細貝萌が対談中に涙…鈴木啓太からポジションを奪った浦和時代を語る
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この記事はYouTube配信「【号泣】細貝萌が語る鈴木啓太からポジションを奪ってしまった辛さ」から、ライブドア社の自動書き起こしツールによって生成されています。
浦和加入した時に感じたプロとの"差"
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鈴木: レッズに入って、プロとその前の差みたいなものって何か感じました?
鈴木: そうやって言われるとすごく嬉しいんですけど。逆に、僕は「うわぁ…嫌なヤツ入ってきたな」と思うわけですよ。
細貝: いやいや、そんなこと絶対思ってないですよ。
鈴木: いやいや。
細貝: いや、だってやっぱすごい可愛がってもらったじゃないですか。それで「俺、嫌われてない」とやっぱ思ってましたもん。
鈴木: あっ、嫌われてはいないですよ。ただ、すごく才能があったし、最初の頃はディフェンスで出ることも多かったじゃないですか。
細貝: そうなんですよ、はい。
鈴木: 3バックのストッパーで出ることが
細貝: それこそ、天皇杯とかで使ってもらって。
鈴木: そういうちょっと自分が思ってたのと、その差も含めていろいろあったと思うんですけど、わりと先ほどの話の流れでいくと、順風満帆に来ているように見える中で、プロに入ってからちょっとチャンスがない…。どんなことを考えてました?
細貝: いや、もうかなり何か厳しかったのを覚えてますね。それこそ世代別の代表も浦和で出てないのに、出れないのにやっぱ呼んでもらってたんですよ。それこそオリンピック予選とか。ほとんどJリーグで試合にたまに出たりだとかっていう選手たちの中に出てないのは僕ぐらいで「情けないな」って、ずっと思ってました。「もう、呼ばなくていいよ」って思っている時期もありましたね。
鈴木: じゃあ、そのレッズでボランチで試合に出る、中盤で試合に出る。でも、チャンスをもらう時はストッパーで出る。これは出場はどこかこだわりみたいのあったんですか?
複数のポジションをこなす時の気持ちの置き方
細貝: いや、ボランティアいいと思ってたんですけど、3バックの一角でストッパーで使ってもらった時がそれこそ天皇杯だったんですよ。1年目もそうですし、2年目もそうなんですけど、その1年目も2年目も天皇杯獲ったんで、それはすごく自信にはなりました。守備的なところもよりそのストッパーでプレーしたことで、守備が大切だっていうのを自分の中でも把握できたというか、そういう感じでしたね。
鈴木: いろいろなポジションができることっていうのは、その後のサッカー人生において、ものすごくプラスになったと思うんですけど、センターバック、両サイドバック、それからワイドもやってたと思うし、ボランチもやってたと思うんですよね。それぞれ役割の異なるポジションでプレーする時に、そのポジションによって考えを変えることとかってあったりするんですか?
細貝: ポジションで考えるっていうよりはどちらかというと、そのポジションで自分らしくやろうかなってやれたらいいなみたいなイメージで入ってて。後は、そのポジションでうまくいかないと結構逃げそうになるんですよ。例えば、右サイドバックでプレーして右サイドバックでいいプレーできないと俺の本職じゃないしみたいな、そっちに逃げちゃう時はどうしてもあったんで途中。うまく行くといいんすけど、うまくいかなかった時がやっぱりそういう風に逃げてしまってるなっていう時はやっぱ多かったですね。
鈴木: でも、そうならないようにしようとすることが大事だと。
細貝: はい。
鈴木: これは、もしかしたらサッカー少年とか部活でやってる子とか、もちろんプロでやってる選手がそうかもしれないですけど、大事なことかもしれないですね。
細貝: 逃げていくとやっぱ良いことないなっていうのはやっぱ思いましたね。
鈴木: あぁ…これはいい話ですね。そういういろいろな経験をして、2008年から出場機会を増やして、2008年はリーグ戦26試合に出場。2007から2008へ変わった時きっかけみたいなのはあったんですか?
細貝: ありました。
浦和時代、試合出場機会が増えたきっかけ
細貝: 鈴木啓太さんが体調不良でいなかったっす。
鈴木: ははは!(笑)
細貝: ははは!(笑)
鈴木: まぁ、それだけじゃないと思いますけど。
細貝: いやいや、もうでも完全に啓太さんが身体を壊した時期があって、それでやっぱチャンスは巡ってきたっていうのはもう間違いないので、試合に使ってもらうことが増えて、浦和の選手らしくなってきたかなっていうのは、途中で毎試合毎試合プレーする度に感じることができたなって思いますね。
鈴木: そういう中でチームでも自信をつけて出場機会を得る中で、2010年リーグ開幕戦。ポジション争いしてたじゃないですか。僕はそのポジション争いに敗れて、その後もずっと細貝さんがボランチとしてレギュラーポジションを確保するわけですよね。僕は正直、悔しい気持ちと自分が一緒にやってたし、可愛がってたという言い方すごく失礼ですけど、やってた人と活躍するのがすごく嬉しくて。
細貝: …(涙)。
鈴木: ははは!どうした!?(笑) そんな話が出ると思わなかった? あっはは(笑)
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細貝: ……(涙)。
鈴木: ははは!(笑)
細貝: …(涙)。いや、すいません。
鈴木: 本当に僕はすごくそれが嬉しくて、これはどの選手もやっぱりあって。逆に、僕もレッズで自分が試合に出る時って誰かのポジションを奪うことになる。それがお世話になってた先輩だったりするし、でもそんな中、今こうしてこうやって話を聞けるのが僕にとっては一番の価値だなって思ってるんで、実際にどうでした?
細貝: いやぁ…。いや、もうなんかあれでしたね。うん…。かなり複雑な気持ちではいましたね。やっぱり普段からずっと面倒も見てもらってたんで、また一緒に出たいっていう気持ちでずっとやってて。でも、自分が出ることで出れない時期があったというのは何か複雑な感じでした。
鈴木: 一緒に出れたら良かったね。
細貝: いえ…(泣)。
鈴木: はははは!(笑)
細貝: でも、ずっと何か啓太さんベンチ座ってもらって、俺出てる時とかも毎回ハーフタイムに声かけてくれてたんですよ……。
鈴木: ……あっはは!(笑)。
細貝: …(涙)。
鈴木: そうね。
細貝: そうっすね…(涙)
鈴木: まぁでも、これでもほら。これはある種、本心での部分は悔しいじゃない。悔しいんだけど、でもね。やっぱリスペクトがあるから悔しいんだよね。自分がその選手として認めざるを得ないとリスペクトがなければ悔しいとは思わないんだよね。そんな中でも、ポジション争いをしていく中で活躍してくれるのが悔しいんだけど嬉しいっていう。嬉しいんだけど悔しいっていう複雑な気持ち。その後に、南アフリカワールドカップの後に2010年8月、A代表に選出されるじゃないですか。僕はそれが嬉しいし、俺も必ずそこに戻りたいなっていう気持ちがあったんで、実際にA代表に選出された時の心境ってどうでした?
細貝選手がA代表に初選出された時の心境
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細貝: 「あぁ…代表行けるんだ」っていう感覚。けど、やっぱり浦和の頃にフル代表の選手たちがやっぱずっと近くにいたので、それこそ啓太さんとかが常に近くにいて、何か「こういう風になりたいな」とずっと思ってたんで、そのスタートを切れたのかなっていう感覚はありました。
鈴木: その代表練習に参加してみて、感じた事って何かあります?
細貝: なんかプレーしてみて、やれるなとは思ったんですけど、やっぱり自分と同じポジションで言えば、ヤットさんと長谷部さんとの差はやっぱ感じましたし、それこそ僕代表デビュー戦のパラグアイ戦で中村憲剛さんとダブルボランチの前には香川真司がいてっていう状況だったので、代表で主力もそうだし、やっぱりレベルアップすることを考えたら行かなきゃダメだなっていうのは思いましたね、改めて。
鈴木: そして、2010年の末ですかね。ドイツの強豪レバークーゼンに移籍と。これ、きっかけは何だったんですか?
ドイツの強豪チームへ移籍となった経緯
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細貝: 「海外に行きたい」っていう話を代理人ともしていて、行きたいけどやっぱり現実的じゃない。やっぱり実際オファーがないと行けないわけですし。という中で、フル代表に入ったことでヨーロッパからすると、ちょっと「代表の選手なんだね」っていうので、多分行きやすくなったってのはあると思うんですけど。僕、代理人にも言っていたのは「フル代表に入んないんだったら、やっぱ海外はない」って言ってたんですよ、僕は当時は。実際にフル代表に入ることはできて、良いテンポでオファーが来て。もちろん即決ではなかったんですよ。もちろん浦和も素晴らしいクラブだったんで。でも、決断して行ったっていう感じですね。
鈴木: なるほど。その後レバークーゼンに移籍をしたすぐにブンデスリーガの2部のアウクスブルクにレンタル移籍と。これは、どういう流れだったんですか?
細貝: これは、元々レバークーゼンと契約してもらえるってなった時に、最初から「レンタルとセットで」っていうオファーだったんですよ。レバークーゼンは「4年半で契約したい」って言ってくれて。「だけど、1年目はもうボランチが溢れてるんでレンタルでどこか行くことになる」って言ってて、その中で監督とかと話して、結果的にアウクスブルクに決まったっていう感じです。
鈴木: 初めての海外移籍。しかも、ヨーロッパはシーズンの途中じゃないですか。チームの中に入っていく難しさはありました?
細貝: かなり難しかったですねって思いました、僕は。1月1日にドイツ入ってサインして、1月2日にすぐカタールに戻ったんですよ、アジアカップがあったので2011年の。ただでさえ冬で難しいタイミングだったんですけど、後半戦の数試合終わっている状況でチーム合流するみたいな。言葉も分からないみたいな状況だったんで、最初と飛び込むの結構大変でしたね。試合もなかなか出れなかったですよ、やっぱり。
鈴木: でも、アジアカップを戦って優勝してくるじゃないですか。だからこそ、何かものすごくチャンスがあったのかなって思うんですけど。
細貝: そんなこともなかったですね。やっぱり言葉も全く分からなかったんで、そのドイツ語はそうですし、英語はちょこっとぐらいだったんで。監督は僕に「焦ってない」みたいな言い方をしてくれてはいたんですけど、選手としてはしかも日本代表とか呼んでもらってたんで、入ったらすぐにでも試合に出たいっていう状況だったんで、そこのかなりギャップっていうのはあったなと思います。だから、監督も僕に対して2部の上位でずっと戦ってて、このシーズンはこのままいけば来季1部でアウクスブルクも戦えるという状況だったんで「1部に行ったら、必ずお前が必要だ」ってずっと言ってくれてて。でも、そう言ってくれてるんですけど、試合には全然使ってもらえなかったんですよ。
鈴木: ははは!(笑)
細貝: だから、「何言ってんだ!?」っていう感じだったんですけど。だから、僕も頑張らなきゃいけないって思ってましたし、同じタイミングで岡崎慎司・槙野が同じタイミングで移籍したんで。岡崎慎司は試合に出てて、槙野はケルンで1部、出れなかったりしたんですけど1部でやってて。そことのギャップっていうのはあったのは覚えてます。
鈴木: 当時の監督・ルフカイ監督って、どんな監督ですか。
細貝: 選手の時は、僕みたいなタイプだったらしくてプレースタイルだとか。すごくそういうプレースタイルとか情熱とか。そういうのはやっぱすごく評価してくれてる監督だったなっていう風には思います。
鈴木: 移籍初年度はリーグ戦7試合の出場。1部に昇格した翌シーズン11-12シーズンはレギュラーに定着するんですよね。
細貝: そうなんですよ。
鈴木: ってことは、ルフカイ監督が言ってることは嘘じゃなかった。
細貝: 嘘じゃなかったです。
鈴木: もちろん努力もされたと思いますけど。
ドイツで加入2年目にしてスタメンを獲得した要因
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細貝: コミュニケーションの部分で監督自身は、時間を掛けてくれていたのかなっていう風には思います。それは何でかというと、日本人選手って通訳がいる選手もいるんですよ、中には。僕には「通訳をどうするか」って言われて、監督は「お前に通訳を付けたくない」って言われたんですよ、最初。僕はドイツ語全く分からないので「理解できないから欲しいな」と思ってたんですけど、監督が僕に言ってくれていたのは、「ドイツで、2年・3年・4年・5年ってやっていきたいのであれば、一人で学びながらやってた方が良いということ言ってくれて。
鈴木: そう考えると、ルフカイ監督って細貝選手にとって最初の監督で当たりだったかもしれないですね。
細貝: もう…大当りも大当たりで、本当にあの人のおかげで、僕のヨーロッパの時間というのはあったなって思ってます。
鈴木: 信頼してくれて、プレーの質は大丈夫だと。あとは、ちゃんと長くそこで活躍したいんだったら焦らずにちゃんと自分で生活できるようになれよっていう。
細貝: 「自分で理解できるように頑張れ」ってこと言われたんで、当時は「いやいや…。」みたいな(笑)。
鈴木: ははは!(笑)
細貝: いや、「俺、何言ってるか全く分からないんですけど」みたいな。なんで、ミーティング終わって個人で呼ばれて、今度は英語で軽く分かるように説明してもらって。僕なんか運良くというか、そのアウクスブルグで数ヶ月過ごして、1部上がることができて。僕らアウクスブルクって、僕が入って昇格した時がアウクスブルクでたぶん史上初か何かなんですね。なので、もうそこはすごい盛り上がりで一番あって、あれからもうずっと1部。一度も2部に落ちずにずっと1部で今もいるんで。
鈴木: そうなんだ。一度も落ちてない。
細貝: はい。なので、初めてブンデスリーガ上ったって言って記念のなんかとか、いろいろあるんですけど、一応名前はあるんですよ僕そこに。
鈴木: すごい! ある種、アウクスブルクのレジェンドですよね?
細貝: アウクスブルクの方は、結構してくれてるのかなってサポーターの方もそうですし、すごく評価してくれてたのも感じたりだとか。やっぱり1年で落ちなかったっていうのはデカいじゃないですか。そういう小さいクラブが。
鈴木: いや、もう絶対それは大きいと思う!
次回予告:2011年アジアカップ準決勝・韓国戦で生まれた1ゴールの背景
鈴木: 少し話を戻すんですけど、王座奪還を目指した2011年のアジアカップ準決勝、韓国戦ですかね。本田選手がPK蹴って、そのこぼれ球を決めるんじゃないですか。
細貝: あれ、浦和の時からずっとやってて、積み重ねが大事だっていうのを自分の中でも感じることができたシーンだった。
鈴木: 2014年のブラジルワールドカップでメンバーから落選。
細貝: なかなか僕自身も上手くいかなかったので、逃げに入ってた時期があったんですよ。
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