放送作家・堀江利幸氏、「ゴチになります!」生みの親が語る長寿ヒットへの軌跡 「圧をかける」仕掛けで“永久サイクル”に
●たけしからダンカンへの「面倒見てやれよ」で決意
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、放送作家の堀江利幸氏だ。
『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系、毎週木曜20:00〜)の長寿看板コーナー「ゴチになります!」や、世界45カ国でリメイクされる『¥マネーの虎』などを考案した堀江氏。“真剣勝負”や“ガチ感”が人気の背景にあるこれらの大ヒットコンテンツは、「追い込まれた状況で、設定されたバーを越えたときのカタルシスが見たい」という発想から生まれたと語る――。
堀江利幸1968年生まれ、群馬県出身。中央大学理工学部数学科卒業。在学中からテリー伊藤に師事し、ロコモーションに所属して『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(日本テレビ)、『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京)などを担当。その後フリーとなり、『ぐるぐるナインティナイン』『おしゃれカンケイ』『¥マネーの虎』(日テレ)、『ガチンコ!』『ひみつの嵐ちゃん!』『リンカーン』『炎の体育会TV』(TBS)、『ペケ×ポン』『ほこ×たて』(フジテレビ)などを担当。現在は、『世界一受けたい授業』(日テレ)、『プレバト!!』『日曜日の初耳学』(MBS)、『アイ・アム・冒険少年』『オオカミ少年』(TBS)、『千鳥のクセスゴ!』『有吉の夏休み』(フジ)、『新木優子のあらきあるき』(YouTube)など。
○■幸運が重なって憧れのたけしの番組に
――当連載に前回登場した放送作家の桝本壮志さんが、堀江さんについて、「『ぐるナイ』で堀江さんが『ゴチ』のスタッフに指名してくださらなかったら、僕の放送作家として今はないです。企画の着想も発想法も、あの頃からずっと堀江さんに影響されています。当時から毎週ご飯を一緒にしてくれて、今も誘ってくれる堀江さんをお慕いしています」と言っていました。
そう言ってもらえると、すごくうれしいですね。
――「ゴチ」で桝本さんを指名された決め手は何だったのですか?
当時、「ゴチ」班の作家は僕だけだったので、サポートしてくれる人が欲しかったのと、違う角度の意見があったほうが厚みが出るかなと思ったんです。桝本が番組に加わって最初に出した企画が、会議で演出にちょっと否定されたんですね。でも、僕はその企画が全然成立してると思って、それをひと言伝えたくて、飲みに誘ったんですよ。そしたら、お互い野球が好きで、放送作家のダンカンさんの本がバイブルだったり、誘って正解でした。感覚が近くて、すごくやりやすかったんですよね。
――どんなところが近かったのですか?
ネタの出どころがわからないというか、ネットの情報とかから安易に考えてないというか。あえて時代と逆行してたり、隙間を突いたりする発想が、ちょっと似てるのかなと思いました。
――堀江さんはどのようにして放送作家になられたのですか?
中学生のときにビートたけしさんの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)に夢中になり、たけしさんに憧れると同時に、その傍らにいる高田文夫さんの存在が気になって、放送作家という職業の人がラジオやテレビを仕掛けてるんだということを認識しました。たけしさんに近づくには放送作家になるしかないと強く思い始めて、僕は出身が群馬で、親に「放送作家になりたい」なんて言い出せなかったものですから、とりあえず東京の大学に行って、その4年間で何とかテレビ業界に潜り込めないかと思って東京に出ました。
そしたら大学3年の夏に、『オールナイトニッポン』で「最後のたけし軍団オーディション」というのがあり、もちろん芸人さんの募集だったんですけど、放送作家としてダンカンさんの弟子になりたいと履歴書を送ったところ、なぜか書類審査に通りまして。有楽町のニッポン放送で軍団さんによるグループ面接があり、他の応募者は「じゃあ陰毛燃やしまーす」とかアピールしてましたけど、僕は何もないので「すいません、作家志望でして。場違いで申し訳ありません」ってただ謝ってました。結局落ちたんですけど、不思議なことに終わった後ダンカンさんが「飯行こうぜ」って誘ってくださいまして、表参道の焼肉屋に連れて行ってもらいました。
――優しいですね!
そこでダンカンさんにいろんなお話をしていただきましたが、最後に「今日なんで誘ったかというと、たけしさんに『1人作家志望がいるから面倒見てやれよ』って言われたんだよ」って伝えられて、もう感激して泣きそうになりました。ただ結局は「放送作家は難しい仕事だから、大学卒業してちゃんと就職したほうがいい」と断られましたが、たけしさんのありがたいお言葉と、ダンカンさんに親身になって話していただいたことで絶対に放送作家になるという思いが固まりました。
ビートたけし(左)とダンカン
その半年後、フジテレビで『北野ファンクラブ』というたけしさんの番組が始まって、コーナーの企画募集があったんです。そこにいくつか考えて応募したら、制作会社のイーストの方から「1回収録見学してみる?」と電話がありまして、当時河田町にあったフジテレビのスタジオを初めて見学させていただきましたが、そこで構成作家のそーたにさんと、おちまさとさんを紹介していただきました。おちさんは僕の企画を覚えてくださってて、「ディテールがいいよ、そういうの大事だから」と言ってくれて、プロの方に初めて褒めてもらえたのがうれかったですね。
――どんな企画を送ったのですか?
しょーもないネタですが、飲み屋に入ってきて歌う「流し」って職業あるじゃないですか。その全裸版で、ギターで股間を隠して入ってくる『全裸流し』というだけなんですけど、そんなイラストに吹き出しで、渥美二郎さんの「夢追い酒」の一節を添えて出したんですね。渥美二郎さんというのは流し出身の歌手なんですけど、その細かい部分をおちさんに褒められました(笑)
そーたにさんには、「本気で作家やりたいんだったらここに連絡して」と、ロコモーション(=テリー伊藤が設立した放送作家事務所)の名刺を頂きまして。当時携帯電話はなかったので自宅の電話番号を書いてくださって、2〜3日真剣に考えて、勇気を出して電話したんですけど、「お前なんでこの番号知ってんだ?」って(笑)
――そんなに日にちも経ってないのに(笑)
「収録現場でお名刺を頂きまして…」と言ったら、「あそう。じゃあ伊藤さん紹介してやるよ」と。麹町の日本テレビで伊藤さんを紹介していただき、ロコモーションに入って『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』のスタッフになれました。僕は『北野ファンクラブ』をやりたかったんですけど、そーたにさんが「マニアックな深夜番組から始めずに、まずは王道を学んだほうがいい」と。
――でも、見事狙い通りにたけしさんに近づけたわけですね。
本当にラッキーにラッキーが重なった感じですね。
○■張り付けられた上島竜兵さんが湖で大爆破
――当時の『元気が出るテレビ』は、超人気番組ですよね。
僕が入ったときは第2回「ダンス甲子園」で一番盛り上がってる頃でした。最初は先輩の作家さんたちの会議用の企画をコピーするのから始まったんですけど、初日にそーたにさんから、IVS(IVSテレビ制作=『元気が出るテレビ』の制作会社)のデスクを借りて紙を渡されて「今から2時間やるから、企画100個考えろ」って言われました。でも、知らない場所で緊張しすぎて面白いことが何も浮かばなくて。2時間経ったらそーたにさんが帰ってきたんですけど、7個しか書けてなくて「もっと数書かなきゃダメだ」って叱られました。ただ、その中の「川合俊一のアタックをどんな手を使ってもいいから止めよう」ってネタで、一瞬そーたにさんがニヤっとしたのがうれしかったのを覚えています。わけ分かんない企画ですが。
――最初に通った企画は、どんなものだったのですか?
『元気が出るテレビ』と同時に、『(ビートたけしの)お笑いウルトラクイズ!!』にも入れていただいて、そっちの採用のほうが早かったんです。富士五湖の湖でボートの舳先に上島竜兵さんを張り付けて湖上を爆走して、最後はハリボテの客船に突っ込んで大爆破するっていうネタでした(笑)
――時代ですね(笑)。やはりレギュラーの『元気が出るテレビ』は、基礎を学んだ場でしたか?
入って1カ月後ぐらいに、初めてロケ台本を振られました。でもどう書いていいのか分からず、原稿を前にしてボーッとしてたら、おちさんが近づいてきて「自分がディレクターで撮るつもりで書けばいいんだよ」と言われまして。作家もディレクターと同じくらい現場や演者さんのことを細かく考えろってことかなぁと解釈して「分かりました」って返事しましたけど、やっぱり台本書けませんでした(笑)。僕はそのとき22歳で、おちさんは25歳で、おちさんはもうすでに完成している放送作家という印象でした。他にも、そーたにさんや都築浩さんらロコモーションには優秀な方がそろっていて、僕はとても追いつけそうもなく不安な気持ちしかなかったです。
――そこから「放送作家でやっていける」と自信になったのは、どんな企画だったのでしょうか?
ロコモーションには3年間在籍し、そのあとフリーになったんですけど、「これからは失敗はすべて自分のせい、自分で責任を負うしかない」と開き直れました。新しい環境でプレッシャーもなく自由に企画を考えてるうちに、「ゴチになります!」とか企画が通りはじめ、少し光が差し込んできた気がしました。
●女優が自腹に激怒…「あの番組、ガチだぞ」
――『ぐるナイ』にはどのような経緯で参加されたのですか?
桜田(和之、現・静岡第一テレビ会長)さんに誘っていただきました。『お笑いウルトラクイズ』のプロデューサーもされてて、ロケ現場でトラメガ持って芸人さんたちを誘導されてたのが桜田さんで、毎回現場でご挨拶すると「君、いつも来てるよね」って優しく接してさって。その後、僕がフリーになったときに、ゴールデンの番組を2本紹介していただきました。1本は『バラ珍(嗚呼!バラ色の珍生!!)』で、もう1本が夕方からゴールデンに昇格した『ぐるナイ』です。全然レギュラーがなかったときに急に2本もお仕事をくださり、ものすごく助かりました。
――そこで「ゴチ」を考案されたわけですが、どのように企画したのですか?
番組の状況としてはゴールデンに上がって1年ぐらい経って、ちょっと視聴率が不安定な時期で。当時は金曜19時だったので、何か料理モノのコーナーがあったほうがいいと思い、ちょうどとんねるずさんの「食わず嫌い王決定戦」(フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげです』)が大ヒットしてて、ゲストと何か食べながらゲームをするみたいなのをぼんやりと考えてました。
ゲームといえば子どもの頃、『目方でドン』(日本テレビ)という番組が大好きで。簡単にいうと、自分の奥さんを巨大な天秤の片方に乗せて、もう片方に奥さんの体重に近づくよう家電製品をいろいろ運んできて、最後天秤が吊り合ったら全部もらえるという、シンプルかつダイナミックなゲーム番組だったんです。僕も挑戦者が持った家電をお茶の間で一緒に予想してて「ラジカセ 1kg」とかメモに書きながら観てたんですが、これを「値段の分からない料理」に置き換えたら成立するなと思ったんですよ。
『目方でドン』は、最後に巨大な天秤が釣り合うか傾くかっていう絶対見たくなる落とし込みがあって、「ゴチ」も最後に何か荒っぽい画が欲しいなと思って。食事の流れだから最後はお会計なので、一番予想が遠い人が全員分を払う、しかも本当に自分の財布からガチで払うというのが、刺激があっていいのではと思い、会議に企画を出しました。
――もう現在の完成形ですね。
ただ、1人のディレクターから「それって払った体(てい)でいいんだろ?」って意見が出て、「いや、体じゃ面白くないですし、ガチで払うからリアルな表情が撮れるんですよ」って主張したんですけど、「本当に払わせたら、ゲストは誰も出ないよ」と言われまして。会議もネガティブな空気に包まれたんですけど、後日ナイナイさんにプレゼンしたら、「そこは演技できない」「実際に払わないとリアクションできない」って話になり、ガチの自腹で行くことになりました。
――最後の結果発表は、本当に皆さんリアルな表情ですもんね。
いまだに「本当に払ってんの?」って聞かれますけど、初期の頃にある女優さんが負けて、財布から払って「はいOKです」って収録が終わったんですけど、「え? お金返してよ」ってプロデューサーが詰め寄られて。「すいません、これガチなんですよ」って説明したら、カンカンに怒っちゃって(笑)。逆にこれが広まって、演者さんの間で「あの番組、ガチだぞ」ってリアリティーが高まって、良い効果を生みました。
「ゴチになります!24」(左から 羽鳥慎一、増田貴久、宮野真守、矢部浩之、岡村隆史、小芝風花、盛山晋太郎) (C)NTV
○■生々しいリアルファイトじゃないと『めちゃイケ』に勝てないと思った
――この“ガチ感”が、「ゴチ」を人気コンテンツに押し上げたんですね。
ナイナイさんの番組をやってると、どうしても『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!))』(フジテレビ)を意識していて、こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないですけど、『ぐるナイ』は緻密に作り込まれた『めちゃイケ』に一生勝てないと思ってました。『めちゃイケ』が極上のプロレスショーだったら、『ぐるナイ』は生々しいリアルファイトじゃないと、とても追いつけない。だからガチな自腹にこだわって良かったと思います。
――『めちゃイケ』は終了して『とぶくすり』からのトータルで25年。『ぐるナイ』は4月で30年目に突入して、放送期間も抜きました。
「ゴチ」がスタートして3年目ぐらいのときに、ちょっと自腹の刺激が薄れてきたと感じまして、何かもう1つさらなる“圧をかける”ことを考えなきゃと思ったんです。そこで、年間で一番支払った人がクビになるっていうルールを思いついて、1年間のペナントレースにして、最後に誰かが卒業するってシステムなら毎年その特番は見てもらえそう、と思って提案したんですけど、当時の総合演出に「ナイナイが負けたらどうするんだよ」って猛反対されまして。冠番組のMCがクビだなんて最高にくだらないって思いましたけど、さすがになので、ナイナイさんの場合はクビになったら1年間出場停止ということで落ち着きました。それから、毎年誰かが卒業して新しい人が入ることで、座組みに鮮度が生まれてます。
――もう1つ“ガチ感”が加わったんですね。
クビが決まる瞬間は、こちらも心が痛くなるくらい、つらい瞬間ですね。僕、中島健人さんが大好きなんですけど、生放送でケンティがクビになって号泣してる姿を見て、申し訳なくて心の中で謝りました。柳葉敏郎さんのときの涙もグッときました。でも、「仲間が去る」っていうバラエティ番組はあまりないので、これはこれで青春だと思っていただけたら。
――1年間で生まれるゴチメンバーの絆がすごいですよね。毎年、新メンバーの方を取材させていただくのですが、皆さん「収録がいつも楽しくてしょうがないです」とおっしゃるんです。
そこは、ナイナイさんがファミリー感を作る天才なんだと思います。カメラが回ってないところでもゴチメンバーと楽しくおしゃべりしてて、収録も長時間なので仲良くなって、普通の番組の収録より情が湧くのだと思います。
――長年にわたる中で、他にもブラッシュアップしている点はあるのですか?
毎年、ちょっとずつ何かを上乗せしていこうと意識してます。おみや代を払うとか、支払いのお金が足りない人は所持品を質屋に売るとか、最初は男性だけだったところに女性を加えようと思ってオセロの中島(知子)さんが入ったり、クビの発表を生放送にしたり、前の年にやってないことを1個足していこうという考えでやってきています。
――今年から、イケメン男性枠が俳優さん(高杉真宙)から声優さん(宮野真守)になりましたよね。正直、企画を考えたときに、これだけ長寿で国民的な人気コーナーになるというのは、想像されていましたか?
ここまで長く続くとは思いませんでしたけど、クビ制度を導入したことでゴチが“永久サイクル”になったらいいなという思いはありました。今回の声優の宮野真守さんとか、異ジャンルの魅力ある方を積極的にキャスティングしていただいてるプロデューサーの皆さんのご尽力のおかげです。それと、毎回ロケで最高の美食をご提供していただいてるお店の方々にも感謝しています。
――12月にクビになる人が決まって、1月に最低1年間のレギュラーメンバーになる旬の方をブッキングするのを毎年やるって、改めて考えるとすごいですよね。収録も長丁場の番組ですし。
クビ決定の収録には、以前は毎回立ち会ってましたが、深夜3時半くらいまでやってたときもありました。羽鳥(慎一)さんは当時『ズームイン!!SUPER』をやられていて、「ゴチ」の収録終わりでそのまま生放送に行ってましたから(笑)
●『¥マネーの虎』が世界的ヒットになった理由
『¥マネーの虎』の司会を務めていた吉田栄作
――堀江さんの代表的な企画といえば、『¥マネーの虎』(日本テレビ)もあります。これはどのように発案されたのですか?
僕、ずっと画面に札束がいっぱい映り込んでるドギツい番組を作りたかったんですけど、ある本を読んでたら、中国の華僑のシステムで、成功者が若い才能に出資するというくだりがあって。独立して店を持ちたいという若い料理人が、その腕前を見て「私は500万円出す」「こんな不味い料理に出資できない」みたいなやりとりがあって、これを志願者にまず設定金額を言わせて、その額に達するまでのプレゼンショーにしたら、テレビ的になるんじゃないかと思って企画書にしました。ただ、各局に持ち込んだんですけど、全然通らなくて。
――何がネガティブに反応されたのですか?
「お金のやり取りが考査に引っかかる」と言われて、どこも通らなかったんです。でも、しつこく6年ぐらい出し続けたら、当時日本テレビの企画統括だった土屋敏男さんが「これ面白そうじゃん」って通してくださったんです。でも、放送枠は土曜の深夜24時50分で、「1クールで世帯視聴率7%超えなかったら打ち切り」っていう条件が課せられました。当時深夜の7%って、ゴールデンで言ったら18〜20%くらいで、逆にその条件付きの枠っていうのも話題になって注目が集まったんです。
――対外的にも発表してたんですね。
「電波少年のT部長が条件を出して枠を与えた」という話題性も追い風になったのか、1カ月後に8.3%(ビデオリサーチ調べ・関東地区、世帯)とって、「これで続けられる」とホッとしました。そしたら、半年後に金曜20時にゴールデン進出という急展開で、正直、ゴールデンのソフトとしてはどうかなと不安でしたけど、案の定1年半で終わりました(笑)
――今でも記憶に残る個性的なキャラクターの方がどんどん生まれましたよね。結果として短期間で終了しましたが、今や日テレのフォーマット販売で海外に一番売れている大ヒット番組です。
TBSの『未来日記』が海外フォーマットで売れて、知り合いのディレクターが現地に演出のレクチャーで行ったんですけど、豪華なホテルが用意されて、海外のテレビマンに指導してきたって話を聞かされて、ものすごくうらやましく思えて。『¥マネーの虎』も絶対海外に売れるはずだと思って日本テレビに提案したら動いてくれて、この連載にも登場された清水星人さんが当時『¥マネーの虎』のディレクターだったんですけど、フランスのテレビ市に持っていったら「ものすごい反響だったよ」と。最初にイギリスの公共放送・BBCが買ってくれて、次に、アメリカ3大ネットワークのABCが続き、現在は世界45カ国とどんどん夢が広がっていきました。
――なぜ海外のほうがヒットしたのでしょうか?
海外の方のほうが、学校教育にもなってるくらいディベート文化が発達していて、視聴者も理詰めの細かい話に付き合ってくれる土壌があるような気がします。日本の場合は「マネー成立」の瞬間がピークですが、海外版はそこからさらに利益をどう分配するかなど、細々とした契約のやりとりでもう1回白熱するらしいです。
――独自の発展を遂げているんですね。
それとショーアップがケタ外れです、米国版を見ましたが、何億円もかけたセットで巨大な水槽に何匹ものサメが泳いでて、オープニングで水槽が2つに割れてMCが登場してました(笑)
――その話を聞いて、「ゴチ」も海外に通用するようなコンテンツじゃないかと思いました。
僕も知らなかったんですけど、日本テレビが同じくフランスのテレビ市に出展したらしいんです。でも、売れたというお話は聞いておりません。「ゴチ」のほうがどの国でも受けそうな気がするんですけど、分からないもんですね。
○■蛭子能収と“亡くなった妻”の会話「すごく感情を揺さぶられた」
――ほかにも、ご自身の中で手応えのあった企画を挙げると何でしょうか?
『¥マネーの虎』が深夜からゴールデンに移って、その空いた枠で『マスクマン!〜異人たちとの夏〜』という企画をやらせていただきました。ゲストの亡くなった奥さんや両親がCGやモーションキャプチャーを使ってアバターみたいな状態で蘇り、懐かしい出来事や伝えきれなかった想いを会話するという番組なんですが、これは大林宣彦監督の映画『異人たちとの夏』へのオマージュで、個人的には一番気に入ってる企画です。
――TVerで配信されている佐久間宣行さんと伊集院光さんの『神回だけ見せます!』で紹介されている番組ですよね。蛭子能収さんが、まるで本当に亡くなった奥さんと会話しているような光景がすごかったです。これはどのように発想されたのですか?
昔、『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京)という番組で、「整形して美しくなった女性がモニターの中の整形前の自分と会話する」っていうネタを担当しまして、事前にセリフを収録しておいて「あなた、きれいになったわね」「あなたには苦労かけたわね」とか本人同士の会話劇が面白くて、『マスクマン!』でその仕組みを生かしました。
――亡くなった方のことについて相当調べて収録に臨んでいますよね。
入念なリサーチをして、想定台本を作って、裏の声の人に亡くなった方になりきってしゃべってもらいますが、無機質なアバターにだんだん魂が宿ってくるというか、蛭子さんの回では本当に夫婦の日常の会話に見えてきました。20年以上前の技術なので、アバターの動きが少しカクカクしてますけど、蛭子さんは生身の奥さんに話しかけるようで、すごく感情を揺さぶられる収録になりました。
――収録をしてみて、想像を超える展開が起きたという感じですか。
毎回ゲストの方がモニター相手の会話なのに感情があらわになるのが驚きでした。当時公表してませんでしたが、裏の声を務めてたのは浅草キッドさんとくりぃむしちゅーさん(当時・海砂利水魚)です。モニター越しの掛け合いでリアルな感情を引き出すには相当の話術がないと成立しないと思うので、最強の2組がそろったのが大きかったですね
――現在は技術も進化してアバターがもっとリアルになるでしょうし、『神回だけ見せます!』で2度も紹介されていますし、もう1回番組としてできないかと期待してしまいます。
僕もそう思って、番組終了してからも毎年タイトルを変えて企画を出し続けてるんですが、なかなか通らないんです。『¥マネーの虎』のように、海外に売り込んだときもあるんですが、宗教的な考えで、亡くなった方をそのように扱うのは冒涜だって、ものすごい怒られて(笑)
――「AI美空ひばり」的なものはNGなんですね。
そうなんです。「死者を蘇らせるなんてとんでもない」と言われまして。ただ、他界した人じゃなくても、このシステムを使って「現在と過去と未来」の本人がモーションキャプチャーで会話させることも可能なので、形を変えてまたどこかで復活させたいと思ってます。
●『おしゃれカンケイ』伝説サッチー回で仕掛けていたこと
テリー伊藤
――これまで様々な制作者とお仕事をされてきたと思いますが、特に印象的な方を挙げるとどなたになりますか?
やっぱりテリー伊藤さんですね。ロコモーションで過ごした時間は3年と長くはありませんが、『浅草橋ヤング洋品店』の会議で、「ヒッピーをヤッピーにする」っていう企画を伊藤さんが突然言い出したときは衝撃でした。ヒッピーとはホームレスの方で、一流のカリスマ美容師とトップスタイリストの手によって、ニューヨークのヤングビジネスマン、ヤッピーに変身させるという企画でして。僕その担当になったんですが、ロケ当日にADさんから電話かかってきて「すいません、予定してたヒッピーさんが公園からいなくなっちゃいました!」と焦ってて。それからはADがワンカップ大関を大量に用意して、朝まで一緒にずっと飲んで確保し、そのままロケに突入するっていうマニュアルが生まれたんですけど(笑)、あれは衝撃の企画でタイトルも秀逸だと思いました。
もう1人は、『おしゃれカンケイ』(日本テレビ)の演出兼プロデューサーだった高木章雄さんです。「ミッチー・サッチー騒動」の渦中に野村沙知代さんをブッキングしたら、その回だけ1社提供のスポンサーさんが降りて、スポンサーなしのOAという前代未聞の事態になってしまったんです。そこで、収録台本を2パターン用意してと言われて、1つは通常の台本で、もう1つはある程度撮れ高が見込めたらサッチーをわざと怒らせて帰らせるというもの。収録の流れを見てどっちにするか判断するということだったんですけど、怒らせるパターンを選んで、古舘(伊知郎)さんもそのモードになって、サッチーが怒って帰っていったんです。でも、すぐ戻ってきて収録を再開したんですけど、トーク番組でそんなアグレッシブなことしていいんだと衝撃を受けて、とても勉強になりました。「アバン(=オープニング映像)で使うためにサッチーが帰る強い画」を絶対撮りたかったんだと思いますけど、そのスピリッツがすごいと思いましたね。
――これまで堀江さんが手がけてきた企画を伺っていると、「真剣勝負」や「ガチ」というキーワードが浮かびます。
何か圧がかかって、演者さんの表情が変わっていく番組が好きなんです。追い込まれた状況で、設定されたバーを越えられるかみたいな企画ですね。越えたときのカタルシスが見たいだけなんですけど。
――現在のご担当で、そうしたアイデアが一番出せるのはどの番組ですか?
今のテレビは、圧迫面接みたいな番組はなかなか受け入れにくいものがあるので、担当してる番組では難しいですが、1つやりたい企画があって。簡単に言うとホスト版『¥マネーの虎』なんですけど、女性のお金で成功を収めたNo.1ホストたちが、貧困女子たちの不憫な話を聞いて、人生の奨励金として財布からお金を渡すという内容です。気前よく現金を渡すホストが売名とか偽善とか言われちゃったり、全然財布を開かないケチなホストがいたり、『¥マネーの虎』のような対峙(たいじ)した構造でいろんな感情が描けそうな気がします。これをMC・ローランドさんで(笑)
――現在は『世界一受けたい授業』(日本テレビ)、『プレバト!!』『日曜日の初耳学』(MBS)、『アイ・アム・冒険少年』(TBS)、『千鳥のクセスゴ!』(フジテレビ)と、地上波の人気番組を多数抱えていらっしゃいますが、配信のお仕事もされているのですか?
YouTubeで1つだけ新木優子さんの旅番組『あらきあるき〜jalan jalan〜』というのをやってます。『プレバト!!』と『初耳学』で一緒に仕事をしているMBSの水野(雅之)ディレクターから「新木さんのYouTubeやりませんか?」と言われて、僕はガストのCMで新木さんを猛烈に好きになって、「自称・日本一新木優子ファンの放送作家」なんですが、喜んで企画書を作りました。そして通ったんですが、基本的に旅番組で、ディレクターの皆さんは現場で新木さんと楽しそうなんですけど、作家は仕組みとタイトルを考えたら特にやることもなくて。呼ばれてもいないですけど、今度勝手に現場に行こうかと思ってます(笑)
○■「通りそうな企画」より「ギリギリ通らなそうな企画」
――テレビを中心にお仕事をされる中で、最近は「オワコン」と言われることもありますが、その役割はどう見ていますか?
僕自身もそんなにテレビを真剣に見てるかと言われるとそうでもなくて、配信で韓国ドラマばかり見てますが、リアルタイムだとよほど見なきゃいけない動機がないと付き合ってもらえない気がします。でも僕の考えが甘いのかもしれませんが、そんなに危機感もなくて、OAは見ずともTikTokとかで番組の切り取った映像に触れる人もいるので、愚直に面白い番組を作るしかないですかね。
――今後こういう番組を作っていきたいというものはありますか?
僕、20代とか30代のときに考えた企画を全部保存してあるんですけど、それを読み返してみると、今なら行けそうだなというのがあります。当時は荒くて成立してなかった企画も、年取って知恵がついた今の自分なら形にできそうで、それを改めて通せないかなと思って、日々考えていたりします。
――先ほどの『マスクマン!』も、まさにその話ですね。
僕は「通りそうな企画」より「ギリギリ通らなそうな企画」「成立してるかやってみないと分からない」っていうものばかり考えてるので、基本あまり企画が通りません(笑)。でも、これからもしつこく出し続けたいと思います
――『¥マネーの虎』を通してくれた土屋さんのような方といかに出会えるかというのも、大事なんですね。
そうですね。そーたにさんもおっしゃってましたけど、企画を選んでくださる方との縁も大きいと思います。
――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何でしょうか?
テリーさんの番組で『とんねるずの仁義なき花の芸能界全部乗っ取らせていただきます』(日本テレビ)っていうのがあったんですけど、その中のドッキリが史上最高傑作だと思ってるんです。海辺の崖の上に番組が作ったコテージがあって、そこに落語家の鈴々舎馬風師匠がいて、ものすごい怖い顔の噺家さんなんですけど、外に30人ぐらいのボディビルダーが現れて、コテージを担いで斜めにすると、中にワックスがこぼれてヌルヌルになって、そのまま馬風師匠が海に落ちるっていう(笑)。ボディビルダーの正しい使い方を知ったのと、ドッキリのターゲットはコワモテであるほど面白いということを学びました。
それと『お笑いウルトラクイズ』は、僕が学生時代一番やりたいと思っていた番組です。ヘリコプターから縄ハシゴがぶら下がってて、そこに早押しボタンがあって林家ペーさんがそれをつかむと、そのままヘリが上昇してはるか遠くに飛んでいっちゃう(笑)。ただそれだけなんですけど、テレビってこんなスペクタクルなことをしていいんだと思って、すごい可能性を感じました。
――その番組に作家として入れたのはうれしいですよね。
番組のエンドロールの「構成」に、初めて出たのが『お笑いウルトラクイズ』だったんですけど、スージー・クアトロの「ワイルド・ワン」のエンド曲とともに自分の名前が流れたときは、本当にうれしくて泣きそうになりました。その頃の初心を忘れないようにしたいです。
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”を伺いたいのですが…
ディレクターの椎葉宏治です。『リンカーン』(TBS)の総合演出を務めていた男で、最初は『ねる様の踏み絵』(同)のADの頃に知り合いましたが、そこから一番長く付き合っているディレクターですね。最近は東野(幸治)さんと登山ばっかりして、今や完全に冒険家ディレクターなんですけど、この先どこに向かっていくのかを聞きたいです。
次回の“テレビ屋”は…
『PEAK HUNT 東野登山隊』ディレクター・椎葉宏治氏
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、放送作家の堀江利幸氏だ。
『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系、毎週木曜20:00〜)の長寿看板コーナー「ゴチになります!」や、世界45カ国でリメイクされる『¥マネーの虎』などを考案した堀江氏。“真剣勝負”や“ガチ感”が人気の背景にあるこれらの大ヒットコンテンツは、「追い込まれた状況で、設定されたバーを越えたときのカタルシスが見たい」という発想から生まれたと語る――。
○■幸運が重なって憧れのたけしの番組に
――当連載に前回登場した放送作家の桝本壮志さんが、堀江さんについて、「『ぐるナイ』で堀江さんが『ゴチ』のスタッフに指名してくださらなかったら、僕の放送作家として今はないです。企画の着想も発想法も、あの頃からずっと堀江さんに影響されています。当時から毎週ご飯を一緒にしてくれて、今も誘ってくれる堀江さんをお慕いしています」と言っていました。
そう言ってもらえると、すごくうれしいですね。
――「ゴチ」で桝本さんを指名された決め手は何だったのですか?
当時、「ゴチ」班の作家は僕だけだったので、サポートしてくれる人が欲しかったのと、違う角度の意見があったほうが厚みが出るかなと思ったんです。桝本が番組に加わって最初に出した企画が、会議で演出にちょっと否定されたんですね。でも、僕はその企画が全然成立してると思って、それをひと言伝えたくて、飲みに誘ったんですよ。そしたら、お互い野球が好きで、放送作家のダンカンさんの本がバイブルだったり、誘って正解でした。感覚が近くて、すごくやりやすかったんですよね。
――どんなところが近かったのですか?
ネタの出どころがわからないというか、ネットの情報とかから安易に考えてないというか。あえて時代と逆行してたり、隙間を突いたりする発想が、ちょっと似てるのかなと思いました。
――堀江さんはどのようにして放送作家になられたのですか?
中学生のときにビートたけしさんの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)に夢中になり、たけしさんに憧れると同時に、その傍らにいる高田文夫さんの存在が気になって、放送作家という職業の人がラジオやテレビを仕掛けてるんだということを認識しました。たけしさんに近づくには放送作家になるしかないと強く思い始めて、僕は出身が群馬で、親に「放送作家になりたい」なんて言い出せなかったものですから、とりあえず東京の大学に行って、その4年間で何とかテレビ業界に潜り込めないかと思って東京に出ました。
そしたら大学3年の夏に、『オールナイトニッポン』で「最後のたけし軍団オーディション」というのがあり、もちろん芸人さんの募集だったんですけど、放送作家としてダンカンさんの弟子になりたいと履歴書を送ったところ、なぜか書類審査に通りまして。有楽町のニッポン放送で軍団さんによるグループ面接があり、他の応募者は「じゃあ陰毛燃やしまーす」とかアピールしてましたけど、僕は何もないので「すいません、作家志望でして。場違いで申し訳ありません」ってただ謝ってました。結局落ちたんですけど、不思議なことに終わった後ダンカンさんが「飯行こうぜ」って誘ってくださいまして、表参道の焼肉屋に連れて行ってもらいました。
――優しいですね!
そこでダンカンさんにいろんなお話をしていただきましたが、最後に「今日なんで誘ったかというと、たけしさんに『1人作家志望がいるから面倒見てやれよ』って言われたんだよ」って伝えられて、もう感激して泣きそうになりました。ただ結局は「放送作家は難しい仕事だから、大学卒業してちゃんと就職したほうがいい」と断られましたが、たけしさんのありがたいお言葉と、ダンカンさんに親身になって話していただいたことで絶対に放送作家になるという思いが固まりました。
ビートたけし(左)とダンカン
その半年後、フジテレビで『北野ファンクラブ』というたけしさんの番組が始まって、コーナーの企画募集があったんです。そこにいくつか考えて応募したら、制作会社のイーストの方から「1回収録見学してみる?」と電話がありまして、当時河田町にあったフジテレビのスタジオを初めて見学させていただきましたが、そこで構成作家のそーたにさんと、おちまさとさんを紹介していただきました。おちさんは僕の企画を覚えてくださってて、「ディテールがいいよ、そういうの大事だから」と言ってくれて、プロの方に初めて褒めてもらえたのがうれかったですね。
――どんな企画を送ったのですか?
しょーもないネタですが、飲み屋に入ってきて歌う「流し」って職業あるじゃないですか。その全裸版で、ギターで股間を隠して入ってくる『全裸流し』というだけなんですけど、そんなイラストに吹き出しで、渥美二郎さんの「夢追い酒」の一節を添えて出したんですね。渥美二郎さんというのは流し出身の歌手なんですけど、その細かい部分をおちさんに褒められました(笑)
そーたにさんには、「本気で作家やりたいんだったらここに連絡して」と、ロコモーション(=テリー伊藤が設立した放送作家事務所)の名刺を頂きまして。当時携帯電話はなかったので自宅の電話番号を書いてくださって、2〜3日真剣に考えて、勇気を出して電話したんですけど、「お前なんでこの番号知ってんだ?」って(笑)
――そんなに日にちも経ってないのに(笑)
「収録現場でお名刺を頂きまして…」と言ったら、「あそう。じゃあ伊藤さん紹介してやるよ」と。麹町の日本テレビで伊藤さんを紹介していただき、ロコモーションに入って『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』のスタッフになれました。僕は『北野ファンクラブ』をやりたかったんですけど、そーたにさんが「マニアックな深夜番組から始めずに、まずは王道を学んだほうがいい」と。
――でも、見事狙い通りにたけしさんに近づけたわけですね。
本当にラッキーにラッキーが重なった感じですね。
○■張り付けられた上島竜兵さんが湖で大爆破
――当時の『元気が出るテレビ』は、超人気番組ですよね。
僕が入ったときは第2回「ダンス甲子園」で一番盛り上がってる頃でした。最初は先輩の作家さんたちの会議用の企画をコピーするのから始まったんですけど、初日にそーたにさんから、IVS(IVSテレビ制作=『元気が出るテレビ』の制作会社)のデスクを借りて紙を渡されて「今から2時間やるから、企画100個考えろ」って言われました。でも、知らない場所で緊張しすぎて面白いことが何も浮かばなくて。2時間経ったらそーたにさんが帰ってきたんですけど、7個しか書けてなくて「もっと数書かなきゃダメだ」って叱られました。ただ、その中の「川合俊一のアタックをどんな手を使ってもいいから止めよう」ってネタで、一瞬そーたにさんがニヤっとしたのがうれしかったのを覚えています。わけ分かんない企画ですが。
――最初に通った企画は、どんなものだったのですか?
『元気が出るテレビ』と同時に、『(ビートたけしの)お笑いウルトラクイズ!!』にも入れていただいて、そっちの採用のほうが早かったんです。富士五湖の湖でボートの舳先に上島竜兵さんを張り付けて湖上を爆走して、最後はハリボテの客船に突っ込んで大爆破するっていうネタでした(笑)
――時代ですね(笑)。やはりレギュラーの『元気が出るテレビ』は、基礎を学んだ場でしたか?
入って1カ月後ぐらいに、初めてロケ台本を振られました。でもどう書いていいのか分からず、原稿を前にしてボーッとしてたら、おちさんが近づいてきて「自分がディレクターで撮るつもりで書けばいいんだよ」と言われまして。作家もディレクターと同じくらい現場や演者さんのことを細かく考えろってことかなぁと解釈して「分かりました」って返事しましたけど、やっぱり台本書けませんでした(笑)。僕はそのとき22歳で、おちさんは25歳で、おちさんはもうすでに完成している放送作家という印象でした。他にも、そーたにさんや都築浩さんらロコモーションには優秀な方がそろっていて、僕はとても追いつけそうもなく不安な気持ちしかなかったです。
――そこから「放送作家でやっていける」と自信になったのは、どんな企画だったのでしょうか?
ロコモーションには3年間在籍し、そのあとフリーになったんですけど、「これからは失敗はすべて自分のせい、自分で責任を負うしかない」と開き直れました。新しい環境でプレッシャーもなく自由に企画を考えてるうちに、「ゴチになります!」とか企画が通りはじめ、少し光が差し込んできた気がしました。
●女優が自腹に激怒…「あの番組、ガチだぞ」
――『ぐるナイ』にはどのような経緯で参加されたのですか?
桜田(和之、現・静岡第一テレビ会長)さんに誘っていただきました。『お笑いウルトラクイズ』のプロデューサーもされてて、ロケ現場でトラメガ持って芸人さんたちを誘導されてたのが桜田さんで、毎回現場でご挨拶すると「君、いつも来てるよね」って優しく接してさって。その後、僕がフリーになったときに、ゴールデンの番組を2本紹介していただきました。1本は『バラ珍(嗚呼!バラ色の珍生!!)』で、もう1本が夕方からゴールデンに昇格した『ぐるナイ』です。全然レギュラーがなかったときに急に2本もお仕事をくださり、ものすごく助かりました。
――そこで「ゴチ」を考案されたわけですが、どのように企画したのですか?
番組の状況としてはゴールデンに上がって1年ぐらい経って、ちょっと視聴率が不安定な時期で。当時は金曜19時だったので、何か料理モノのコーナーがあったほうがいいと思い、ちょうどとんねるずさんの「食わず嫌い王決定戦」(フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげです』)が大ヒットしてて、ゲストと何か食べながらゲームをするみたいなのをぼんやりと考えてました。
ゲームといえば子どもの頃、『目方でドン』(日本テレビ)という番組が大好きで。簡単にいうと、自分の奥さんを巨大な天秤の片方に乗せて、もう片方に奥さんの体重に近づくよう家電製品をいろいろ運んできて、最後天秤が吊り合ったら全部もらえるという、シンプルかつダイナミックなゲーム番組だったんです。僕も挑戦者が持った家電をお茶の間で一緒に予想してて「ラジカセ 1kg」とかメモに書きながら観てたんですが、これを「値段の分からない料理」に置き換えたら成立するなと思ったんですよ。
『目方でドン』は、最後に巨大な天秤が釣り合うか傾くかっていう絶対見たくなる落とし込みがあって、「ゴチ」も最後に何か荒っぽい画が欲しいなと思って。食事の流れだから最後はお会計なので、一番予想が遠い人が全員分を払う、しかも本当に自分の財布からガチで払うというのが、刺激があっていいのではと思い、会議に企画を出しました。
――もう現在の完成形ですね。
ただ、1人のディレクターから「それって払った体(てい)でいいんだろ?」って意見が出て、「いや、体じゃ面白くないですし、ガチで払うからリアルな表情が撮れるんですよ」って主張したんですけど、「本当に払わせたら、ゲストは誰も出ないよ」と言われまして。会議もネガティブな空気に包まれたんですけど、後日ナイナイさんにプレゼンしたら、「そこは演技できない」「実際に払わないとリアクションできない」って話になり、ガチの自腹で行くことになりました。
――最後の結果発表は、本当に皆さんリアルな表情ですもんね。
いまだに「本当に払ってんの?」って聞かれますけど、初期の頃にある女優さんが負けて、財布から払って「はいOKです」って収録が終わったんですけど、「え? お金返してよ」ってプロデューサーが詰め寄られて。「すいません、これガチなんですよ」って説明したら、カンカンに怒っちゃって(笑)。逆にこれが広まって、演者さんの間で「あの番組、ガチだぞ」ってリアリティーが高まって、良い効果を生みました。
「ゴチになります!24」(左から 羽鳥慎一、増田貴久、宮野真守、矢部浩之、岡村隆史、小芝風花、盛山晋太郎) (C)NTV
○■生々しいリアルファイトじゃないと『めちゃイケ』に勝てないと思った
――この“ガチ感”が、「ゴチ」を人気コンテンツに押し上げたんですね。
ナイナイさんの番組をやってると、どうしても『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!))』(フジテレビ)を意識していて、こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないですけど、『ぐるナイ』は緻密に作り込まれた『めちゃイケ』に一生勝てないと思ってました。『めちゃイケ』が極上のプロレスショーだったら、『ぐるナイ』は生々しいリアルファイトじゃないと、とても追いつけない。だからガチな自腹にこだわって良かったと思います。
――『めちゃイケ』は終了して『とぶくすり』からのトータルで25年。『ぐるナイ』は4月で30年目に突入して、放送期間も抜きました。
「ゴチ」がスタートして3年目ぐらいのときに、ちょっと自腹の刺激が薄れてきたと感じまして、何かもう1つさらなる“圧をかける”ことを考えなきゃと思ったんです。そこで、年間で一番支払った人がクビになるっていうルールを思いついて、1年間のペナントレースにして、最後に誰かが卒業するってシステムなら毎年その特番は見てもらえそう、と思って提案したんですけど、当時の総合演出に「ナイナイが負けたらどうするんだよ」って猛反対されまして。冠番組のMCがクビだなんて最高にくだらないって思いましたけど、さすがになので、ナイナイさんの場合はクビになったら1年間出場停止ということで落ち着きました。それから、毎年誰かが卒業して新しい人が入ることで、座組みに鮮度が生まれてます。
――もう1つ“ガチ感”が加わったんですね。
クビが決まる瞬間は、こちらも心が痛くなるくらい、つらい瞬間ですね。僕、中島健人さんが大好きなんですけど、生放送でケンティがクビになって号泣してる姿を見て、申し訳なくて心の中で謝りました。柳葉敏郎さんのときの涙もグッときました。でも、「仲間が去る」っていうバラエティ番組はあまりないので、これはこれで青春だと思っていただけたら。
――1年間で生まれるゴチメンバーの絆がすごいですよね。毎年、新メンバーの方を取材させていただくのですが、皆さん「収録がいつも楽しくてしょうがないです」とおっしゃるんです。
そこは、ナイナイさんがファミリー感を作る天才なんだと思います。カメラが回ってないところでもゴチメンバーと楽しくおしゃべりしてて、収録も長時間なので仲良くなって、普通の番組の収録より情が湧くのだと思います。
――長年にわたる中で、他にもブラッシュアップしている点はあるのですか?
毎年、ちょっとずつ何かを上乗せしていこうと意識してます。おみや代を払うとか、支払いのお金が足りない人は所持品を質屋に売るとか、最初は男性だけだったところに女性を加えようと思ってオセロの中島(知子)さんが入ったり、クビの発表を生放送にしたり、前の年にやってないことを1個足していこうという考えでやってきています。
――今年から、イケメン男性枠が俳優さん(高杉真宙)から声優さん(宮野真守)になりましたよね。正直、企画を考えたときに、これだけ長寿で国民的な人気コーナーになるというのは、想像されていましたか?
ここまで長く続くとは思いませんでしたけど、クビ制度を導入したことでゴチが“永久サイクル”になったらいいなという思いはありました。今回の声優の宮野真守さんとか、異ジャンルの魅力ある方を積極的にキャスティングしていただいてるプロデューサーの皆さんのご尽力のおかげです。それと、毎回ロケで最高の美食をご提供していただいてるお店の方々にも感謝しています。
――12月にクビになる人が決まって、1月に最低1年間のレギュラーメンバーになる旬の方をブッキングするのを毎年やるって、改めて考えるとすごいですよね。収録も長丁場の番組ですし。
クビ決定の収録には、以前は毎回立ち会ってましたが、深夜3時半くらいまでやってたときもありました。羽鳥(慎一)さんは当時『ズームイン!!SUPER』をやられていて、「ゴチ」の収録終わりでそのまま生放送に行ってましたから(笑)
●『¥マネーの虎』が世界的ヒットになった理由
『¥マネーの虎』の司会を務めていた吉田栄作
――堀江さんの代表的な企画といえば、『¥マネーの虎』(日本テレビ)もあります。これはどのように発案されたのですか?
僕、ずっと画面に札束がいっぱい映り込んでるドギツい番組を作りたかったんですけど、ある本を読んでたら、中国の華僑のシステムで、成功者が若い才能に出資するというくだりがあって。独立して店を持ちたいという若い料理人が、その腕前を見て「私は500万円出す」「こんな不味い料理に出資できない」みたいなやりとりがあって、これを志願者にまず設定金額を言わせて、その額に達するまでのプレゼンショーにしたら、テレビ的になるんじゃないかと思って企画書にしました。ただ、各局に持ち込んだんですけど、全然通らなくて。
――何がネガティブに反応されたのですか?
「お金のやり取りが考査に引っかかる」と言われて、どこも通らなかったんです。でも、しつこく6年ぐらい出し続けたら、当時日本テレビの企画統括だった土屋敏男さんが「これ面白そうじゃん」って通してくださったんです。でも、放送枠は土曜の深夜24時50分で、「1クールで世帯視聴率7%超えなかったら打ち切り」っていう条件が課せられました。当時深夜の7%って、ゴールデンで言ったら18〜20%くらいで、逆にその条件付きの枠っていうのも話題になって注目が集まったんです。
――対外的にも発表してたんですね。
「電波少年のT部長が条件を出して枠を与えた」という話題性も追い風になったのか、1カ月後に8.3%(ビデオリサーチ調べ・関東地区、世帯)とって、「これで続けられる」とホッとしました。そしたら、半年後に金曜20時にゴールデン進出という急展開で、正直、ゴールデンのソフトとしてはどうかなと不安でしたけど、案の定1年半で終わりました(笑)
――今でも記憶に残る個性的なキャラクターの方がどんどん生まれましたよね。結果として短期間で終了しましたが、今や日テレのフォーマット販売で海外に一番売れている大ヒット番組です。
TBSの『未来日記』が海外フォーマットで売れて、知り合いのディレクターが現地に演出のレクチャーで行ったんですけど、豪華なホテルが用意されて、海外のテレビマンに指導してきたって話を聞かされて、ものすごくうらやましく思えて。『¥マネーの虎』も絶対海外に売れるはずだと思って日本テレビに提案したら動いてくれて、この連載にも登場された清水星人さんが当時『¥マネーの虎』のディレクターだったんですけど、フランスのテレビ市に持っていったら「ものすごい反響だったよ」と。最初にイギリスの公共放送・BBCが買ってくれて、次に、アメリカ3大ネットワークのABCが続き、現在は世界45カ国とどんどん夢が広がっていきました。
――なぜ海外のほうがヒットしたのでしょうか?
海外の方のほうが、学校教育にもなってるくらいディベート文化が発達していて、視聴者も理詰めの細かい話に付き合ってくれる土壌があるような気がします。日本の場合は「マネー成立」の瞬間がピークですが、海外版はそこからさらに利益をどう分配するかなど、細々とした契約のやりとりでもう1回白熱するらしいです。
――独自の発展を遂げているんですね。
それとショーアップがケタ外れです、米国版を見ましたが、何億円もかけたセットで巨大な水槽に何匹ものサメが泳いでて、オープニングで水槽が2つに割れてMCが登場してました(笑)
――その話を聞いて、「ゴチ」も海外に通用するようなコンテンツじゃないかと思いました。
僕も知らなかったんですけど、日本テレビが同じくフランスのテレビ市に出展したらしいんです。でも、売れたというお話は聞いておりません。「ゴチ」のほうがどの国でも受けそうな気がするんですけど、分からないもんですね。
○■蛭子能収と“亡くなった妻”の会話「すごく感情を揺さぶられた」
――ほかにも、ご自身の中で手応えのあった企画を挙げると何でしょうか?
『¥マネーの虎』が深夜からゴールデンに移って、その空いた枠で『マスクマン!〜異人たちとの夏〜』という企画をやらせていただきました。ゲストの亡くなった奥さんや両親がCGやモーションキャプチャーを使ってアバターみたいな状態で蘇り、懐かしい出来事や伝えきれなかった想いを会話するという番組なんですが、これは大林宣彦監督の映画『異人たちとの夏』へのオマージュで、個人的には一番気に入ってる企画です。
――TVerで配信されている佐久間宣行さんと伊集院光さんの『神回だけ見せます!』で紹介されている番組ですよね。蛭子能収さんが、まるで本当に亡くなった奥さんと会話しているような光景がすごかったです。これはどのように発想されたのですか?
昔、『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京)という番組で、「整形して美しくなった女性がモニターの中の整形前の自分と会話する」っていうネタを担当しまして、事前にセリフを収録しておいて「あなた、きれいになったわね」「あなたには苦労かけたわね」とか本人同士の会話劇が面白くて、『マスクマン!』でその仕組みを生かしました。
――亡くなった方のことについて相当調べて収録に臨んでいますよね。
入念なリサーチをして、想定台本を作って、裏の声の人に亡くなった方になりきってしゃべってもらいますが、無機質なアバターにだんだん魂が宿ってくるというか、蛭子さんの回では本当に夫婦の日常の会話に見えてきました。20年以上前の技術なので、アバターの動きが少しカクカクしてますけど、蛭子さんは生身の奥さんに話しかけるようで、すごく感情を揺さぶられる収録になりました。
――収録をしてみて、想像を超える展開が起きたという感じですか。
毎回ゲストの方がモニター相手の会話なのに感情があらわになるのが驚きでした。当時公表してませんでしたが、裏の声を務めてたのは浅草キッドさんとくりぃむしちゅーさん(当時・海砂利水魚)です。モニター越しの掛け合いでリアルな感情を引き出すには相当の話術がないと成立しないと思うので、最強の2組がそろったのが大きかったですね
――現在は技術も進化してアバターがもっとリアルになるでしょうし、『神回だけ見せます!』で2度も紹介されていますし、もう1回番組としてできないかと期待してしまいます。
僕もそう思って、番組終了してからも毎年タイトルを変えて企画を出し続けてるんですが、なかなか通らないんです。『¥マネーの虎』のように、海外に売り込んだときもあるんですが、宗教的な考えで、亡くなった方をそのように扱うのは冒涜だって、ものすごい怒られて(笑)
――「AI美空ひばり」的なものはNGなんですね。
そうなんです。「死者を蘇らせるなんてとんでもない」と言われまして。ただ、他界した人じゃなくても、このシステムを使って「現在と過去と未来」の本人がモーションキャプチャーで会話させることも可能なので、形を変えてまたどこかで復活させたいと思ってます。
●『おしゃれカンケイ』伝説サッチー回で仕掛けていたこと
テリー伊藤
――これまで様々な制作者とお仕事をされてきたと思いますが、特に印象的な方を挙げるとどなたになりますか?
やっぱりテリー伊藤さんですね。ロコモーションで過ごした時間は3年と長くはありませんが、『浅草橋ヤング洋品店』の会議で、「ヒッピーをヤッピーにする」っていう企画を伊藤さんが突然言い出したときは衝撃でした。ヒッピーとはホームレスの方で、一流のカリスマ美容師とトップスタイリストの手によって、ニューヨークのヤングビジネスマン、ヤッピーに変身させるという企画でして。僕その担当になったんですが、ロケ当日にADさんから電話かかってきて「すいません、予定してたヒッピーさんが公園からいなくなっちゃいました!」と焦ってて。それからはADがワンカップ大関を大量に用意して、朝まで一緒にずっと飲んで確保し、そのままロケに突入するっていうマニュアルが生まれたんですけど(笑)、あれは衝撃の企画でタイトルも秀逸だと思いました。
もう1人は、『おしゃれカンケイ』(日本テレビ)の演出兼プロデューサーだった高木章雄さんです。「ミッチー・サッチー騒動」の渦中に野村沙知代さんをブッキングしたら、その回だけ1社提供のスポンサーさんが降りて、スポンサーなしのOAという前代未聞の事態になってしまったんです。そこで、収録台本を2パターン用意してと言われて、1つは通常の台本で、もう1つはある程度撮れ高が見込めたらサッチーをわざと怒らせて帰らせるというもの。収録の流れを見てどっちにするか判断するということだったんですけど、怒らせるパターンを選んで、古舘(伊知郎)さんもそのモードになって、サッチーが怒って帰っていったんです。でも、すぐ戻ってきて収録を再開したんですけど、トーク番組でそんなアグレッシブなことしていいんだと衝撃を受けて、とても勉強になりました。「アバン(=オープニング映像)で使うためにサッチーが帰る強い画」を絶対撮りたかったんだと思いますけど、そのスピリッツがすごいと思いましたね。
――これまで堀江さんが手がけてきた企画を伺っていると、「真剣勝負」や「ガチ」というキーワードが浮かびます。
何か圧がかかって、演者さんの表情が変わっていく番組が好きなんです。追い込まれた状況で、設定されたバーを越えられるかみたいな企画ですね。越えたときのカタルシスが見たいだけなんですけど。
――現在のご担当で、そうしたアイデアが一番出せるのはどの番組ですか?
今のテレビは、圧迫面接みたいな番組はなかなか受け入れにくいものがあるので、担当してる番組では難しいですが、1つやりたい企画があって。簡単に言うとホスト版『¥マネーの虎』なんですけど、女性のお金で成功を収めたNo.1ホストたちが、貧困女子たちの不憫な話を聞いて、人生の奨励金として財布からお金を渡すという内容です。気前よく現金を渡すホストが売名とか偽善とか言われちゃったり、全然財布を開かないケチなホストがいたり、『¥マネーの虎』のような対峙(たいじ)した構造でいろんな感情が描けそうな気がします。これをMC・ローランドさんで(笑)
――現在は『世界一受けたい授業』(日本テレビ)、『プレバト!!』『日曜日の初耳学』(MBS)、『アイ・アム・冒険少年』(TBS)、『千鳥のクセスゴ!』(フジテレビ)と、地上波の人気番組を多数抱えていらっしゃいますが、配信のお仕事もされているのですか?
YouTubeで1つだけ新木優子さんの旅番組『あらきあるき〜jalan jalan〜』というのをやってます。『プレバト!!』と『初耳学』で一緒に仕事をしているMBSの水野(雅之)ディレクターから「新木さんのYouTubeやりませんか?」と言われて、僕はガストのCMで新木さんを猛烈に好きになって、「自称・日本一新木優子ファンの放送作家」なんですが、喜んで企画書を作りました。そして通ったんですが、基本的に旅番組で、ディレクターの皆さんは現場で新木さんと楽しそうなんですけど、作家は仕組みとタイトルを考えたら特にやることもなくて。呼ばれてもいないですけど、今度勝手に現場に行こうかと思ってます(笑)
○■「通りそうな企画」より「ギリギリ通らなそうな企画」
――テレビを中心にお仕事をされる中で、最近は「オワコン」と言われることもありますが、その役割はどう見ていますか?
僕自身もそんなにテレビを真剣に見てるかと言われるとそうでもなくて、配信で韓国ドラマばかり見てますが、リアルタイムだとよほど見なきゃいけない動機がないと付き合ってもらえない気がします。でも僕の考えが甘いのかもしれませんが、そんなに危機感もなくて、OAは見ずともTikTokとかで番組の切り取った映像に触れる人もいるので、愚直に面白い番組を作るしかないですかね。
――今後こういう番組を作っていきたいというものはありますか?
僕、20代とか30代のときに考えた企画を全部保存してあるんですけど、それを読み返してみると、今なら行けそうだなというのがあります。当時は荒くて成立してなかった企画も、年取って知恵がついた今の自分なら形にできそうで、それを改めて通せないかなと思って、日々考えていたりします。
――先ほどの『マスクマン!』も、まさにその話ですね。
僕は「通りそうな企画」より「ギリギリ通らなそうな企画」「成立してるかやってみないと分からない」っていうものばかり考えてるので、基本あまり企画が通りません(笑)。でも、これからもしつこく出し続けたいと思います
――『¥マネーの虎』を通してくれた土屋さんのような方といかに出会えるかというのも、大事なんですね。
そうですね。そーたにさんもおっしゃってましたけど、企画を選んでくださる方との縁も大きいと思います。
――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何でしょうか?
テリーさんの番組で『とんねるずの仁義なき花の芸能界全部乗っ取らせていただきます』(日本テレビ)っていうのがあったんですけど、その中のドッキリが史上最高傑作だと思ってるんです。海辺の崖の上に番組が作ったコテージがあって、そこに落語家の鈴々舎馬風師匠がいて、ものすごい怖い顔の噺家さんなんですけど、外に30人ぐらいのボディビルダーが現れて、コテージを担いで斜めにすると、中にワックスがこぼれてヌルヌルになって、そのまま馬風師匠が海に落ちるっていう(笑)。ボディビルダーの正しい使い方を知ったのと、ドッキリのターゲットはコワモテであるほど面白いということを学びました。
それと『お笑いウルトラクイズ』は、僕が学生時代一番やりたいと思っていた番組です。ヘリコプターから縄ハシゴがぶら下がってて、そこに早押しボタンがあって林家ペーさんがそれをつかむと、そのままヘリが上昇してはるか遠くに飛んでいっちゃう(笑)。ただそれだけなんですけど、テレビってこんなスペクタクルなことをしていいんだと思って、すごい可能性を感じました。
――その番組に作家として入れたのはうれしいですよね。
番組のエンドロールの「構成」に、初めて出たのが『お笑いウルトラクイズ』だったんですけど、スージー・クアトロの「ワイルド・ワン」のエンド曲とともに自分の名前が流れたときは、本当にうれしくて泣きそうになりました。その頃の初心を忘れないようにしたいです。
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”を伺いたいのですが…
ディレクターの椎葉宏治です。『リンカーン』(TBS)の総合演出を務めていた男で、最初は『ねる様の踏み絵』(同)のADの頃に知り合いましたが、そこから一番長く付き合っているディレクターですね。最近は東野(幸治)さんと登山ばっかりして、今や完全に冒険家ディレクターなんですけど、この先どこに向かっていくのかを聞きたいです。
次回の“テレビ屋”は…
『PEAK HUNT 東野登山隊』ディレクター・椎葉宏治氏