香港―深圳―広州を結ぶ列車に投入されたスウェーデン製の「X2000」(筆者撮影)

2022年末の時点で総延長が4万km近くに達した中国の高速鉄道網。時速200kmで走る最初の列車登場から25年余りで他国を大きく上回るネットワークを広げたのは驚くべきことだが、高速化の黎明期には度重なる試行錯誤が行われていた。

その先行事例として、1990年代から高速列車が投入されてきたのが香港と接する広深線(広州―深圳間)だ。中国の鉄道高速化のルーツともいえる同線でどんなことが起こっていたのか。当時、香港を拠点に生活していた筆者の体験と写真で振り返ってみたい。

「改革開放」で高まった高速化の機運

広深線は今でこそ中国広東省の鉄道路線として運営されているが、かつて香港を植民地としていたイギリスが九廣鉄路(九は香港九龍、廣は広東。英語名Kowloon Canton Railway=KCR)として敷設した路線の中国側区間を引き継いだ路線だ。同線は清朝末期、第1次世界大戦勃発直前の1910年に開通。中国南部を流れる珠江の河口に近く、地形が複雑でまっすぐ線路を敷けなかったことからカーブが多い。

香港の返還が1984年に決定、1990年代には当時の中国の最高指導者臂平氏が提唱したいわゆる“改革開放”の時代に入り、市場経済への移行が図られるなか、香港から“国境”を超えて広東省に出入りするビジネスマンらが激増。鉄道高速化の必要性は日々高まっていた。

そんな中、当時の中国国鉄はそれまで広州―深圳間を最高時速80km程度、所要時間約2時間で走っていた広深線を高速化すべく、全面的な線路改良に着手。1994年12月から国産のDF(東風)11型ディーゼル機関車を使って、中国初となる時速160kmの「準高速列車」の運行を開始し、両都市間の所要時間を約80〜90分まで短縮した。

筆者はこの頃、イギリスでディーゼル機関車牽引ながら最高時速200kmで運転していた「インターシティ125」でも導入したら面白いことが起こりそうなのに、と次なる展開を期待していた。すると広深線は電化に着手。1998年に完成し、香港側と電車・電気機関車で直通できるインフラが整った。

完成した新しい線路は時速200km運行が可能だったが、当時の中国はそのような高速車両を持ち合わせていなかった。中国政府の幹部たちは自国に高度な高速鉄道技術がないことを認識しており、外国の技術を導入したいと考えた。

電化完成前々年の1996年、中国鉄道部(部は日本の省に当たる中央官庁)と広深線の運行事業体である広州深圳鉄路有限公司(広深鉄路)はADトランツ(後のボンバルディア・トランスポーテーションの一部)と協力協定を締結。年間180万米ドルでスウェーデン国鉄が運行している同社製の振り子式高速車両「X2000」1編成のリース契約を締結した。

X2000の編成は1998年初めに天津の港に上陸。スウェーデンでの運行時より1両追加された状態で中国へとやってきた。編成の片側先頭車が機関車となった動力集中型で、車両は全て座席配置が2+2列の2等車。スウェーデンで運行している1+2配列の1等車付き編成と比べれば若干見劣りするものの、中国では「新時速」と名付けられたほど、当時の車両水準からみれば驚きの高規格車両だった。中国鉄道科学院の手により、北京郊外にある「環行鉄道」と呼ばれる試験用のループ線(中国鉄道博物館に隣接)での試験走行を終えた後、X2000は正式に運用に組み込まれた。


「新時速」X2000の先頭車両横に並ぶ乗務員たち(筆者撮影)

アジアで新幹線に次ぐ高速運転

1998年8月28日、X2000はついに営業運転を開始。広州東駅と香港の九龍駅(現・ホンハム駅)間を結ぶ“広九直通車”と、広深線の都市間列車としてそれぞれ1日2往復運行した。こうして、ついに時速200kmでの運転が実現した。

広州市内の深圳寄りに新たなターミナルの広州東駅が完成し、運行距離が以前より若干短くなっていたとはいえ、広州―深圳間を無停車55分で結んだことは当時の中国では画期的だった。全アジアを見渡しても、日本の新幹線に次いで速い列車の運行が始まったのである。


「新時速」X2000の車内サービスの様子(筆者撮影)

当時を思い返すと、運行開始の情報は営業運転直前になってようやく発表されたように記憶している。筆者は広州にあった旅行代理店を通じて広深鉄路に掛け合ってもらい、運行開始翌日の深圳発午前のチケットを入手して時速200kmの旅を味わうことができた。振り子式車両だが客車なので騒音レベルは低く、欧州風の硬めの椅子と相まって「これぞ新時速」と思わず唸ってしまう素晴らしい乗り心地だった。おりしも同列車には広深鉄路の撮影クルーが同行しており、いわば“監督付き”で撮影したのが今回紹介している写真だ。

ただ、この区間だけ高速化を達成しても、当時の中国鉄道全体の運営の仕組みから見ればなんともバランスの悪いものだった。とにかく利用客が多いため、チケットを買うのに長時間並んだり、駅には早めに行って乗車の準備が必要だったりと、新幹線でも直前の乗車が当たり前の日本人にはなかなかの苦行だったように記憶している。

一方、中国がX2000を導入したのと同じタイミングで、香港側の広九直通車の運行パートナーであるKCR(現・MTR)は日本の近畿車両製2階建て客車を導入。ADトランツ製電気機関車牽引の「ktt」と呼ばれる列車を1日2往復運行した。kttには座席配置1+2列の1等車が付いており、航空会社からキャビンアテンダントをスカウトしてサービスに当たった。


「新時速」登場と同時に、香港側のKCRは日本の近畿車両が製造した2階建て客車による「ktt」を運行開始した(筆者撮影)

実はX2000に関して、スウェーデン側は中国に整備技術の詳細を提供しなかったため、やむなくKCRの何東楼整備工場にいたktt用機関車のオーバーホールを担当するADトランツの技術者が約4日に1回の頻度で整備を行った。その後、広深鉄路はX2000の所有権を取得。電子関連のメンテナンス技術も習得した。

広深線は2000年には単線+複線の3線化を実現。これにより貨物列車やスピードの遅い客車列車を単線側に回し、本線を走行しながらの追い抜きも可能にし、線路容量の拡大を目指した。ただ、線路に余裕ができても高速車両が「X2000」1編成ではいかにも足りない。

そこで登場したのが「藍箭」(青い矢の意味)という“中国国産”の高速車両だ。

「国内組み立て」でも主要部品は外国製

「藍箭」が登場したのは2000年、動力集中型で最高運転時速は200km。「DJJ1型電気機関車」と名付けられた動力車1両と軟座(中国で1等車を指す)6両からなる1M6Tの7両固定編成だが、一部の編成には6人掛けの個室が設けられていた。


中国製の高速列車「藍箭」(筆者撮影)

筆者は導入後まもなく乗車したが、当時ドイツで走っていたインターシティ・エクスプレス(ICE)の初期型をひと回り小さくしたような印象だった。それもそのはず、中国で組み立てられたとはいえ、主要部品は国外産だった。ただ「藍箭」にも「新時速」の文字が書かれていたことから、外国製のX2000は早々に退役させて、国産車で高速列車網を確立させようとしていたように感じる。

「藍箭」は、広深線での営業運転前に実施した試験運転が終わる直前、2000年12月に最高時速235.6kmを達成。2001年1月に始まった営業運転でも最高時速200kmで走行した。中国で、終着駅で機関車の付け替えの必要がない電車固定編成が本格運用に入ったのは大きな変化だったと言えよう。

ところが、高速列車国産化の道を断念したきっかけが「藍箭」の営業運転だったのは皮肉なことだ。広深鉄路では計8編成を走らせていたが、あまりのトラブルの多さに辟易していたようだ。製造から試験までの日数が短かったことに加え、運行システム操作の経験不足も重なり、営業運転開始から程なくしてさまざまな問題が露呈した。

「藍箭」は2001年1月のデビューから2002年末までの2年間で、全8編成の延べ走行距離は400万km弱に達したが、運行中に発生した機器故障は113件で、これは10万km当たり平均2.88件だった。一方、X2000は1998年のデビューから2003年3月までの延べ走行距離は200万km強、この間に列車の機器故障は7件のみで、発生率は10万km当たりわずか0.35件と「藍箭」とは10倍近くの開きがあった。

「藍箭」のトラブル件数があまりに多かったことから、徹底した原因追及や再発防止等に努めた結果、2003年以降の故障率は大きく減少。同年1〜3月の故障件数は10万km当たり0.15件にとどまったという。

とはいえ、不安を抱えての高速運行でさらなる大トラブルが起きるのを避けたかった鉄道部は2007年2月、広深線に「CRH1A型」電車6編成を割り当て、「藍箭」全車を一気に更新、実証実験を兼ねた運行を始めた。

CRH1Aは中国の高速列車ネットワークで広範に使われている、各国の技術をベースにライセンス生産した「CRH和諧号」各種のうち初期に導入された車両で、X2000の地元スウェーデンで走っているボンバルディア製「Regina(レジーナ)」の発展型だ。X2000、藍箭と続いてきた広深線の高速化の歴史を振り返ると、外国の技術を借りながらも10年をかけて安定した車両をようやく手にした道のりだったといえる。

高速化の礎を築いた路線は今

2007年以降、中国は全土で高速鉄道の建設を推進。広州をハブとした高速鉄道網は、旧広深線ではなく、ルートも駅も在来線とは全く異なる形で造られた。しかし、市内中心から外れていることもあり、依然として「昔のルート」の利用者もそれなりにいる。

X2000「新時速」はスウェーデンに戻り、現役の高速車両として使われているという。一方で広九直通車はコロナ禍の影響で運休したままだ。kttの2階建て車両は交換部品の欠乏からこのまま引退することになりそうなうえ、そもそも香港側の広九直通車の運行担当部門が解散されており、香港―広州間の鉄道リンクは、このまま2019年4月に全通した高速鉄道に置き換わる公算が高い。

過去25年余り、中国鉄道高速化の実験台として使われてきた広深線。今後は停車駅の多い急行タイプの列車が走るローカル線へとランクダウンする可能性も高い。とはいえ、中国の経済発展とともに多くの人々が行き交った線路の歴史は引き続き語り継がれることだろう。


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(さかい もとみ : 在英ジャーナリスト)