都は、彼女が生まれ育った町。世がコロナ禍に包まれた3年前には、「子どもたちに世界1位を目指す夢を抱いてほしい」の願いを込めて京都市に111万1,111円を寄付するなど、心のつながりも強い町だ。

 その故郷に練習の合間を縫って帰省したのは、京都府庁と市庁、さらには東本願寺で行なわれた全仏オープン混合ダブルス優勝の栄誉を称える表彰式のためである。

 全仏オープンの女子ダブルスでは、ボールパーソンにボールを当てたため、失格に処された。

 その5日後には、混合ダブルスで頂点に立ち、センターコートでトロフィーを掲げた。

 失意と栄光のコントラストに彩られる、"あの時"に彼女の胸中を占めた思いは? そして彼女が今目指すのは?

「子どもの頃に、よく遊びに来ていた」という東本願寺の境内で話を聞いた。

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── 故郷の京都で、全仏オープン混合ダブルス優勝の活躍を讃えて表彰されました。どんな気分ですか?

「やっぱりこうやって生まれ育った京都や、子どもの頃からご縁のあった東本願寺さんから表彰していただけたことは、すごくうれしいです。スポーツをやっていてよかったなと、今回とても強く感じました」

── 帰国して以来、いろんな方からお祝いの言葉などをかけられたと思います。特に心に残っているものはありますか?

「西脇隆俊府知事から『スポーツウーマンシップを示してくれた』と言われた時は、すごくうれしかったですね。全仏オープンでは、スポーツマンシップにもとる行為をしたということで失格になり、罰金も課されていただけに、心の支えになるというか......。そのような言葉を言っていただける機会ってあまりなかったので、すごくうれしかったです」

── スポーツウーマンシップということで言うと、3年前、京都市に111万1,111円を寄付したとうかがいました。子どもたちにいい姿を見せられたというれしさもありますか?

「そうですね。単純にお金を寄付するだけだと、本当の目的が伝わりにくいところもあったと思います。なので、結果でいい報告ができたことで少し安心できたというか、寄付してよかったなという思いは、より強くなりました。

 金額に込めたのも、『全員が1位を目指してほしい』という思いだったので、まずは自分が1位にならなくてはと思っていました。優勝という形でそれを示すことができたのは、よかったなと思えるところです」

── その混合ダブルス優勝は、加藤さんが「一番好きな大会」といつも言っていた全仏オープンで手にしました。全仏オープンには、何か特別な思いがあるのでしょうか?

「ジュニアの時、グランドスラム(全豪、全仏、ウィンブルドン、全米)のジュニア部門にすべて出たのですが、シングルスの本戦で唯一勝ったのが、フレンチオープンだったんです。

 大人になってから、ダブルスの本戦に初めて出たのもフレンチだし(2016年)、シングルスで予選を突破して本戦に出たのもフレンチ(2017年)でした。何かしら『初』の結果には、フレンチが関わっているんです。

 それに、パリの町も好きですね。町並みも建物もきれいだし、歴史も感じられる。路地裏に入ってもおしゃれなカフェがあったりと、雰囲気がありますよね」

── 今年はその全仏オープンに、かなりの意気込みで挑んでいたように見えました。いい準備ができたという手応えがあったのでしょうか?

「そうですね、去年の終盤から今年にかけて、いい感触があったと思います。今シーズン開幕戦のオークランド(ASBクラシック/WTA250)で優勝できたし、3月のインディアンウェルズ(BNPパリバ・オープン/WTA1000)ではベスト4。結果を残してクレーシーズンに入ったので、そこはすごくいい流れがありました。

 クレーのローマ大会(BNLイタリア国際/WTA1000)では、いつも組んでいるディラ(アルディラ・スチアディ/インドネシア)とは違う選手(ウルリッケ・エイケリ/ノルウェー)と組んだんですが、そこでもベスト8に入れたのは自信になったところです。

 好きな町の大会で勝ちたいという思いもあったので、今回のフレンチオープンでは『ラスト8クラブ(※)』に入るのを目指していました」

※=グランドスラムでシングルスのベスト8、男女ダブルスのベスト4、混合ダブルス決勝進出者に入った選手たちに与えられる栄誉。いつでも会場を訪れられる"生涯パス"を手にすることができる。

── ラスト8クラブに入りたいということは、全仏オープンが始まった直後からおっしゃっていました。そこまで思い入れが強い理由はなんでしょう?

「全豪オープンでベスト4に入ったので、オーストラリアのそれは持っているんですが、やっぱりフランスは好きなので、引退したあとも行きたいと思っているんです。でも、何かきっかけがないとなかなか行かないと思うんですよね。その時に『大会から招待してもらえている』と思えたら行きやすいかなと。

 たとえば自分に子どもができた時に、『ここでテニスをやっていたんだよ』と見せることができたら、テニスをやっていてよかったなって言えるとも思うんです。なので将来のことを考えた時、生涯パスがもらえる『ラスト8クラブ』にフレンチで入りたいという思いは強かったんです」

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 過去に幾度も『キャリア初』を経験した、いい思い出が染み込むパリの町。今季は開幕から調子を上げてきたなかで、手応えを携え挑んだフレンチオープンでもあった。

 実際に1〜2回戦は、いずれも圧勝。

 そして迎えた3回戦──。第1セットは奪われるも、第2セットはブレーク先行。追い上げる流れが生まれたその時、あの出来事は起きた。

 サーバーである相手コートに打ち返したルーズボールが、ボールガールの肩付近に当たる。一度は主審から「警告」が言い渡されたが、相手選手たちの抗議により、スーパーバイザーやレフェリーが呼ばれる事態に発展。最終的に下された判定は、失格であった。

 その直後の加藤は、大会のメンタルヘルス担当者が「今日は会見をしなくていい」と判断するほどの精神状態だったという。翌日の会見では、涙で言葉に詰まり、中座する場面もあった。彼女の落胆は、周囲の目にも痛いほどに明らかだった。

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全仏での出来事は世界中の話題となった

── 試合後、失格の判定は厳しすぎるという声が選手間からも上がっていました。加藤さんご自身は、どのように感じていましたか?

「ボールを当ててしまった時は、『失格かも......これで試合が終わるかも』と思ったんです。でも、その直後に主審から『ワーニング(警告)』が出たので、よかったということはないのですが、ちょっとホッとしてしまって......。だからなおさら、その後の判定に落ち込んだところはあります」

── 試合後は、ロッカールームで2時間ほどひとりでいたと聞きました。どのような思いが一番大きかったのでしょう?

「あの時は、誰とも話したくないというふうに思っていました。今はこうやって話しますけど、その時は何かしゃべればしゃべるほど、あの場面を思い出したり、その時の感情も蘇ってきたので......なるべく人に会いたくないと思っていたんです。

 とにかく、とんでもないことをしてしまったと思いました。もちろん、ボールガールにボールを当ててしまったこともそうですし、やっぱり試合中にやってはいけないことをしたことで、多くの人たちに叩かれるのではないか? みんなの前に出られるような雰囲気じゃないんじゃないか......とか、そんなことも思っていました。

 自分はまだテニスを続けられるのかな? もしかしたら、もう(テニスを)辞めるしかないのかな......という思いも、ちょっと心をよぎりました。もちろん、パートナーのディラや、ディラのご両親をはじめとするチームのみんなにも悪いと思いました。でもやっぱり、一番大きな思いは、『してはいけないことをしてしまった』でした」

── そのなかでも、選手の多くがソーシャルメディア等で加藤さんを支持するコメントを発信しました。それらは慰めになりましたか?

「そうですね、いろんな人から励ましの言葉がありました。もしあそこで違うふうに言われていたら、もう(テニスを)やりたくないと思っていたかもしれないので、そこはうれしかったです。

 特に、尊敬しているある選手から『ぜんぜん悪くないよ』というメッセージをもらった時には、もちろん自分が悪いと思っていますが、『あそこまでの選手がそう言ってくれるなら、もしかしたらそんなに悪くないのかな』って少し思えたので......それはありがたかったですね」

── その後、どのタイミングで、混合ダブルスには引き続き出場できると知ったのですか?

「試合の数時間後に、スーパーバイザーとレフェリーに呼ばれて部屋に行った時に、ミックスダブルスには出られると言われました。

 失格になったあとは、もう日本に帰りたいとも思いました。航空券を探すまではしていなかったんですが、正直、ミックスダブルスのことはあまり考えられていなかった。なので『ミックスには出られるよ』と言われた時も、こんな状態で試合ができるのかな、試合をする気持ちになれるのかな......という不安はありました。

 実際に、試合をするという気持ちに持っていくのは、なかなか難しかったです。ただ、ここでやめたらミックスダブルスのパートナー(ティム・ブッツ/ドイツ)に申し訳ないとも思ったし、今後のキャリアに響くという思いもありました。

 ここでミックスダブルスまでやめるのは嫌だ、こんなかたちで終わりたくない......っていうのは、どこかで感じていたんだと思います。試合に出るチャンスがあるなら、『自分で自分の思いを主張できるところまでは行かないと、意味がない』という思いで、試合に向かっていました」

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 その日の夜は、食事もろくに喉を通らなかった。「気持ちを切り替えることもできなかった」という。

 それでも翌日、彼女は混合ダブルス(準々決勝)のコートへと向かった。「自分で自分の思いを主張できるところ」──すなわち、表彰台を目指して。

(中編につづく)

◆加藤未唯・中編>>「失格後」の混合ダブルスにどんな思いで臨んだのか


【profile】
加藤未唯(かとう・みゆ)
1994年11月21日生まれ、京都府京都市出身。8歳からテニスを始め、2013年10月にプロ入り。2017年の全豪オープン女子ダブルスでは穂積絵莉とのペアでベスト4進出。2018年の東レPPOでは二宮真琴とのペアでツアー初優勝を果たし、2023年6月の全仏オープン混合ダブルスではティム・プッツ(ドイツ)とのペアでツアー2勝目。身長156cm。利き手=右、バックハンド=両手打ち。キャリア自己最高ランキングはシングルス122位、ダブルス30位。