日本人は「自分の力を信じていない」 20年以上日本を指導するトム・ホーバスHCが指摘する日本の“弱点”
2022年3月、栗山英樹前監督が果たした侍ジャパンの世界一奪還。その志に強く共感し、いま新たな戦いに向かおうとしている男がいる。
バスケットボール男子日本代表ヘッドコーチ、トム・ホーバス。
ホーバス:「この間のWBC、ショーヘイ・オオタニのメッセージが最高だった。相手が有名選手でも関係ない。とりあえずうちのバスケをやろう」
挑むのは、8月25日(金)より開幕するFIBAバスケットボールワールドカップ2023。
テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、栗山氏からバトンを引き継ぐべく、2人の対談が実現。
2人ならではの相通じるコミュニケーション術、選手を信じ続けた末に掴んだ栄光…ともに日の丸を背負う想いを語り合った。(前後編の前編)
◆夢はNBA選手。転機になった日本との出会い
ホーバス:「WBC優勝おめでとうございます」
栗山:「ありがとうございます」
ホーバス:「あなたのコーチングスタイルを見ていましたが、全然パニックになっていなかった。すごく自信があって、優勝すると思っていました。素晴らしかった」
栗山:「本当ですか?ありがとうございます」
栗山:「僕本当にアメリカが大好きでメジャーリーグが大好きなので、決勝でアメリカと戦ったときはちょっと嬉しかったです。ホーバスさんからするとバスケットボールは母国で生まれたスポーツですし、やっぱりNBAの選手に憧れたりしましたか?」
ホーバス:「そうですよ。僕は5歳からNBA選手になりたいと思っていました」
アメリカでバスケをはじめ、プロを目指すも芽が出なかったホーバスHC。33年前、声をかけてくれたのが、日本のトヨタ自動車だった。
2年連続スリーポイント王、4年連続日本リーグ得点王に輝き、その後念願だったNBAへも移籍。私生活では、日本人の妻と2人の子どもにも恵まれた。
現役引退後は再び日本へ。長年女子チームの指導者として携わり、2017年からは東京オリンピックに向け、女子日本代表のヘッドコーチに就任。これまでの日本にはなかったスリーポイントシュートを多用する戦術で、史上初のメダル獲得という快挙に導いた。
その功績を買われ、2021年から男子代表のヘッドコーチを務めている。
◆日本人は「自分の力を信じていない」
ホーバス:「長い間日本に住んでいたから、私の頭の中には日本人の気持ちができました。日本人はこれが上手、これが足りないとかいろいろ勉強になった。20数年日本にいて、考え方は半分ずつぐらいです。アメリカのいいところも日本のいいところも持っています。
見たところ、日本(の選手)の体力は十分だと思った。僕の練習は、メンタルの練習のほうがキツかったかなと思います。メンタルタフネスが少し足りないなと思った」
栗山:「メンタルの部分で足りなかったというのは、具体的にどういうところですか? プレッシャーがかかったときとか?」
ホーバス:「いやプレッシャーだけじゃなくて、自分の力を信じていない」
20年以上にわたる指導から見えてきた日本の弱点。それは身体的なハンデよりもメンタル面にあるという。
とくにホーバスHCが指摘してきたのは、自信のない消極的なプレー。昨年8月のイラン戦では、それを象徴するシーンがあった。
チーム最年少だった河村勇樹(22歳)が、自らシュートを打てる状況で後ろにパス。このプレーに怒ったホーバスHCは河村を呼び出し、有無を言わさずベンチに下げた。
栗山:「僕、ホーバスさんの言葉で結構好きなのが『打て!』っていう言葉。バットを振らないと何も起こらないので、バット振れよって話ですよね」
ホーバス:「迷っていることをクリアにさせたいんですよ。迷っているんだったら、打てないんだったらベンチだ。だから試合に出るときはもう迷っていない。もう(コートに)入ったら打つしかないんですよ」
栗山:「たしかに背中押されますね。『よし、打つぞ』みたいな」
ホーバス:「そうそう(笑)」
栗山:「練習の時からそういう状況になると、『さあ行くぞ』みたいな声をかけたり、習慣化しているんですか?」
ホーバス:「練習中はいろいろチャレンジさせました。選手たちの考え方、例えば『私はここまで上手です』と言われても、僕は『あなたはここまで上手だよ』と、このギャップを引っ張りたいんですよ」
栗山:「選手ってもっと能力があるのに、もっと下でオッケーになったりしますよね。僕の場合は選手とコミュニケーションをとるときに、正直に自分が思っていることを包み隠さず、わからないことは『わからない』って言いますし、『でもさ、俺はこうだと思うよ』とか『信じてる』『愛してる』とか(言います)。日本人的には…」
ホーバス:「言いにくいですね」
栗山:「はい。でも僕は平気で、というかそう思っているからぶつけちゃうんですよね。選手は『大丈夫かこのおっさん』と思うかもしれないですけど、それしか僕のやり方がなかったので、そんな感じでやっていました」
ホーバス:「優しい。コミュニケーションもとりやすいです」
◆「通訳は使いませんと決めたんです」
ホーバスHCの練習風景を覗いてみると、とにかく選手たちに声をかけている。そこには彼ならではのこだわりがあった。
ホーバス:「コミュニケーションはすごく大事じゃないですか。コーチと選手の間に通訳がいたら、コミュニケーションが上手にできないと思う。だから12年くらい前に通訳は使いませんと決めたんです」
栗山:「そうなんですか」
ホーバス:「たまに僕が練習で怒った時に日本語を間違えると、みんながニコニコするんですよ。でもそれもいいコミュニケーションじゃないですか。パーフェクトじゃないけど、間違えても恥ずかしくない。この話をするのも恥ずかしくないです」
栗山:「選手って調子が悪くなると不安にもなったりするから、その言葉で自信を持ったり、救われたり、一生懸命になったりしますよね」
◆「理由がなく信じられる瞬間がある」
何よりも選手とのコミュニケーションを大切にしてきた2人。ホーバスHCは、栗山氏が率いたWBCでとりわけ感銘を受けた場面があったという。
ホーバス:「村上宗隆選手は若いんですけど、メディアもプレッシャーもすごくあるじゃないですか。そしてWBCは調子があまりよくなかった」
日本の4番を任されるも、不振が続いていた村上宗隆(23歳)。それでも栗山氏は村上を起用し続けた。その結果、準決勝で逆転サヨナラ打を放ち、チームを決勝進出に導いた。
ホーバス:「栗山さんが全然彼にギブアップしていない、信じていた。それはもう素晴らしいと思った。そして最後に彼はちゃんと打ったじゃないですか」
栗山:「(村上の)技術を見て、『絶対に打つ!』『絶対大丈夫』って11月に思ったので、そこは信じきれたんです。調子悪い時もあるけれど、優勝するにはどこかで彼が打たなきゃいけないって決めていました」
実はホーバスHCも、女子代表を率いた東京オリンピックで、村上と重なる選手の存在があったという。
ホーバス:「東京オリンピックの準々決勝・ベルギー戦。第3クオーター途中まで13点差で負けていて、第4クオーターも同じメンバーを出したんです。あの5人があの試合はすごくよかった。でも、林選手が全然(シュートが)入らなかったんです」
スリーポイントシュートを得意とする林咲希(当時26歳)。前シーズンのWリーグでは4割を超える成功率を誇り、ホーバスHCからは「特別なシューター」と称されていた。
しかし、ベスト4をかけた準々決勝。世界ランキング6位のベルギーと戦った試合で、林だけシュートが入らない状況が続いていた。
それでも指揮官は、林を変えることはなかった。
最終・第4クオーター。2点リードを許し、試合終了まで残り30秒を切った日本の攻撃。
勝利には最後にスリーポイントを決めるしかないという場面で、パスを受けた林が残り時間15秒の土壇場でスリーポイントシュート。
この得点で見事逆転勝利をはたし、史上初となる決勝戦への道を繋いだ。
ホーバス:「残り4分くらいに彼女を交代させようかなと思ったんですけど、このままやろう。彼女のシュートがなんか入るかなと思ったんですよ。それで、残り15秒で3ポイントシュート入って勝ちました」
栗山:「そうだったんですか」
ホーバス:「僕はもう彼女を信じた。(彼女なら)いつか入ると思っていました」
栗山:「僕も理由がなく信じられる瞬間があるんですよ。もちろん動きとかデータとか見ているんですけど、なんか大丈夫って思う瞬間がやっぱりあって。ありますよね?」
ホーバス:「あります。でもその信じる気持ちは、毎日練習して、毎日いろいろ話して、毎日のなかでつくられるんですよ。それは大きいかなと思います」
◆敗戦の後に見た、忘れられない光景
さらにホーバスHCは、決勝・アメリカ戦の直後、選手たちのある姿に心を揺さぶられたという。
ホーバス:「決勝戦が終わってロッカールームに入ったとき、鳥肌が立ちました。みんな泣いていたんです。うちは負けたんですけど、みんなが勝つと思っていた。チームUSAはオリンピックでもう55連勝です。26年間負けていないんですよ。でも、相手は関係ない。勝つと思って負けたから、みんなショックだったんです。それぐらい深く勝利を信じていたんですね」
栗山:「そういう風に選手が思ってアメリカと戦ってくれた。それはすごく嬉しいですよね」
ホーバス:「はい。あれは絶対忘れられないです」
栗山:「僕が言うのも失礼ですけど、ホーバスさんは誰よりもバスケットを愛して、誰よりも勝たせてあげたくて、ずっと人生そこに考え込まれてきた。それは(自分と)相通ずる。そうですよねホーバスさん、これですよねみたいな。そんな感じです」
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ホーバス×栗山英樹対談、後編では「ホーバスHCが進めたチーム作り」「死のグループに挑む決意」などに迫る。