キックコーチ・田所剛之氏インタビュー 前編

東京大学でスポーツバイオメカニクスを専攻し、サッカーのキックに関してのパーソナルトレーニング業を始めて盛況なコーチがいる。「Kicking lab」創業者の田所剛之氏だ。在学中にnoteで書いた、ケビン・デ・ブライネのキック分析記事がバズって話題にもなった田所氏に、東大での活動の内容やパーソナルコーチになった経緯などを語ってもらった。

◆ ◆ ◆


東大卒のキックコーチとして話題の田所剛之氏

【デ・ブライネのキック分析が大バズリ】

――田所さんは東京大学でスポーツ科学を研究しながら、在学中に「Kicking lab」を創業、これまでプロ・アマ含めて1000人以上のキックのパーソナルトレーニングを担当したと聞きました。地元・高知県で一番の進学校の土佐高校から東大へ進学して、ア式蹴球部(アソシエーションフットボール部=サッカー部)でフィジカルコーチをしながらキックのパーソナルトレーナーをされていたそうですね。まず、そうした方面を目指そうと思ったきっかけはなんだったんですか?

 2018年のロシアW杯ですね。ちょうど受験の年の6月に開催されていて、勉強の合間にずっと見ていました。僕は小学校からサッカーを始めて、高校1年の時に受験のために辞めたんですね。

 それまでサッカーは自分でやる以外の発想がなかったんですけど、ベルギー戦を見て、裏方でもいいから日本代表に関わりたい、自分もこの舞台で戦ってみたいと思うようになったんです。それでフィジカルコーチを目指して東大に入りました。

 フィジカルコーチを目指すと言っても何をすればいいかわからないし、ツテもまったくありませんでした。そこでツイッターでいろんなセミナーを見つけては、手当たり次第受けたんです。

 そのなかで知り合ったトレーナーの方に「自分のパーソナルトレーニングを無料で受けて、どんな効果があったかをnoteで記事にしてくれ」と言われて、自分が得意な『力学』でトレーニングの構造を詳細に解説したんです。その記事が"東大生"という肩書も相まって結構バズったんですよ。

――noteの記事はいろいろと書かれていますけど、それがきっかけだったんですね。

 そうですね。大学2年の頃にコロナ禍になって、同じトレーナーの方に「Zoomのセミナーを無料でやるからnoteの記事を書き続けてくれ」と言われて、いろんなテーマの記事を書きました。リオネル・メッシのドリブルとか、久保建英のなにがすごいのかとか。そのなかにキックをテーマにした回があったんです。

 そこでキックがめちゃくちゃ『力学』で説明ができることに気がついたんですね。これは自分と相性がいいなと思って、ケビン・デ・ブライネのキックを分析した記事を書いたら、今までの3倍以上のバズり方をしたんです。それをきっかけにキックに特化した分析記事を書いていたら一気に跳ねて、「もうこれだな」と思って書き続けていきました。

【「キックの東大生」パーソナルトレーニングをスタート】

――パーソナルトレーニングを始めたのはどういった経緯があったんですか?

 その記事を見たポーランドでプレーする日本人選手から「キックのパーソナルトレーニングはできませんか?」とDMが来たんです。それまでパーソナルという選択肢が頭になくて、そこに需要があるのかと。ちょっとこれでいってみようかなと募集をし始めたのがきっかけですね。

――パーソナルトレーナーを始めた一方で、ア式蹴球部での活動はどうしていたんですか?

 1年生の頃からフィジカルコーチとして活動していました。当初はそんな役職はなく、フィジカルコーチのノウハウもないので、ゼロから勉強して練習でやることを決めるというのはなかなか難しかったですね。1年生の頃は勉強も忙しかったのでより時間もなくて、今思えばほとんどなにもできていませんでした。

 当時の学生監督が勉強熱心な人で、ラグビー日本代表が取り入れて成績がアップした最新のトレーニング理論の本を渡されましたが、英語版しかなかったんです。それを読んで翻訳して、内容を噛み砕いて監督や選手に伝えてトレーニングに導入するというのが最初の仕事でした。

 大学に入ったばかりの頃は都会にコンプレックスがあるし、自信はないし、それでいきなり何の知識もないのに上級生に指導をしろと言われても難しかったんですよね。そんななかでnoteの記事がバズって"キックの東大生"という見られ方をするようになってから自信もついてきて、徐々に3年生くらいになら強めにいけるようになっていきましたね(笑)。

――そのア式蹴球部のフィジカルコーチは3年生まで務めて辞めたそうですね。それはどうしてですか?

 3年生の時に林陵平さんが監督になって、フィジカルコーチの仕事をかなり任されるようになったんですね。それで週5でAチーム、Bチームの2部練に全部行って、毎日5時間ぐらいグラウンドにいました。そういう生活を3年生の頃に1年間やりきって、もうこれ以上はできないと思いました。

 あと、林監督がいるとはいえ、学生主体のチームなので僕の立場ができすぎてしまって「田所が言うことなら間違いない」という雰囲気になって、それもよくないなと。

 それで4年生になるタイミングでア式蹴球部を離れて、キックのパーソナルトレーニングとして「Kicking lab」を立ち上げて本格始動させました。3年生の頃から少しずつやってはいたんですけど、一般向けにちゃんと料金を取って始めたのはそこからです。

【論理的に説明できなければいけない】

――田所さんのキック理論は、これまで日本で広まっていたものとは一線を画するものだと思うんですが、その理論はどのようにして確立していったのですか?

 基本はとにかくトップ選手のキックを見ることですね。一つのやり方に執着せずに力学とかさまざまな知識を用いて、とにかくその選手のキックの秘密を暴いてトレーニングに落とし込んでいく。それだけですね。

――例えばひとりの選手のキックを分析する時に、どれくらい映像を見ているんですか?

 同じ文字を見続けると、わけがわからなくなってくるゲシュタルト崩壊ってあるじゃないですか。あれが起きるくらい見ますね。僕が一番見たのは、ロシアW杯のブラジル対ベルギーで、デ・ブライネが決めたミドルシュートです。

 いろいろと視点を変えて、軸足がどうなっているか。足首、ヒザ、上半身はどうか。そうやって何度も見すぎて、頭がおかしくなってきて「なんだこれ」みたいになってきてからが始まりです。そうなると先入観が全部取れた状態で見ることができるんです。

 そうやって段々といろんなものが見えてくるんですけど、それに確証はないので自分の独自理論になります。トップ選手のキックを何度も見て、分析して、仮説を立てて、それを論理的に説明がつくようにする。それが僕のやり方です。

――理論を確立していく過程で、他の競技を参考にすることはありましたか?

 メジャーリーガーの大谷翔平選手のような、アッパースイングのバッティングフォームだったり、剣道の達人クラスの振り方だったり、違う競技から着想を得ることはありますね。

 僕のモットーは科学的ではなくてもいいけど、論理的に説明できなければいけない。実験で証明できる必要はないけど、誰が聞いても納得ができて、せめて議論ができるくらいには説明ができる状態にする。それをずっと目指してやっていますね。

【デ・ブライネをうまくするレベルまで行きたい】

――これから田所さんがやりたいこと、最終的に目指しているところはあるんですか?

 最終的には、デ・ブライネみたいなクラスの選手をもっとうまくしたい。それが最近の目標ですね。今まではデ・ブライネを作るというのが目標だったんです。今は小学生対象が多いのでそれでもいいんですけど、最近は少しずつJリーガーを見ることが増えてきました。

 そうしたら代表選手も見られるようになりたいし、プレミアリーグのデ・ブライネのような選手たちにも関わってみたいと思うんです。そうなったらデ・ブライネを作るというレベルではなく、彼らをもっとうまくできるレベルでなければダメだと思っています。

――自身のレベルを上げていくためにはなにが必要だと思っていますか?

 データを取りながら、自分のトレーニングの理論を補強したいと思っています。やっぱり見た目だけではわからないんですよね。だからちゃんと関節のデータや力のデータを出したほうが見えてくるものがあるので、それをやっていきたいなと思っているんです。

――それは具体的にどうやって進めていこうと考えているんですか?

 今はAIの技術的な進歩がすごいので、映像から関節の角度データとかが出せるようになっているんですね。だからAIを使ってデータを取るということをやり始めています。最終的には僕の頭を介さず、時間も場所も共有せずにパーソナルトレーニングができるサービスを作りたいと思っているんですよ。

――それがあれば今より何倍もの人を指導できるようになりますね。

 すでにひとりでやるには体に限界を感じているので、これ以上パーソナルは増やせないし、スクールをやってもできて15人。頑張っても1年で数千人では甘いなと。もっと教えたいんですよ。

 それを月額2000円とか、中学生や高校生はお小遣いの範囲で続けられるくらいの料金設定でやりたいと思っています。自分自身、中学や高校の頃にキックや戦術などの知識をもっと勉強していれば、もっとやれていたなと思うんですよね。それは周りにいた選手たちにも感じていました。

 だからそういうサービスで、地方と都会の格差を埋めたいというのも僕が目標としていることです。じつは地元の高知県出身の現役Jリーガーがひとりもいないので、出したいという思いがあります。

――そのサービスはどのように実現しようと考えているんですか?

 スマートフォンに専用のアプリを入れて、それで取った映像からAIでデータを出して、そのデータをもとに今の課題を出して自動で練習のプログラムを組む。さらにその練習の映像から「課題の達成度は何%、もっとここを練習しましょう」とアプリが指導していく。そんなイメージですね。

【AIを使ったトレーニングサービスに着手】

――そう遠くない未来に実現できそうですか?

 どうですかね。AIを使って体の動きを分析するツールは現時点でもあるんですけど、車の自動運転の歩行者検出とか、あまり分析の精度を必要としないものなんですよね。医療業界でリハビリなどの歩行分析にも使われていますけど、それも応用しきれていないと思います。

 結局、歩いているのを見て、どこが悪いかを判断するのは経験則なんですよ。なぜそれがデータに落とし込めないかというと、データと経験則を行き来して翻訳できる人がいないからだと思います。

 ただ、僕が一番そこに近いところにいると思っているんです。だから自分が積み上げてきた理論をデータで補強して、さっき言ったサービスにつなげていけたらなと思っています。それがうまくいったらキックやサッカーだけにこだわるつもりはないので、例えば格闘技などいろんな競技に広げていけたらいいなと思っています。

田所剛之 
たどころ・たけゆき/2000年8月6日生まれ。高知県出身。東京大学入学後、スポーツバイオメカニクスを専攻、ア式蹴球部でフィジカルコーチを務める。noteでケビン・デ・ブライネのキックを分析した記事が話題になり、4年時には「Kicking lab」を創業して、キックのパーソナルトレーニングをスタート。これまでプロ・アマ含めて1000人以上を担当した。2023年4月に著書『東大卒キックコーチが教える 本当に正しいキックの蹴り方』(日本文芸社)が出版された。

ミズノスポーツプラザ千住●取材協力