大学4年生で日本チャンピオンのベルトを巻いた鈴木なな子【写真:アフロスポーツ】

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THE ANSWER的 国際女性ウィーク6日目「女性アスリートと体重管理」鈴木なな子インタビュー前編

「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を今年も展開。「スポーツに生きる、わたしたちの今までとこれから」をテーマに1日から8日までアスリートがインタビューに登場し、これまで彼女たちが抱えていた悩みやぶつかった壁を明かし、私たちの社会の未来に向けたメッセージを届ける。6日目はプロボクシングの日本女子ミニマム級王座に君臨した鈴木なな子(三迫)が登場する。

 テーマは「女性アスリートと体重管理」。体重が軽いと有利とされる競技では厳しい減量を求めるあまり、無月経、疲労骨折、摂食障害などの健康障害が引き起こされる例が少なくない。階級別のスポーツとして男女ともに17つにクラスが分かれ、体重管理が競技の前提として成り立っているボクシング。高校3年生でプロデビューし、「女子高生ボクサー」として注目を集めた鈴木は、キャリア通算9試合の減量をこなしながら、ミニマム級(47.62キロ以下)で日本チャンピオンを経験している。

 前編では、プロボクシングを選択した道のりについて迫った。フルコンタクト空手から転向し、デビュー直後は「美女ボクサー」と報道され、チケットの手売り、スポンサー集めなどプロボクサー特有の経験に戸惑いながら、大学4年生でチャンピオンベルトを巻くまでを振り返った。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 インスタグラムを覗けば、中目黒のイタリアンを満喫したり、代官山のヘアサロンでカラーを楽しんだり、トレンドに敏感そうな女子が映っている。しかし、リングにひとたび上がれば豹変する。接近戦で打ち合い、獰猛に拳を振り抜く。

 鈴木なな子、23歳。

 東京・練馬、所属する三迫ボクシングジムで行ったインタビュー撮影。「私、ピンクが好きなので」とガーリーなカラーのマイグローブでポーズを取った彼女は、日本チャンピオンのベルトを巻いたこともある、現役プロボクサーである。

 直接打撃があるフルコンタクト空手を4歳から始めた。家の近所に道場があり、外から見える風景に惹かれた。「座っているよりも動いている方が好きなタイプ。ピアノとかよりも格闘技とかの方が興味があったんだと思います」。週6日通い、高校2年生で関東で優勝するほどの腕前になった。

 転向のきっかけは高校1年生の時。空手のパンチ上達のためにボクシングを習い始めた。「小学生の頃は深く考えずに練習していたけど、高校生になると考えてやらなきゃいけない。新しい感覚で、面白くて」。拳ひとつで殴り合い、雌雄を決する。ボクシングの分かりやすさも魅力に映った。

「空手は1試合2分で、審判が5人いて、旗が3本上がればいい。最後の20秒ラッシュしたら勝てることもあるし、流派も多い。関東で勝ったといっても『いっぱい流派あるし……』と思って言いづらかった。ボクシングは長いラウンドの総合で見るし、流派みたいなものはない。分かりやすいなって」

 2年生の春に空手の道着は脱いだ。高校にボクシング部がなかったため、アマチュアではなく、プロテスト受験を決意。女子選手が多いワタナベボクシングジムに入門した。似て非なる競技。しかし、感覚を掴むまでにした苦労すらも面白かった。

「空手と似ていると思ったら全然違って最初は難しかった。空手っぽいと、ずっと言われましたね。空手は顔のパンチがないから(相手との)距離を近く取ってしまう。しかも、2分間の一発勝負だからみんなガツガツ行く。そういう癖がありました」

 それでも徐々に適応し、半年後に見事プロテストに合格した。

「プロになる以上は必ず、何かしらのベルトを巻きたい」。そう決意して迎えた高校3年生の2017年5月、デビュー戦・児玉このみ戦(後楽園)で判定勝ち。翌年2月の2戦目、のちのOPBF東洋太平洋女子ミニマム級王者・廣本江瑠香には敗れたものの、立大に進学後は着実にステップアップした。

チケット手売り、スポンサー集め…プロボクサーの“仕事”に戸惑い

 いざ、プロボクサーになって戸惑ったことも少なくない。

 試合のたび「女子高生ボクサー」という肩書きから「美女ボクサー」という容姿にまつわるものまで、「鈴木なな子」の前にいつも枕詞がついた。

「インタビューを受けている時はそんなワードが出てないのに世に出ている記事を見たら、そう書いてあって『おう、そうなるのか』ってビックリ。勝手に『美人』なんて書かれるから『美人じゃなくない?』という意見も出てくる。“可愛い・可愛くない”は人によって基準がある。正直、最初は嫌でしたね」

 チケットは選手自ら手売り。ファイトマネーの2倍の金額分を売るのがノルマだった。チケットは4000〜6000円程度で、高校生の友人が観戦するには安くない。「年代的にデビュー戦が一番大変でした。高いチケットを少し、または安いチケットを多く売る形でもいいんですが、ぎりぎりノルマ達成しました」と笑う。

 スポンサー集めも欠かせない。男子の世界戦クラスのボクサーでない限り、ファイトマネーだけで食っていけないのがボクシングの実情。多くの選手は働きながら活動資金を捻出する。トレーニングなどにかかる経費は安くない。だからこそ、ボクサーパンツに企業名を掲出し、支援をしてもらう必要がある。

「やり方は人それぞれ。人脈がある人は紹介してもらったり、SNSで宣伝して集めたり。お酒の場に顔を出す人もいるけど、私はお酒を飲まないし、愛嬌を振りまけるタイプでもないので(笑)。練習で疲れるのは小さい時から経験しているので、スポンサー探しやチケットの手売りの方が精神的には一番疲れました」

「生きていく上で教養は身につけておいた方がいい」と進学した大学時代は学業と競技を両立も苦労した。

 練習時間を捻出するため、5限目の授業は捨ててカリキュラムをやりくり。恵比寿にあるキックボクシングジムのトレーナーとしてアルバイトも並行した。「本当に大変でした。あと1つ単位を落としたら留年というところで、ギリギリで卒業できました」と苦笑いする。

 大学2年までは香港遠征を経験するなど、通算5戦で3勝2敗。大きかったのは3年生になる2020年に現在の三迫ボクシングジムに移籍したこと。

 キャンパスがある新座からの移動の負担を減らすためだったが、当時は女子選手が1人もおらず、男子選手とスパーリングをかわし、出稽古もこなしながら腕を磨く日々。アマチュアで全日本優勝の経験を持ち、のちにWBO世界女子スーパーフライ級王者となる3歳先輩・晝田瑞希も入門し、強い刺激となった。

「練習環境が変わってすごく伸びました。練習環境が変わると、練習のアプローチも変わる。それがすごく自分に合っていて、技術面も精神面も考え方も向上できたし、晝田さんが入ったことも影響を受けました。こんなに強い人でも基礎をこんなにやるんだと間近で見ることで、自分自身も成長できました」

 移籍後2連勝。そして、大学4年生の冬、初めて大舞台への挑戦権を掴んだ。日本ミニマム級王座決定戦だ。

ラストチャンスで成就した「大学生のうちにチャンピオンベルト」

 2021年12月9日。ボクシングの聖地、後楽園ホール。

 日本ミニマム級2位の鈴木が挑んだのは、同1位の瀬川紗代。かつて同じワタナベジムでともに汗を流した同門で、アマチュアのキャリアが豊富な相手に対し、接近戦の打ち合いで被弾しながら引くことなく、手数を出してプレッシャーをかけ続けた。

 6ラウンドを戦い抜き、もつれ込んだ判定は2-1。僅差勝ち。「大学生のうちに、何かのベルトを獲ることが目標でした。『ああ、間に合った』と。大学4年生でギリギリだったので」。学生ラストチャンスで巻いたチャンピオンベルトは格別だった。

 以降、2022年8月に一村更紗戦(後楽園)に6回判定勝ちで初防衛。その後、アジア王座を目指してベルトを返上し、チャンスを待っている。社会人として仕事をしながら競技をする道もあったが、大学卒業の際に就職活動はせず。キックボクシングジムのアルバイトのみでボクシングに向き合う。

「就職したら、時間が取れない。父は慎重派なので『大丈夫?』って心配しましたけど(笑)。結構マルチタスクができない人間なので。もし駄目だったら、そのまま(引退して)会社員になればいいやっていう逃げ道にもなっちゃうと思ったから」

 強い覚悟を持って挑んでいるプロボクサー稼業。

 切っても切り離せないのが、減量だ。試合前1か月で鈴木は6キロ落とす。女子選手特有の月経もコンディショニングに影響するという。

(後編へ続く)

■鈴木なな子 / Nanako Suzuki

 1999年7月8日生まれ。東京・板橋区出身。4歳からフルコンタクト空手を始め、成立学園高(東京)2年で全関東大会女子軽量級優勝。その後、課題だったパンチを鍛えるため高校1年から始めていたボクシングに転向した。ワタナベボクシングジムに入門し、半年でプロテストに合格。高校3年の2017年5月、児玉このみにデビュー戦判定勝ち。立大進学後、3年生だった2020年に三迫ボクシングジムに移籍。4年生となった2021年12月、通算8戦目で瀬川紗代を判定で破り、日本ミニマム級王座を獲得。2022年8月に初防衛を果たし、9月にアジア王者を目指して王座返上した。通算9戦7勝(1KO)2敗。身長157センチ、リーチ160センチ。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)