新ビジネスを生み出す!〜京セラ式「ものづくり革命」:読んで分かる「カンブリア宮殿」

写真拡大 (全12枚)


あらゆる悩みを技術で解決〜ファインセラミックスを源に売り上げ2兆円


創業100年を超える京都市の老舗料亭「菊乃井本店」。三代目主人の村田吉弘さんは和食文化を守りながら革新的な味を追求する料理人だ。例えば伝統的な京懐石の一品「百合根まんじゅう」。村田さんはフォアグラの餡にトリュフを添えて仕上げた。こうした料理が評価され、14年連続でミシュラン三つ星を獲得している。

村田さんには道具に関する悩みがあった。この日は、その問題を解決する試作品が届けられた。セラミックスを材料とするステーキナイフだ。

「デザインはすばらしい。握り心地も重量感も非常にいい」(村田さん)

村田さんは外国人向けのコース料理に、和牛のステーキを組み込もうと検討していた。だが従来のステンレス製のナイフではスパッと切れず、肉汁が出てしまう。試作したセラミック製ナイフなら一発で切れた。この切れ味ならいけると、村田さんは満足そうだ。

「他もセラミックナイフを作っているけど、技術的に一番進んでいるのは京セラでしょう」(村田さん)


悩み事を解決する技術屋集団、京セラの活躍は新潟市の水族館「マリンピア日本海」でも見られた。その悩みを解決した技術はバックヤードの中にあった。水槽を真上から煌々と照らしていたライトを開発したのが京セラ。さまざまな光を再現できるLED照明だ。

「水族館では海を切り取ったように見せたいので、魚の色の見え方も重要です」(学芸員・新田誠さん)

他社の水族館用LEDに比べて京セラ製のほうが、魚が持つ本来の色を美しく再現できる。しかも、実は従来の水族館用のLEDではサンゴが育ちにくかった。その悩みを受け、京セラが開発したのがこのライト。海中の太陽光に近い光を作りだしプランクトンの光合成を活性化。これがサンゴの餌となり、スクスク育つようになったのだ。

「驚いています。導入前に比べてサンゴが隙間なく成長している」(新田さん)

さまざまな業界の問題を技術力で解決し、売り上げを2兆円近くまで伸ばした京セラ。実は身近なところでもたくさん使われている。


例えば車のヘッドライトのLED。国内メーカーの90%が京セラの部品を使っている。レジのレシートを印刷する感熱式の部品は世界シェア46%。デジタルカメラのイメージセンサーの基板は世界シェアで5割を超える。

これらに共通して使われているのがファインセラミックスという素材だ。ファインセラミックスとは粉末にしたアルミニウムなどの鉱物を調合し、1000度以上の高温で焼き上げた、いわゆる焼き物。材料の配合などによって、電気を通さないようにしたり、耐熱性を持たすこともできる。これが京セラの強さの源だ。


その実力は東京・江東区の「東京ビッグサイト」の展示会でも明らかに。京セラのブースには半導体製造装置の部品が並んでおり、来場者の目は、釘付けだ。一瞬で食いついた4人組は、韓国から来たサムスン電子の技術者たち。「京セラは技術のアレンジにも熱心で、ちゃんと供給してくれるすごいメーカー」と言う。

半導体などの京セラの部品は、最終性能に直結する。だから各メーカーは信頼の高い京セラを選ぶという。

「セラミックの製品で同じものを100枚作るのは難しいが、数値で品質を保証してくれるのはおそらく京セラだけ」(半導体製造装置メーカー勤務)

稲盛イズムを進化させる〜元エンジニア社長の就任


京セラの創業者・稲盛和夫は2006年、カンブリア宮殿に登場。その席で京セラの社員が守るべき理念「京セラ フィロソフィ」を紹介してくれた。手帳にまとめられていたのは、自分を犠牲にしても他人を思いやる「利他の心」など、稲盛がたどり着いた境地とも言える言葉の数々だ。


稲盛は「中小零細企業として始めたので、当時は技術がそれほど優れていたわけでもなく、もちろん資金もなかったので、頼るものは人の心だと思ったんです」と語っている。

そんな稲盛が最初に生み出したのが、ブラウン管テレビの絶縁部品「U字ケルシマ」。これを日本で初めてファインセラミックスで作った。

従業員28人の小さな町工場だった京セラはファインセラミックスを使い、さまざまな製品を生み出していく。そして事業の多角化も進め、大企業となったのだ。

その急成長を支えたのが、稲盛が生み出した「アメーバ経営」と呼ばれる経営術だ。まず社員を10人ほどのグループに分ける。これが一つのアメーバで、それぞれが独立採算で活動していく仕組みだ。

例えば「製造担当」のアメーバなら、「原料担当」から仕入れ、部品を作って、「焼き上げ担当」に販売する。それぞれのアメーバはコストを抑え、生産効率を上げ、少しでも利益を増やすことを目指す。

稲盛はこんなやり方で、社員全員に経営者の意識を持たせようとした。人づくりのフィロソフィとアメーバ経営を活用し、稲盛は京セラ以外の企業も育てていく。

「日本の通信料は高すぎる」と設立したのが第二電電。それから40年近くが経ち、その会社は5兆円を売り上げるKDDIに成長した。

2010年には2兆円以上の負債を抱えて経営破綻したJALの再生に挑む。誰もやりたがらない難題だったが、当時78歳の稲盛は無報酬で会長を引き受けた。社員一人一人がコスト意識を持つアメーバ経営が威力を発揮し、JALは2年8カ月で再上場。「経営の神様」たる手腕だった。


稲盛は去年、亡くなったが、京セラからその存在感が消えることはない。京都市の本社には、名誉会長時代に使っていた部屋が残っていた。その一角には、稲盛の愛した「敬天愛人」という文字が。自分を律することの大切さを説いた言葉だ。

「『ど真剣に取り組む』とよく言われていましたが、本当に『ど真剣』に何事もやっていた。尊敬すると同時に『雲の上の人』という感じが今でもあります」と、最大限のリスペクトを表すのが稲盛イズムの継承者、社長・谷本秀夫(63)だ。

谷本は稲盛と同じセラミック畑を歩んできた元エンジニア。経歴を見てみれば、30年近く工場勤務のまさに叩き上げだ。この日は滋賀・東近江市の滋賀蒲生工場の若手と飲み会。谷本は全国の工場でこうした会を開いている。社長自らお酌をする気さくな姿も見られた。

谷本は引き継ぎ時に1兆5000億円だった売り上げを6年で2兆円規模まで引き上げた。さらに今後6年で売り上げ3兆円と言う目標もぶち上げた。

「もう一度、『成長する企業』を取り戻す。文化で言えば、チャレンジ精神を取り戻す。元気な会社にすることが僕の仕事だと思います」(谷本)

「世の中にない」に挑め〜稲盛式ものづくりの極意


鹿児島・霧島市にある、きりしまR&Dセンター。京セラにはテレビカメラが入ったことのない秘密の部屋がある。その中で厳重に保管されているのは、ある資料。

例えば半導体用に開発された、電気を通さないセラミックスの極秘レシピ。こんなレシピが50万通り以上あると言う。しかも残っているのは、成功した時のものだけではない。

「ほとんどの研究開発は成功しない。100回試して1回成功すればいいぐらい。逆に何回失敗するかが重要で、失敗の記録は宝物じゃないかなと思います」(研究開発本部・稲垣正祥)

失敗こそ重要。ここに京セラという企業の本質があると言う。

「世の中の誰もやっていないことをやるのはめちゃくちゃ楽しいんです。稲盛は『誰もやっていないことをやるのが京セラの宿命』と言っていました」(稲垣)

谷本も技術者として、誰もやっていないことに挑んできた。入社は1982年。セラミック工場に配属された。そして29歳の時にあるプロジェクトのリーダーを任される。

当時、鹿児島の工場でセラミックスの基板を作っていたが、不良品が多く赤字を垂れ流していた。谷本は製造ラインの改善を命じられたのだが、これが茨の道だった。

「言われた時はプレッシャーがありました、大変だなという」(谷本)

どうやって生産効率を上げるか。谷本が目をつけたのは、焼き上げの工程だった。セラミックスの部品は、焼くだけで30時間以上かかってしまう。稲盛が生み出したやり方だが、ここを変えなければ赤字は解消できない。

谷本は新しい製造ラインの開発に取り掛かる。しかし、このプロジェクトが難航した。材料の配合を見直したが、うまく固まらない。新しい炉も作ったが、1600度まで上げた熱さに耐えられず、中のローラーが壊れてしまったこともあった。

試行錯誤を3年続け、ついに谷本は新しい製造ラインを完成させた。

「本当に苦労してやっと乗り越えた。うれしかったですね」(谷本)

以前30時間かかっていた焼き上げ工程が3時間となり、不良品率も改善した。

 

アメーバ経営を進化させる〜ものづくり革命の全貌


2017年、谷本は当時の売り上げ1兆5000億円という京セラの社長に就任。停滞していた京セラを新しいものを生み出す組織に変えるべく、動き出した。

「今からの時代は単一の技術だけで新しい事業を立ち上げるのは難しい。年齢の壁、組織の壁など、いろいろな壁を壊していこうと」(谷本)

谷本が目指すのは、それぞれのアメーバが持っている技術を集め、進化したアメーバを作ることだった。

谷本の大号令を受け、部署を横断した新規プロジェクトも動き出した。そのまとめ役が経営推進本部・茺野太洋。社内に眠っている技術のどれとどれを合わせるのか。メンバーは誰が適任か。世の中になかったものを生み出すべく、動いている。

「今、これから事業化していく候補もだいぶ数が揃ってきました」(茺野)

事業化目前まできた製品は、真っ黒な大きな機械だった。開発するために茺野が集めたメンバーは、コピー機を設計していたエンジニア、インクのスペシャリスト、さらにそのインクを飛ばすセラミック部品の開発エンジニアなど、全員がエースクラス。そんなチームで作ったのがアパレル業界に革命を起こす機械だった。

「ちょっとおこがましいかもしれませんが、サプライチェーンを変えるぐらいの力がある」(谷本)

アパレル業界には長年の大きな課題があった。それは生地を染める時、どうしても大量の水を使ってしまうことだ。

まず「染め」の前工程では、生地に染料を定着しやすくするために、薬剤と大量の水で丸洗いしなければならない。さらに染める時、染めた後と、あらゆる工程で水を使い続ける。岐阜・大垣市にある「艶金」の工場で使う水は一日4000トンで小学校のプール8杯分の量。薬剤や染料が溶け出した水をきれいに処理するのにも莫大なコストがかかる。

「売り上げが18億円の会社で、排水処理に5000万円かかる。それは大変ですよ」(「艶金」・墨勇志社長)


こんな悩みを解決する「水を使わないアパレルプリンター」を京セラは開発しようとしていた。開発した特殊な薬剤が、インクジェットプリンターの中で驚くべき仕事をしていると言う。

まずインクを定着させるための薬剤を吹き付け、それを追いかけるようにインクを吹き付ける。最初に吹き付けた薬剤が染み込むと、すぐにインクがその上へ。この動作の繰り返すだけで染色が完成する。つまり、これまで大量に水を使っていた染色の前工程を省くことができるのだ。

これを1秒間に数万回という超絶スピードで行うから、複雑な柄もあっという間にプリント。さらに独自開発したインクは色付けした後の水洗いの必要がなく、色移りもしない。まさにアパレル業界待望のプリンターなのだ。

 

多くの経営者に響いた〜稲盛和夫が残した「金言」


2022年11月、京都市の「国立京都国際会館」で開かれた稲盛のお別れの会には、親交のあった経営者など3000人以上が参列した。

「研究所の所長をしている時、『最後までバテないようにペースを考えて、マラソンのように心がけています』と話したら、稲盛さんは『僕は全然違う』と。『毎日、全力疾走だ』とおっしゃって、ハッとしたことがあります。本当に大好きな人生の大先輩でした」(京都大学iPS細胞研究所・山中伸弥名誉所長)

稲盛と同じく一代で巨大企業を築いた日本電産の永守重信会長はこう言う。

「稲盛さんは厳しい人だった、だけど優しい。厳しさと優しさが混じっているんです。私はボロカスに言われましたが好きでした、この人が」

多くの人が学び、影響を受けた稲盛。かつてカンブリア宮殿で「経営者の資質」を問われた時は、こう答えていた。

「個人の欲望や野望だけの達成を目的にしている人が経営者になった場合、そこで働く社員は被害者になると思います。経営者になりたいと思う人は、自己犠牲を払ってでも社員やお客さんを大事にしなければならない。自己犠牲をいとわない人間性を持つ人でなければ、経営者になってはいけない」


〜村上龍の編集後記〜
谷本さんは、優しい人だった。最初、幼稚な質問をしたが、丁寧に答えてくれた。ファインセラミックスって?「精密成形などが施され、炉によって高温で焼かれる」32歳のとき、プロジェクトリーダーとして、焼成を10分の1くらいの短時間でできるようにした。外部との折衝から、受注、量産ライン立ち上げと、一連のプロセスすべてを経験できたことが、大きかった。若い発想に期待して、まかせてくれたことがとてもありがたかった。挑戦が当然の時代、だが今もそれは変わらない。中核に「挑戦」がある。

<出演者略歴>
谷本秀夫(たにもと・ひでお)1960年、長崎県生まれ。1982年、上智大学卒業後、京都セラミック(現・京セラ)入社。2014年、ファインセラミック事業本部長就任。2017年、京セラ 代表取締役社長就任。

見逃した方は、テレ東BIZへ!