10年もののドライビングシューズ「ネグローニ」を修理に出してみた
MADE IN JAPANのドライビングシューズブランド「ネグローニ」は、クルマとドライブがお好きな方にはおなじみだろう。気に入って10年前から履いているのだが、普段の運転と新型車の試乗取材で酷使した結果、かなりダメージが蓄積したので、修理に出してみることにした。
「ネグローニ」のドライビングシューズ
○どう直す?
ネグローニは1969年に初代の宮部光吉氏が設立した「丸光製靴」がルーツ。2000年に2代目の修一氏が「従来の常識を覆す快適さとモダンなデザイン」を取り入れたドライビングシューズのブランドとして設立したのが「ネグローニ」だ。ちなみにこの名称、当時の彼がホテルのバーで好んで飲んでいたイタリアのカクテルの名をそのまま採用したというからシャレている。
2014年に59歳の若さで夭折した修一氏の後を継いだのが、現在のブランドディレクターである宮部修平氏。突然の引き継ぎに苦労しつつも、同年にドライビングシューズファクトリーを東京・荒川区に設立した。
ネグローニファクトリーの入り口。筆者の「W124」の隣にアルピナとレンジローバーが並んでいる
その少し前の2013年ごろ、現在の仕事が軌道に乗ってきた頃に筆者が履きはじめたのがこのネグローニだ。地元の国立市にあるセレクトショップ「CLEATS」(クリーツ)の主人に勧められて2足を購入した。つまり、履き始めて10年がたったわけだが、その10年モノの2足を荒川区のファクトリーに持ち込み、修理をお願いしたというのが今回のお話である。
修理前の2足。底面がすり減り、かかと内側のレザーが痛んだ「ヴォランテ・コルサ」(左上、下)と、底面に穴が空いた「イデア」(右上)
1足目はブルー&レッドの定番品「イデア」で、かかと(特に右足側)がすりへって底面に小さな亀裂が入り、全体的にくたびれていた。もう1足は、すでに廃盤となった紺色のスリッポンタイプ「ヴォランテ・コルサ」で、かかと内側のレザーが破れたり、ドットのようなペブルソールがすり減ったりしていた。そのペブルソールは今やほとんど在庫がないという状態なのだが、筆者のサイズのものがなんとか見つかったのでやっていただくことにした。
持参した2足をチェックした前出の修平氏からは、「両方とも古いものだけど、丁寧に履いていらっしゃいますね」と嬉しいお言葉。使用のたびに自宅でクリーンアップし、シューツリーを入れておいたのがよかったのかもしれない。ただ中敷を取り出してみると、先端部分に大量のホコリが詰まっていたのにはびっくり。ここには摩耗したソックスやハウスダスト、また自宅にペットがいたならその毛などが詰まっていることが多いのだという。
持ち込んだ2足のダメージ具合をチェックする宮部修平ディレクター。中敷の先端には大量のホコリが溜まっていた
1階のファクトリーで、まずはとっかかりとなる分解作業を見学。糊を剥がしやすくするために木型に入れて熱を加えられた筆者の「イデア」は、職人さんが手にしたマイナスドライバーによってバリバリと一気に靴底が剥がれていく。まあ、この後の作業は企業秘密もあって詳しく紹介できないのだが、新しいロゴマークが入った靴底(イタリア製)に張り替える準備は整った。
木型に入れて熱を加えたあと職人さんがドライバーで靴底を剥がしていく
新ロゴマークの入った新品の靴底(イタリア製)と剥がされた旧ロゴのもの
中底は中央がパックリと割れていた。手前はその新品
靴底の取り付け作業を待つ修理品
職人さんの手で丁寧に糊が塗られていく
靴底の貼り付け作業を待つ新品の列
こうした修理は1.2万円からということでちょっと高価だが、仕上がりまで約1カ月というその作業の一部を見せていただくと、むしろ新品を製作するよりも手間がかかるものであることがわかる。修理に持ち込まれる数は年間1,000足というから大変だ。
修理が終わり、社長から手渡された愛しの靴を目にすると本当に嬉しかったし、再びいろんな場所にこれを履いて行って、いろんなクルマに乗ることが楽しみになってきた。自宅に戻って他のネグローニと並べてみると、その数はすでに?足にもなっていた(写真に写っている以外にもあります)。10年も前の靴がこんなに見事によみがえるのだから、これ以上増やさず(奥さんの目も厳しくなる……)にローテーションしつつ、丁寧に履き続けることにしよう。
修理が完了した筆者の「イデア」を手渡してくれた宮部ディレクター
筆者のネグローニコレクション。これからもローテーションしつつ丁寧に履いていきたい
ネグローニシューズの販路は今や世界に広がっていて、その一例としては、英国のクラシックレースの祭典「グッドウッド リバイバル」にアジアから唯一の出展枠として推薦されているという。人気も上々で、筆者が訪れる少し前には海外ではインドネシアから、国内では四国からユーザーが修理と新品購入のためにファクトリーを訪れていた。
原アキラ はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。 この著者の記事一覧はこちら
「ネグローニ」のドライビングシューズ
○どう直す?
ネグローニは1969年に初代の宮部光吉氏が設立した「丸光製靴」がルーツ。2000年に2代目の修一氏が「従来の常識を覆す快適さとモダンなデザイン」を取り入れたドライビングシューズのブランドとして設立したのが「ネグローニ」だ。ちなみにこの名称、当時の彼がホテルのバーで好んで飲んでいたイタリアのカクテルの名をそのまま採用したというからシャレている。
ネグローニファクトリーの入り口。筆者の「W124」の隣にアルピナとレンジローバーが並んでいる
その少し前の2013年ごろ、現在の仕事が軌道に乗ってきた頃に筆者が履きはじめたのがこのネグローニだ。地元の国立市にあるセレクトショップ「CLEATS」(クリーツ)の主人に勧められて2足を購入した。つまり、履き始めて10年がたったわけだが、その10年モノの2足を荒川区のファクトリーに持ち込み、修理をお願いしたというのが今回のお話である。
修理前の2足。底面がすり減り、かかと内側のレザーが痛んだ「ヴォランテ・コルサ」(左上、下)と、底面に穴が空いた「イデア」(右上)
1足目はブルー&レッドの定番品「イデア」で、かかと(特に右足側)がすりへって底面に小さな亀裂が入り、全体的にくたびれていた。もう1足は、すでに廃盤となった紺色のスリッポンタイプ「ヴォランテ・コルサ」で、かかと内側のレザーが破れたり、ドットのようなペブルソールがすり減ったりしていた。そのペブルソールは今やほとんど在庫がないという状態なのだが、筆者のサイズのものがなんとか見つかったのでやっていただくことにした。
持参した2足をチェックした前出の修平氏からは、「両方とも古いものだけど、丁寧に履いていらっしゃいますね」と嬉しいお言葉。使用のたびに自宅でクリーンアップし、シューツリーを入れておいたのがよかったのかもしれない。ただ中敷を取り出してみると、先端部分に大量のホコリが詰まっていたのにはびっくり。ここには摩耗したソックスやハウスダスト、また自宅にペットがいたならその毛などが詰まっていることが多いのだという。
持ち込んだ2足のダメージ具合をチェックする宮部修平ディレクター。中敷の先端には大量のホコリが溜まっていた
1階のファクトリーで、まずはとっかかりとなる分解作業を見学。糊を剥がしやすくするために木型に入れて熱を加えられた筆者の「イデア」は、職人さんが手にしたマイナスドライバーによってバリバリと一気に靴底が剥がれていく。まあ、この後の作業は企業秘密もあって詳しく紹介できないのだが、新しいロゴマークが入った靴底(イタリア製)に張り替える準備は整った。
木型に入れて熱を加えたあと職人さんがドライバーで靴底を剥がしていく
新ロゴマークの入った新品の靴底(イタリア製)と剥がされた旧ロゴのもの
中底は中央がパックリと割れていた。手前はその新品
靴底の取り付け作業を待つ修理品
職人さんの手で丁寧に糊が塗られていく
靴底の貼り付け作業を待つ新品の列
こうした修理は1.2万円からということでちょっと高価だが、仕上がりまで約1カ月というその作業の一部を見せていただくと、むしろ新品を製作するよりも手間がかかるものであることがわかる。修理に持ち込まれる数は年間1,000足というから大変だ。
修理が終わり、社長から手渡された愛しの靴を目にすると本当に嬉しかったし、再びいろんな場所にこれを履いて行って、いろんなクルマに乗ることが楽しみになってきた。自宅に戻って他のネグローニと並べてみると、その数はすでに?足にもなっていた(写真に写っている以外にもあります)。10年も前の靴がこんなに見事によみがえるのだから、これ以上増やさず(奥さんの目も厳しくなる……)にローテーションしつつ、丁寧に履き続けることにしよう。
修理が完了した筆者の「イデア」を手渡してくれた宮部ディレクター
筆者のネグローニコレクション。これからもローテーションしつつ丁寧に履いていきたい
ネグローニシューズの販路は今や世界に広がっていて、その一例としては、英国のクラシックレースの祭典「グッドウッド リバイバル」にアジアから唯一の出展枠として推薦されているという。人気も上々で、筆者が訪れる少し前には海外ではインドネシアから、国内では四国からユーザーが修理と新品購入のためにファクトリーを訪れていた。
原アキラ はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。 この著者の記事一覧はこちら