仙台育英と慶應義塾の「因縁マッチ」を制するのは データ上はセンバツ敗者が有利だが...
夏の甲子園決勝は、史上7校目の夏連覇を狙う仙台育英(宮城)と、107年ぶり優勝を目指す慶應義塾(神奈川)の対戦となった。両校は今春のセンバツ初戦(2回戦)で対戦し、延長10回タイブレークの末、仙台育英が2対1でサヨナラ勝ちを収めた。因縁浅からぬ両校が、熱く長い夏の戦いを経て、再び決勝の大舞台で顔を合わせることになった。
センバツの再戦となった慶應義塾・森林貴彦監督(写真左)と仙台育英・須江航監督
この時、春は星稜のエース・奥川恭伸(現・ヤクルト)が履正社打線に対し3安打、17奪三振の好投で完封勝利。夏の決勝は、履正社の主砲・井上広大(現・阪神)が奥川から3ラン本塁打を放ち優位に立つと、同点の8回に2本の適時打で勝ち越した履正社が5対3で星稜にリベンジを果たし、悲願の初優勝を飾った。
このように夏の甲子園決勝カードが春の初戦の再現となるのは、これ以前に2例あった。
最初は1940年。夏の決勝を戦った海草中(現・向陽/和歌山)と島田商(静岡)は、この年の春のセンバツ初戦でも対戦していた。
前年の1939年夏に豪腕・嶋清一が準決勝、決勝と2試合連続ノーヒット・ノーランの超人的な活躍で優勝した海草中は、その時三塁手だった真田重蔵(のちに松竹ほか)がエースとなり40年春のセンバツに出場。
初戦(2回戦)で対戦したのが、前年夏の準決勝で嶋にノーヒット・ノーランを喫した島田商だった。雪辱を期した島田商は真田を攻略し、5対4で海草中を下した。この両者は、同年夏の地方大会、甲子園を勝ち上がり、決勝で再び対戦。今度は海草中のエース・真田が力投。島田商のエース・一言多十(ひとこと・たじゅう/のちにセネタースほか)との投手戦を制し、2対1で勝利。史上4校目となる夏の甲子園2連覇を達成した。
2例目は1963年。下関商(山口)は、同年春のセンバツで2年生エース・池永正明(のちに西鉄)の豪腕が冴えわたり、決勝で北海(北海道)を10対0で下して初優勝を遂げた。
同年夏の甲子園で、池永は2回戦の松商学園(長野)で走塁中に左肩を負傷。その後は苦しい戦いを強いられたが、ケガを押してマウンドに立つ池永の力投で決勝にコマを進め、史上2校目の春夏連覇まであと一歩までこぎ着けた。
その決勝の相手となったが、春のセンバツ初戦でぶつかり、5対0で快勝した明星(大阪)だった。明星は決して本調子でない池永の立ち上がりを攻め、失策と4番・和田徹(のちに南海など)のタイムリーで2点を先制。その後立ち直った池永から追加点は奪えなかったが、堀川宏伸--片山哲美の継投で下関商の反撃を1点に抑え、2対1で逃げ切った。明星はセンバツの雪辱を果たすとともに、下関商の春夏連覇を阻み、初優勝を果たした。
ちなみに、この明星を監督として優勝に導いたのが、1940年の海草中のエースだった真田重蔵。プロ野球でプレーし、ノーヒット・ノーランを2度マークするなど活躍したあと、1958年から明星の監督を務めていた。春の初戦の相手を夏の決勝で倒すリベンジ劇を、選手時代と監督時代の2度成し遂げる稀有な経験の持ち主となった。
海草中、明星、そして2019年の履正社のケースも合わせ、過去3度はいずれも春の敗者が夏にリベンジを果たして栄冠をつかんでいる。過去の歴史に倣えば、慶應がリベンジを果たすことになるが、仙台育英がジンクスを破って夏連覇を遂げることができるのか。勝敗の行方はまったく予断を許さない。
■春のセンバツ初戦と夏の選手権決勝が同一カード
1940年
春 島田商5対4海草中
夏 海草中2対1島田商
1963年
春 下関商5対0明星
夏 明星2対1下関商
2019年
春 星稜3対0履正社
夏 履正社5対3星稜
2023年
春 仙台育英2対1慶應義塾
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