五輪に4度出場した荒木絵里香さんが語る女性アスリートのライフプラン【写真:窪田亮】

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THE ANSWER的 国際女性ウィーク4日目「女性アスリートのライフプラン」荒木絵里香インタビュー前編

「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を今年も展開。「スポーツに生きる、わたしたちの今までとこれから」をテーマに1日から8日までアスリートがインタビューに登場し、これまで彼女たちが抱えていた悩みやぶつかった壁を明かし、私たちの社会の未来に向けたメッセージを届ける。4日目はバレーボール日本代表として五輪に4大会連続で出場した荒木絵里香さんが登場する。

 テーマは「女性アスリートのライフプラン」。生き方の多様化が進み、さまざまな人生設計ができる現代社会。荒木さんはスポーツ界において、それを象徴するようなキャリアだ。海外挑戦も経験した現役時代、結婚・出産を経て、バレーボール界の第一線で長年活躍。2021年東京五輪を最後に引退した後は、大学院に通い始めた。前編では、自身が現役選手として「結婚・出産」を選択した理由について明かし、競技と子育てに励んだ日々を振り返った。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 五輪の舞台に4度立ち、日本女子バレーボール希代の主将として牽引した38歳・荒木絵里香さんは今、いくつもの肩書きを持ち、忙しい日々を送る。

 9歳の娘を持つ母であり、現役の早稲田大学大学院生であり、バレーボール解説者である。Vリーグ・トヨタ車体クインシーズのチームコーディネーターに、ママアスリートを支援する一般社団法人「MAN」の理事も務める。「今、いろんなバランスを必死に取っています。試行錯誤しながら“バレーボール選手としての自分”でしかなかったところから、日々挑戦という感じです」と笑いながら、その表情には第二の人生への充実感が滲む。

 荒木さんの人生で大きな転機は、28歳になる夏に出場したロンドン五輪だった。

 岡山・倉敷で小学5年生からバレーボールを始めた。小学生で180センチを超える恵まれた体格。東京の名門・成徳学園(現・下北沢成徳)では同級生の大山加奈らとともに高校全国3冠を達成した。2008年北京五輪に出場後、イタリアのクラブに海外移籍し、2012年ロンドン五輪で主将として女子28年ぶりの銅メダル獲得に導いた。

 キャリアで最も輝かしい実績を残した直後の翌年2013年、交際していたラグビー元日本代表選手の四宮洋平さんと結婚し、すぐに妊娠が判明。それを機に10年間在籍していたVリーグの強豪・東レアローズを退団した。2014年1月の出産を経て、6月に埼玉上尾メディックスで復帰。ママ選手としてコートに帰ってきた。

 当時29歳。結婚・出産を経て復帰する女性アスリートは決して多くない。しかし、荒木さんに迷いはなかった。「もともと長く競技生活を続けたかったし、選択肢の一つとして持っていました。(ロンドン五輪直後のタイミングは)今がチャンスと思って、家族と相談して……」。愛娘の和香ちゃんを授かることができた。

 決断の背景には、24歳から2年間プレーしたイタリアでの経験があった。

「彼女たちのライフスタイルというか、アスリートとしての姿を見た時、こういう生き方があるんだと感じたことがすごく大きかったです。みんなプロのバレーボール選手であると同時に結婚している選手も、大学に通って勉強している選手もいた。モデルみたいなことをしながらプレーしている選手もいたんです。

 そういう姿を見た時、メリハリがついて生きている感じがすごく刺激的で。日本だと『○○はこうあるべきだ』みたいな考えをバレーボール選手として勝手に作っていましたし、なんとなくそういう風潮も(スポーツ界には)ありました。こういう選択肢もあっていいんだって思えたことがすごく大きかったです」

 人生のオーナーシップは自分にある。何事も一つの道を極めることが尊ばれる日本とは異なる価値観が荒木さんを後押しした。

家を空けることが多い競技生活で娘に対して決めていたこと

 結婚・出産が周囲に影響を与えることは理解していた。当時は東レの主将であり、絶対的支柱だった荒木さんの存在は大きい。

「団体競技なので、自分のタイミングで辞めることはできない。契約の状況もあるし、(決断までの)期間は決めていました」。休養して妊娠・出産する選択肢のほかに海外に再挑戦したい想いもあった。それも踏まえ、事前に来季はチームを退団する意思を早めに伝えた。補強の準備期間を考え、チーム構想に配慮した。

 しかし、社会活動と並行した子育ては簡単なことではない。頻繁に合宿があり、家を空けることが多いバレーボール選手である荒木さんもそうだった。

 支えになったのは、母・和子さんの存在。荒木さんの決断を尊重し、中学校教師の職を離れ、フルサポートすることを申し出た。荒木さんも和子さんが住む千葉から通える埼玉上尾メディックスで復帰。ほぼ住み込みで育児を助けてくれた。「私が復帰できたのは、母の存在がすごく大きかったです」と感謝してもしきれない。

 そのおかげで「出産した時は考えてもいなかった」という2016年リオデジャネイロ五輪、2021年東京五輪と4大会連続五輪出場という快挙に繋がっていく。

 選手としての苦労も並大抵ではなかった。出産から半年足らずで練習に復帰。「初心者の方みたいに(レシーブで)腕が真っ青になって(笑)。授乳で(胸が)張って痛かったし、体はボロボロでした」。徐々にコンディションを取り戻していったが、荒木さんがママアスリートとして活躍できた理由は、割り切った思考にある。

「プレーヤーとしては『出産前の自分に戻ろう』と思わなかったことですね。それは復帰する段階から決めていたし、新しい自分を作っていくつもりでいました。そうすることで、選手としてまた面白さを感じることができた。今までの自分をイメージして追いかけたら、絶対にキツかったと思うんです。

 出産による体の変化もありますが、年齢による影響もアスリートなら誰でもある。ジャンプ力が下がったら技術の面で技の引き出しを増やせばいい。一点ばかり気にしたらどうしようもない。違う部分で結果的に(トータルで)プラスを多く作れるように。そこに面白さを見い出すことができました」

 出産から9か月で始まった2014年10月のリーグ開幕戦から主力として牽引し、大活躍。翌年3月には代表復帰の打診を受け、再び日の丸のユニホームに袖を通した。

 ただ、選手として充実すればするほど、子供と時間を共有できないのが辛かった。代表クラスになると長期の合宿や遠征が頻繁にあり、物理的に離れ離れになる。

 物心がつくと、和香ちゃんはバレーボールが“ママを奪ってしまうもの”と認識していた。「カレンダーで私がいなくなる日に『×』をつけたり、家の中に子供なりに罠を仕掛けて私を行かせないようにしたりで……」。家を空ける日、泣き叫ぶ娘を残して玄関のドアを開けた。

「母として娘の大事な瞬間や見たかった瞬間、一緒に共有したかったものができなかったのは少し寂しい。それが娘に今後どう影響していくかは分からないし、その難しさは今も続いています」。それでも、決めていたことがある。娘に対して、悲しそうな表情を見せないことだ。

「自分が決めたことに後悔は何もありません。選択に正解や間違いはないと思いますが、私自身はそういう覚悟を持って決めたので。その分、しっかりとやりきらないといけない。仕事として、自分の大好きなやりたかったことに夢を持ってやり遂げたいとずっと思っていました。

 なのに何か悲しそうにしていたら、きっと娘も『なんで、そんな想いをして行くの?』と思うじゃないですか。だから、自分は本当にやりたくてやっているし、そこに自分の夢や目標を見い出したから。ちゃんと良い顔で家を出ていかなきゃと思って、そんな風に過ごしました」

東京五輪を終え、家で待っていた娘がくれた手作りの賞状とメダル

 2020年に予定されていた東京五輪がコロナ禍により、1年延期に。2021年、4度目となったオリンピックの夢舞台。予選リーグ敗退を最後に37歳で現役引退した。

 長い競技生活を振り返ると、娘の存在が励みになったことがたくさんある。「娘が生まれてからはオンオフのメリハリがつきました。ダラダラと競技のことを無駄に悩まなくなったし、スイッチができて集中力高く練習に取り組めるようになりました」という。

「最初は娘が記憶に残るまで選手でいたいと思っていました。でも、育っていくうちに『ママがどういう選手だった』というのは娘として、そんなに大事ではないと分かってきたので、私は自分のやりたいこと、夢や目標に向かって取り組んだ姿を見てもらえたら、と。9歳の今はまだ分からなくても、どんどん年齢を重ねて、彼女なりに理解できること、感じられることがきっと生まれてくる。何か良い影響を受け取ってもらえたらいいなとは思います」

 2020年の東京五輪に向かう中で「ママはここで選手は終わるからね」と事前に引退について伝えていた。娘には寂しい想いばかりさせたが、2021年に五輪を終えて自宅に帰ってくると、手作りの賞状とメダルを持って「お疲れさま」と言ってくれた。自分の選択に誇りを感じられた。

 現役生活を離れ、およそ1年半。「いってらっしゃい」と「おかえり」を言える機会も増えた。母として、そんな日々に幸せを感じる。「娘はスポーツはテニスとダンスをエンジョイしながらやっています。私の影響でバレーボールは嫌いなので……」と明るく笑い、改めて振り返る。

「出産した時は何歳までやろうと考えていなかったし、ここまで長くできるとは思っていなかったです。日本代表を目指していたわけでも、五輪にもう一回行こうと思っていたわけでもない。終わってみると、想像以上の場に行くことができたなって思えます。これも周りの皆様の理解やサポートがあったからこそだと思います。感謝、感謝です」

 海外挑戦、結婚・出産、五輪4大会出場と駆け抜けた現役生活。しかし、引退から半年後、もう一つ大きな決断をした。大学院進学。新たな挑戦の始まりだった。

■荒木 絵里香 / Erika Araki

 1984年8月3日生まれ。岡山・倉敷市出身。小学5年生からバレーボールを始める。成徳学園高(現・下北沢成徳高)では同級生の大山加奈らとともに高校全国3冠を達成。卒業後の2003年にVリーグ・東レアローズに入団した。1年目に日本代表デビューすると、2008年北京五輪に出場(5位)、2012年ロンドン五輪は主将として女子28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。2013年に元ラグビー日本代表の四宮洋平さんと結婚、出産を経て2014年に復帰した。2016年リオデジャネイロ五輪(5位)に続き、4大会連続出場した2021年東京五輪(予選リーグ敗退)を最後に現役引退。VリーグでMVP2度、ブロック賞8度、歴代最多得点、最多セット出場数など。現在はトヨタ車体クインシーズのチームコーディネーター、バレーボール解説者などを務めながら、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に在籍。身長186センチ。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)