DeNA松尾汐恩が語る甲子園の思い出「一番印象に残っているホームランは...」「最後の夏に負けた時はホッとした気持ちもあった」
松尾汐恩〜Catch The New Era 第5回
酷暑の日々。夏の日差しをたっぷりと浴び日焼けをした横浜DeNAベイスターズのドラフト1位ルーキー・松尾汐恩に「夏は好きですか?」と尋ねると、涼しげな表情で次のように答えた。
「はい。自分は、夏のほうが好きなんですよね」
猛暑に負けないたくましさ。夏の突き抜けるような広い青空は、若き野球選手によく似合う。
「ただ、体の疲労などはやっぱりすごいので、ケアには力を入れています。こまめに水分を摂ったり、イニング間は氷嚢で首を冷やしたり。あとは規則正しい生活をすること。いろいろ大変ですけれども、それでもやっぱり夏は好きなんですよね」
出会うものすべてが新鮮に映る1年目。7月18日には、富山市民球場(アルペンスタジアム)で開催された『フレッシュオールスター2023』に参加した。若手有望株が集うこの試合で、松尾はイースタン・リーグ選抜の先発マスクを任された。バッテリーを組むのは、ふだんからボールを受けている1年先輩の小園健太だ。
「先発マスクは光栄でした。試合前は小園さんから『真っすぐで押していきたい』という話があったので、それを意識してリードをしていきました」
しかし初回、この試合でMVPを獲得した森下翔太(阪神)に先制タイムリーを浴びるなど、松尾と小園のバッテリーは1イニングで2失点を喫してしまった。
「強いスイングをしていましたし、森下選手はさすが一軍で活躍している選手だなって。ただ、攻めることはできたと思います」
一方、打者として松尾は3番に入り、最初の打席でウエスタン・リーグ先発の門別啓人(阪神)の初球を叩き、レフト前へヒットを放った。
「門別投手の一番いいボールは真っすぐだと頭に入っていたので、それをしっかり打ち返そうって準備はできていました」
1番打者には親友の浅野翔吾(巨人)が入っており、松尾の前で初球をヒットにしていたのだが、それも刺激になったのだろうか。
「浅野に限らず、みんな初球から振っていたので、自分も積極的にいこうと。結果が出てよかったです」
結局この日の松尾は打者として2打数1安打、マスクは3イニングかぶり、計3人の投手の球を受けた。
「いろんな方と交流させていただき、いい経験になりました。バッテリーを組むにあたって、ピッチャーそれぞれ違う考え方があるのは勉強になりましたね。他球団のバッターはもちろん、キャッチャーの方々の試合に入る準備であったり、見て学べる部分はあったので、いいところは自分も取り入れていきたいなって。えっ、浅野との仲ですか? 今回いろいろ話すことができて、より深まったと思います(笑)」
大阪桐蔭時代、甲子園に4回出場し5本塁打を放った松尾汐恩
さて、そんな松尾と浅野が活躍した、夏の甲子園が開催されている。大阪桐蔭の松尾は春夏4回、甲子園の土を踏んでいるが、春のセンバツと比べ、夏の大会というのはやはり雰囲気が違うものなのだろうか。
「そうですね。個人的な感想になりますが、春よりも夏のほうが観客の方も盛り上がっているように感じますし、自分としても夏のほうが負けられないっていう意識が強く、緊張感もありました。楽しいっていう言い方が合っているのかわかりませんが、そういった舞台で試合をさせてもらうのは、本当にありがたかったです」
松尾は3年の春に全国制覇し、走攻守揃った捕手として注目を浴びた。甲子園では5本のホームランを放っているが、一番印象に残っている一発はどれだろうか。
「3年の春の決勝で打った一発もうれしかったんですけど、印象で言うと、やっぱり2年の夏の近江戦ですかね。(甲子園で打った)最初のホームランだったので、すごく思い出として残っています」
大阪桐蔭にとって近江は、2年の夏をはじめ、3年の春の決勝で対戦した宿敵だった。松尾たちの目の前に立ちはだかったのは、近江のエース山田陽翔(現・西武)である。
「自分たちの代では、一番名前のあるピッチャーでしたし、意識していた部分はありました。正直に言えば、少なからず名前負けしていたところもあったと思います。2年の夏に近江に負けていたので、とにかく3年の春に決勝で当たった時は、負けたくはないって気持ちは大きかったですし、それがあったから優勝できたのかなって」
春夏連覇を狙った3年の夏は、準々決勝で下関国際に逆転負けし、大願成就とはならなかったが、ちょうど1年前のあの日を、松尾は次のように振り返った。
「悔しいという気持ちはもちろんありましたが、いま思えば、負けて得たことも多かったと思います。自分たちにはまだまだ何かが足りないと......。あとは3年間の野球生活に一区切りがついて、正直ホッとした気持ちもありました」
【西谷浩一監督から学んだこと】あらためて、松尾にとって甲子園とはどんな場所だったのだろうか。
「自分の持っている力以上のモノを出せる場所だったと思っています」
今年の夏は、残念ながら大阪桐蔭の後輩たちは甲子園へ進めなかった。先輩として何か贈る言葉はあるだろうか。
「とにかく、次に向けて切り替えて頑張ってもらいたい。いま言えるのは、それだけですね」
松尾もボールを受けていたエース左腕の前田悠伍は、本来の力を発揮できず、大阪大会決勝で履正社に敗れた。
「前田は自分がやらなければいけないという気持ちが強かったでしょうし、本調子でないなかで頑張ってくれたと思いますね」
高校生離れした制球力とマウンド度胸でプロ注目のサウスポーである前田だが、松尾としては、一緒にプレーしたいという気持ちはあるのだろうか。
「そうですね。前田とは敵というよりも、一緒にやれたらと思っています」
はたして再びバッテリーを組む日は来るのか、楽しみにしたい。
そして大阪桐蔭といえば、チーム全員の心をひとつにして想いを注ぎ込む『一球同心』という部訓が有名だ。この言葉は、今も松尾の心の中心にあり、常に意識しているという。人間として野球選手として、大きな成長を遂げることのできた3年間、やはり高校球界屈指の名将である西谷浩一監督の影響は大きかった。
「西谷先生のもとでプレーできたからこそ、考える力が身についたと思います。『こうしろ』と答えを出すのではなく、自分たちでどうするべきなのか考えさせるんです」
すでにプロの野球にアジャストしている松尾のクレバーさを鑑みれば、西谷監督の指導が大きかったことは想像に難くない。また内野手だった松尾が捕手になったのも西谷監督の導きだった。
「最初はキャッチャーと言われ、『ええっ!?』と思ったんですが......けどやってみないことにはわからない。結果、キャッチャーをすることでこうやってプロへ進めましたし、そこは本当に感謝しています」
極端なことを言えば、どんな指導者と出会うかによって、その後の野球人生が変わることは珍しくない。松尾の場合は、もちろん本人の努力もあるが、西谷監督との出会いがプラスに働いたと言っていいだろう。
大阪桐蔭での3年間をあらためて振り返ると、どんな日々だっただろうか。
「野球はもちろんなんですけど、やっぱりあの3年間は全寮制だったので、親のありがたみをすごく感じましたし、生活面も含め、いろいろな部分で成長させてもらいました。みんなで勝ちを味わえたことはうれしいことでしたし、一方で気の強い人間の集まりなので、いろいろ難しいところはありましたが、すべての面ですばらしい経験ができたと思います」
そう言うと松尾は感慨深い表情を見せた。「じゃあ、あの世界にもう一回戻りたいと思いますか?」と尋ねると、「それはちょっと厳しいですねぇ」と松尾は笑った。
青春の輝きは、その時だけのものだ。
そして19歳の今夏、松尾は一軍で活躍する日を夢見て、自分をとことん追い込み、プロの選手として成長することを誓う。
「まだまだ暑いので熱中症対策をしっかりして、毎日特訓に打ち込んでいきたいと思います!」