セイコーエプソン(以下、エプソン)が、同社のコア技術である「マイクロピエゾ」を搭載したインクジェットプリンタ「MJ-500」を、1993年3月に発売してから、今月で30年の節目を迎えた。PCやデジタルカメラの普及とともに、写真印刷や文書印刷、年賀状印刷などの用途を中心に家庭向けプリンタ需要を牽引。2007年には、マイクロピエゾTFヘッドの開発により、飛躍的な小型化と高速化を達成。さらに、2013年にはPrecisionCoreテクノロジーを発表し、オフィスにおけるレーザープリンタや複合機からの置き換えを本格化。屋外サインやポスター、デジタルプルーフ、ラベル印刷、捺染、加飾/マーキングといった商業・産業分野への展開など、インクジェットプリントの進化とともに、応用範囲も拡大している。マイクロピエゾによって生み出されたエプソンのプリンティング革命の歴史を追った。

初めてマイクロピエゾを搭載したインクジェットプリンタ「MJ-500」

マイクロピエゾは、エプソンが独自に開発したインクジェット技術であり、電圧をかけると変形する物質(ピエゾ)の力によって、インクを吐出させる構造となっている。キヤノンや日本HPのサーマル式インクジェット技術とは異なり、熱を使わない機械的な制御が可能であることから、インクの選択肢が広く、高い耐久性も持つのが特徴だ。そのため、ホームやオフィスだけでなく、商業・産業用途などにも幅広く応用ができる技術ともいえる。また、精密で、正確なインク滴コントロールが可能であり、写真などの高画質印刷に適しているほか、各ノズルが1秒間に4万発以上のインク滴を吐出するため、高速な印刷も可能にしている。

マイクロピエゾ技術とは?

では、マイクロピエゾはどんな経緯が生まれたのだろうか。少し歴史を紐解いてみよう。

○1984年、HPのレーザープリンタ発売で状況が一変

エプソンは、1979年に同社初のドットマトリックスプリンタ「TP-80」を発売。1980年には後継機である「MP-80」を発売し、PC市場の広がりとともに、一躍大ヒット商品となった。

だが、1984年にヒューレット・パッカード(HP)がレーザープリンタの「LaserJet」を発売すると状況は一変した。印刷品質や印刷スピードといった性能では、レーザープリンタが圧倒的で、ドットマトリックスプリンタの市場を凌駕。さらに、HPは、サーマル式インクジェット技術でも先行し、1988年には高解像度で、低価格のベストセラーモデルとなった「DeskJet」を発売。ドットマトリクス方式でプリンタ事業を成長させてきたエプソンは大きな岐路に立たされることになった。

実は、エプソンでも1984年には、同社初のインクジェットプリンタ「IP-130K」を製品化している。だが、ピエゾ方式を用いたエプソンのプリントヘッドは100Vで駆動するため、回路まわりが大きくなり、それに伴って筐体も大型化。コストの上昇にも直結した。ドットマトリクスプリンタの市場価格が10万円を切るなかで、TP-130Kが打ち出した49万1,000円という価格設定では、競争力がないのは当然であった。さらに、HPのDeskJetが995ドルという価格で登場すると、エプソンのプリンタ事業はまさに危機的状況を迎えることになったのだ。

エプソン初のインクジェットプリンタ「IP-130K」

ドットマトリクスプリンタの事業が縮小し、レーザープリンタやサーマル式インクジェットプリンタでは、先行メーカーの特許技術に阻まれ独自性が発揮できない状況にあったエプソンにとっては、それらとは異なる新たな技術を開発しなければ、プリンタ事業では生き残ることができない状況だったのだ。

エプソンは存続の危機に

開発部門では、1990年6月に緊急プロジェクトチームを編成。それまでエプソンが独自に開発を進めていたピエゾ方式をベースに、こうした危機的状況を打開する道筋を模索。いくつのかの方法を検討しながら、新たな技術に行きついた。

それが、ピエゾ素子によるインクの吐出機構を見直し、積層ピエゾをアクチュエーターとして採用。インク室のなかに櫛歯状の振動子を用意し、この縦振動によって、直接インクを押し出すという方式だった。

当初は吐出効率が悪く、ピエゾ素子を改良することが必要となったが、偶然、フィリップスがドットマトリクスプリンタ向けに開発した印字ヘッド駆動用アクチュエーターを目にし、このピエゾ素子が、新たなインクジェットプリンタ技術に応用できる可能性に着目。試験を行ってみたところ、少ない電圧でも、約10倍の変形量を得られることができたのだ。

さらに、新たな加工技術にも取り組んだ。ピエゾ素子は、薄くすればするほど変形量が上昇するが、従来は、研磨して薄くするという手法であったため、薄さにも限界があった。そこでエプソンでは、これまでの常識を打ち破る発想を用いた。セラミックコンデンサーのように20μm程度の薄い層を何層にも重ね合わせたピエゾ素子を作り、それをダイシングし、ひとつのアクチュエーターとして構成。電極を重ねながら、強い構造体をつくり、それを焼き上げ、短冊状に加工することで、ピエゾ素子の薄型化を実現したのだ。

これにより、インク滴をまっすぐ飛ばすのに十分なパワーが得られるだけでなく、低電圧化によって駆動回路も小型化でき、プリンタ本体の小型化、コストダウンも実現することができた。

これがマイクロピエゾ技術の誕生であった。

第1号インクジェットプリンタ「MJ-500」まで、マイクロピエゾ技術 誕生までの道のり

○マイクロピエゾで広がった「カラリオ」ブランド

その後、量産化に向けた改良を行い、開発をスタートしてから約2年半の歳月をかけていよいよ技術が完成。これをMACH(Multi Layer Actuator Head)と命名し、1993年3月20日に、このプリンタヘッドを搭載した第1号インクジェットプリンタ「MJ-500」を発売した。

ちなみに、この時、マイクロピエゾ技術の開発を担当した「KH(緊急ヘッド)プロジェクト」のリーダーを務めたのが、現セイコーエプソンの会長である碓井稔氏である。当時は30代半ばだった。

MACHを採用したインクジェットプリンタは、大きな注目を集めた。

なかでも、エプソンのプリンタ事業復活の象徴となったのが、1994年に発売したカラーインクジェットプリンタ「MJ-700V2C」である。

1994年に発売したカラーインクジェットプリンタ「MJ-700V2C」

MACHによる高い噴射圧により、安定したインクの飛翔を得て、優れたドット形状を確保。世界で初めて720dpiの高画質印刷を実現するとともに、従来比100倍という速乾性を持つ新開発の超浸透インクにより、インクジェットの課題となっていたインクの混色やにじみを解消した。家庭用プリンタの画質を大きく進化させたのが「MJ-700V2C」であり、ここから、家庭内で写真を印刷するという用途が一気に広がり、プリンタメーカー各社による写真画質競争が始まることになる。

1995年には、MJ-500CおよびMJ-800Cを発売し、この製品から「カラリオ」のブランドを使用。その後、マイクロピエゾ搭載製品の広がりとともに、エプソンを代表するブランドのひとつに成長していった。また、エプソンは、1996年に6色インクを搭載し、写真画質を高めた「PM-700C」を発売。ここでは、MACHとは別に、普及戦略を加速するために開発したMLChips (Multi-layer Ceramic with Hyper Integrated Piezo Segments)技術を採用。さらに、1998年には、1つのノズルから大小さまざまなインク滴を吐出することで、グラデーションをきれいに表現でき、同時に印刷の高速化も実現するMSDT(Multi Size Dot Technology)を開発し、「PM-770C」に搭載。続いて投入した顔料インクを初めて採用した「MC-9000」では、200年の耐光性を持つ新開発の「ミュークリスタ・テクノロジー」の採用や、B0ノビ対応による大判印刷によって、写真を活用したグラフィック用途での活用を広げていった。



写真画質の追求で、常に一歩先を進んでいたエプソン

このように、エプソンは、写真画質の追求では、常に一歩先を進んでいった。

だが、2000年になるとプリンタ市場に転機が訪れた。

○競争の舞台は、画質追求からマルチファンクションへ

写真家やカメラマンなどのプロフェッショナルたちが、プリンタの写真画質について評価するようになり、一定の水準まで到達したことで技術競争が頭打ちになる一方、スキャナ機能や、FAX機能を搭載したマルチファンクションプリンタが登場。競争の舞台が変化してきたのだ。

この変化をリードしたのがHPであった。ワンチップ化することで、複数の機能を搭載しながらも、圧倒的なコストダウンの実現や、高機能化しても筐体の小型化を維持。写真画質での成功体験を持っていたエプソンはその流れに乗り遅れてしまったのだ。それに伴って、エプソンのプリンタ事業の売上高は縮小。新たに打開策が求められることになった。

そうしたなか、エプソンが投入したのが、マイクロピエゾTFヘッドであった。

マイクロピエゾTFヘッドは、ノズル密度を倍に向上させ、高画質印字と高速印刷を両立できる技術であり、飛躍的な小型化、高速化を達成。商業・産業分野での活用や、オフィスでの用途にも広げることができるものだ。

2007年に開発された「マイクロピエゾTFヘッド」

そして、この技術は、2013年に発表したPrecision Coreにつながっている。第1世代をMACH、その次の世代をマイクロピエゾTFヘッドとすれば、Precision Coreは、次世代となったマイクロピエゾTFヘッドを取り込み、「次世代」の領域を拡張。MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)技術や薄膜ピエゾテクノロジーを融合することで、さらなる進化を実現している。



1993年のMACHを第1世代とすれば、マイクロピエゾTFヘッドは第2世代、さらにPrecision Coreへと次世代を拡げていく

実は、碓井会長率いる開発チームが、1993年にMACHを開発を完成されたとき、さらに2つの方式の開発を同時並行で進めていた。

ひとつは価格競争力の観点からサーマル式インクジェットと競合することを見据えた技術。もうひとつが高性能、高精度、高速、信頼性を追求した次世代ヘッドであった。この2つの技術は、のちに前者が「PM-700C」に搭載したMLChips、後者が2007年に投入したマイクロピエゾTFヘッドとなって市場投入している。

もともとエプソンでは、ひとつの主要技術を開発する際に、複数の技術を同時に開発する手法が伝統的に用いられていた。このときも、市場の変化や将来の発展を見据えて複数の技術を開発していた。それが次世代を担う技術の基盤となっている。

○マイクロピエゾの特性が活きた大容量インクタンク

マイクロピエゾは、熱を使わないため劣化が少なく、プリントヘッドの耐久性が強みのひとつとなっている。それを生かした製品のひとつに大容量インクタンク搭載プリンタがある。

マイクロピエゾヘッドは高い耐久性が強みのひとつ

これは2010年10月にインドネシア市場向けに発売したのが皮切りとなっており、2022年度には年間1,280万台の出荷を計画。同社のプリンタ出荷台数全体の73%を占める規模に達している。2023年3月末には、累計出荷台数が8,000万台に到達する予定だ。

大容量インクタンク搭載プリンタの登場は意外なところから始まった。新興国市場においては、エプソンのプリンタを改造し、大容量の互換インクボトルを取り付けた製品が登場。これを再販事業者が販売しはじめたため、本体を低価格で販売し、純正インクカートリッジの販売で収益をあげるというビジネスモデルが成り立たなくなってしまったのだ。言い方を変えると、エプソンのプリントヘッドに高い耐久性があるからこそ生まれた再販事業者による新たなビジネスモデルだったともいえる。

そこで、エプソンがとった対抗策は、自ら大容量インクタンクを搭載した製品を投入するという異例のものだった。再販事業者の改造製品では粗悪な互換インクが使われていたため、印刷品質の低下やインク漏れ、ヘッドの故障といった問題が発生していたが、エプソン自らが投入した大容量インクタンクモデルでは、メーカー自らが投入した製品であるため、当然、そうした問題が起こらない。あっという間に、改造製品を駆逐することができたのだ。エプソンは、インドネシアでの成功をもとに、大容量インクタンク搭載プリンタの市場展開を加速。新興国だけでなく、先進国においても販売を開始し、現在では150カ国以上で販売。製品ラインアップも拡張している。日本でも、2016年から大容量インクタンク搭載プリンタを投入。現在では、日本においても約25%の構成比となっている。

大容量インクタンク搭載プリンタの第1号製品の「L200」

長期間利用できるというマイクロピエゾの強みが、大量の印刷を前提にした大容量インクタンク搭載プリンタにも貢献。この分野でエプソンが市場を牽引する理由のひとつになっている。

大容量インクタンク搭載プリンタには、国内での販売を開始した2016年から、MACHに加えて、PrecisionCoreを搭載した製品を用意。エプソンのプリンタ事業のビジネスモデルの転換にも寄与している。

(マイクロピエゾの今へ、後編に続く)