守田英正×脇坂泰斗スペシャル対談(中編)

◆守田英正×脇坂泰斗・前編>>ふたりが思い出すフランス戦「舌打ちされた」「覚えてない(笑)」

 2018年に川崎フロンターレに加入した守田英正と脇坂泰斗のふたりは、どのような成長の足跡を刻んでいったのか。そこには、同期だからこそ交わした言葉や影響、刺激があった。

 スペシャル対談・中編では、前年に初のJ1リーグ優勝を飾ったチームに飛び込んだふたりが、それぞれ置かれた立場でもがきながら、一歩ずつ成長してきた過程を振り返ってもらった。

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── 大学を卒業して、2018年にプロになったふたりが感じた「川崎フロンターレの強さ」とはどこでしたか?

守田 自分たちが加入した前年の2017年にフロンターレはJ1リーグで初優勝していました。その自信もあり、僕ら若手からしてみると、王者の風格みたいなものが漂っていたように思います。

脇坂 自信から来る風格、みたいなものは僕も感じました。

守田 だからといって、チームの雰囲気が常に張り詰めているというわけでもなかった。先輩たちは新人に対して気さくだし、フレンドリーで、むしろ先輩たちから自分たちに声をかけてくれるし、歩み寄ってきてくれる雰囲気がありました。

 でも、威厳を保つところでは、しっかりと手綱を締めている。いい意味で、張り詰めすぎず、余白があると言えばいいんですかね。その余裕があるところに、僕は逆に「王者の風格」を感じました。

── そこに大卒とはいえ、新人選手が挑んでいくのは大変だったのでは?

脇坂 当時を振り返れば、その時の自分は大変だったと思いますけど、若手が先輩たちに挑んでいくことを歓迎してくれる環境があった。その姿勢を、監督も、コーチも、そしてチームメイトも評価してくれているような。

 だから、自分を見失うことなく、自信を持って自分がやりたいことをやらせてもらっていた。チームとしてそうした雰囲気や土壌を作ってくれていたことが、当時の若手としてはありがたかったですね。

守田 だから自分も日々、技術的にうまくなっているという感覚を得ることができていた。また、それを自分は求めていたし、自分の技術がおぼつかなくても、ずっと楽しいって思えていた理由のように思います。

── プロ1年目は、守田選手がリーグ戦26試合に出場したのに対して、脇坂選手はリーグ戦で出場機会を得ることはできませんでした。同期として意識するところは?

脇坂 ヒデ(守田)よりは、自分のほうがやっぱり意識はしていたと思います。ただ、焦りといった感情ではなかったかな。

 ヒデだけでなく、大学選抜で一緒にプレーしていた選手たちが、それぞれのチームで試合に出ていて、出場機会を得られていないのは僕くらいだったということは考えました。だから、ヒデだけというのではなく、同世代を意識していたかな。

守田 それに、フロンターレが4-2-3-1で戦っていた当時、僕が務めていたボランチは2枠あった。一方で、出場するならばトップ下だった泰斗が、ポジションを争っていた相手は(中村)憲剛さんだった。それを考えると、自分よりも泰斗のほうが試合に出るのは容易ではなかったですよね。

 実際、僕もデビュー戦はSBでしたし、監督から起用してもらえるポジションの幅が広かったこともあったと思っています。ただ、自分が試合に出ているからといって、泰斗に気を遣ったことは一度もなかった。

脇坂 試合に出ていても、ヒデが僕に気を遣わなかったことは、助けられたように思います。接していて、僕自身が「気を遣われているな」って感じてしまうことのほうが嫌じゃないですか。気を遣われていることがわかってしまうと、僕自身も接し方を変えなければいけなくなる。でも、ヒデにはまったくそんな素振りはなかった。

守田 でも、泰斗がデビューした天皇杯(2回戦)のソニー仙台戦で、先発しながら前半途中に......。

脇坂 前半の37分に交代した試合?

守田 うん。あの時は「相当、苦しんでいるんだろうな」って思った。さすがにひと言、声をかけようかと悩んだけど、そこで俺が優しい言葉をかけるのはやっぱり違うなって思った。だからあの時も、いつもと変わらない態度でいようとした。

脇坂 あの時もヒデは(接し方が)変わらなかったよね。たしかにあの時は悔しかったし、苦しかったけど、(長谷川)竜也くん(横浜FC)、知念(慶)くん(鹿島アントラーズ)、ラルフくん(鈴木雄斗/ジュビロ磐田)たちがすぐに「メシ、食いにいくぞ!」って、なかば強引に自分を引っ張っていってくれて、なぐさめてくれたんです。

 その時、知念くんが『俺なんて何度、ハーフタイムで変えられたか、わからないぞ』って言ってくれて。あの言葉に救われました。でも、ヒデはあの時も普通で。

── 先輩たちが慰めてくれた行動と同じく、同期のその反応がうれしくもあった?

脇坂 まさに、そうなんです。

守田 同期として切磋琢磨するだけでなく、お互いに自然体でいられる相手がいたことは大きかったですね。

脇坂 だから、彼が免許を失効しているのを知らずにクルマを運転するという、不祥事を起こした時も......あっ、これ言っちゃダメだった?(笑)

守田 大丈夫。事実だし、そのことは自分の本にも書いているから。

脇坂 その時も、逆に触れないようにするのではなく、あえてその日に食事に誘いました。さすがに落ち込んでいるだろうなと思っていたら、反省するところは反省しつつも、ふだんと変わらない守田英正でした。

 こっちは励ます意味も含めて、イジろうと思っていたんですけど、そんな気を遣う必要もなかったというか......。

守田 その時も、泰斗は変わらなかったですね。だから、一緒にいてラクなんですけどね。

脇坂 同期なので、周りから比較されるというのは認識しつつも、当事者である自分たちが比較しないことが大事だったと思っています。

── 同じ時代を生きているふたりにとって、それぞれターニングポイントを挙げるとすると、どこなのでしょうか?

守田 僕はすべての決断がターニングポイントだったように思います。流通経済大学への進学を選んでいなければ、フロンターレに加入することもなかったと思うし、フロンターレに加入しなければ、サンタ・クララに移籍することも、スポルティングでプレーする今もなかった。

脇坂 それは自分も一緒です。自分もフロンターレのユースに加入できたことも、ユースからトップチームに昇格できず、地元を離れて、阪南大学に進んだことも、その節目、節目がターニングポイントだったと思います。そのひとつでも欠けていたら、フロンターレに戻ってプレーしたいという思いには、つながっていなかった。

── プロ2年目の2019年は、脇坂選手も出場機会を増やし、守田選手はチームの主軸へと成長しました。試合に出られるようになったあとも、それぞれ分岐点や葛藤した時期があったと思います。試合を経験していくなかで、それぞれどのような成長を自分自身に感じてきたのでしょうか?

脇坂 ヒデとは境遇は違いますけど、自分自身を振り返ると、ブレなかったというか、逃げなかったことが大きかったと思っています。プロ1年目はリーグ戦に出られず、クラブからは自分の将来を考えて、期限付き移籍という選択肢もあるという話をされたこともありました。

 でも、そこで自分は、フロンターレで試合に出ることにこだわりました。決して期限付き移籍を選択することが悪いというのではなく、試合に出られないからといって、そこから逃げるのではなく、当時日本で一番強くて、リーグ連覇しているチームで勝負したいと思った。

 それは、自分自身が成長していることも実感していたから。"ここ"にこだわり、"ここ"で挑み続けたから、今があると思っています。

守田 僕の場合は、ケツが決まっていたというか、フロンターレに加入した時から3年で海外に行くということを明確な目標にしていました。熱心に声をかけてくれたタツルさん(向島建/スカウト担当)には、事前にその旨も伝えていました。

 だから、1年目で試合に出場できたことはよかったですけど、2年目はケガも多くて思うようにいかず、勝負の1年だと考えていたのが2020年でした。でもそのプロ3年目に、自分は(田中)碧(デュッセルドルフ)にポジションを取って替わられるようになりました。

 あの時、なぜ試合に出られないのか、自分ではよくわからなくて......。その時だったかな、泰斗に言われたんですよね。「お前のプレー、全然よくなかったよ」って。自分自身はそう思ってはいないけど、周りからは差があるように映っている。

 当時は、試合に出られないことを周りのせいにしたり、夏の移籍期間で国内の違うクラブでプレーすることも頭をよぎったりしました。でも、自分に気を遣うことのない泰斗の言葉だったから、素直に受け入れられたのかもしれない。

 それから考えて、自分なりにもがいていたら、また試合に出られるようになって。そのあとはポジションを確立して、チームの(3度目の)J1リーグ優勝に貢献することができた。だから、自分としては役目を果たせたかなと。自分が考えていた3年という期間で、チームに貢献し、やることをやったうえで海外に行けるなって思えたんです。

脇坂 じゃあ、フロンターレに加入したのも、海外に行けたのも、俺のおかげだ(笑)。

守田 えっ、何で、そうなる?(笑)

(後編につづく)

◆守田英正×脇坂泰斗・後編>>「フロンターレあるある」と日欧のサッカーの違い


【profile】
守田英正(もりた・ひでまさ)
1995年5月10日生まれ、大阪府高槻市出身。金光大阪高→流通経済大を経て、2018年に川崎フロンターレに加入。プロ1年目からボランチでレギュラーの座を掴む。2021年8月、ポルトガルのCDサンタ・クララに完全移籍。2022年7月からスポルティングCPの一員となり、同年9月にはCLデビューを果たす。日本代表デビューは2018年9月のコスタリカ戦。2022年カタールW杯メンバーにも選出。ポジション=MF。身長177cm、体重75kg。

脇坂泰斗(わきざか・やすと)
1995年6月11日生まれ、神奈川県横浜市出身。川崎フロンターレの下部組織出身で、阪南大を経て2018年に川崎に入団。2年目からポジションを確立し、2021年・2022年と2年連続でJリーグベストイレブンに選出される。2022年から「フロンターレのバンディエラ」中村憲剛の背番号14を引き継いだ。日本代表デビューは2021年3月の韓国戦。2022年7月のE-1選手権でも3試合に出場。ポジション=MF。身長173cm、体重69kg。