■主要路線で唯一グリーン車がなかった中央線にも

日本を代表する通勤路線であるJR中央線。首都圏有数の混雑路線であり、着席ニーズが高い中央快速線に2階建てグリーン車2両を連結し、2020年度からサービスを開始する計画が発表されたのは2015年2月のことだった。それから7年が経過したが、運行開始時期は二度延期され、サービスは実現していない。

普通列車のグリーン車は新幹線や特急とは異なり座席は指定されず、空いている席を利用する。グリーン料金は事前購入で平日780円(51km以上1000円)、土休日580円(同800円)、車内購入で平日1040円(同1260円)、土休日840円(同1060円)だ。

JR東日本は東海道線、横須賀線、総武線(内房線・外房線)、宇都宮線、高崎線、常磐線の6路線(とそれらを直通する湘南新宿ライン、上野東京ライン)、つまり都心から各方面に向かう放射線状にグリーン車を連結しており、最後に残る中央線にも導入しようということだ。

前述の通り当初は2020年度のサービス開始を予定していたが、2017年3月に「バリアフリー等の他施策との工程調整および、関係箇所との協議調整に想定以上の時間を要することが判明」したとして延期を発表。翌2018年4月、改めて2023年度末に開始予定と発表した。

しかし今年4月に公表された2022年度設備投資計画の中で「グリーン車両の新造計画が世界的な半導体不足の影響を受けており、2023年度末を予定していたサービス開始が少なくとも1年程度遅れる見込み」として再度の延期が決定したのである。

JR東日本プレスリリースより
図版1:中央快速線グリーン車イメージ - JR東日本プレスリリースより

■混雑率184%に「10両+2両」編成で対応

自動車では半導体不足による納期延長が問題になっているが、横浜市営地下鉄グリーンラインでも増結用車両の納期が遅れているという話があり、鉄道業界への影響も今後じわじわと広がっていくかもしれない。

中央線のグリーン車は他路線と何が異なるのだろうか。2004年にグリーン車のサービスを開始した宇都宮線・高崎線は10両編成のうち2両をグリーン車に置き換えたが、コロナ禍以前、混雑率184%という日本屈指の混雑路線だった中央線では、10両編成のE233系電車に2階建てグリーン車2両を増結して12両編成とすることで混雑の悪化を防ぐ。

またこれまでのグリーン車両のドアは幅81cmの片開きだったが、中央線では通常の電車のドアと同じ幅130cmの両開きドアを採用し、乗降時間を短縮。遅延を防ぐというわけだ。グリーン車は東京駅から大月駅まで、また立川駅から分岐して青梅線青梅駅まで運行する。

だが多くの駅は10両分の長さのホームしかないので、グリーン車を2両増結するにはホームを2両分延長する必要がある。10月15〜16日に青梅線河辺―日向和田間で列車の運休を伴う工事を行っているが、これも青梅駅のホームを延長し12両編成に対応させるためのものだった。

■主要5方面で唯一ゼロだった車内トイレも

もうひとつの大きな変化はトイレだ。JR東日本が「中央線は、主要5方面(東海道、横須賀・総武快速、高崎・宇都宮、常磐、中央)で唯一車内トイレが導入されていませんでした。車内トイレを設置することにより、中央線を利用されるお客さまへのサービス向上につながることから、普通車及びグリーン車に車内トイレを設置することとしました」と説明するように、グリーン車4号車に通常トイレ、普通車6号車に車椅子対応バリアフリートイレを設置する。

普通車にもトイレを設置することについて同社は「グリーン車を利用されるお客さまに限らず、車いす対応トイレを利用できるように、普通車のうち、グリーン車に隣接する予定の車両に車椅子対応トイレを設置することとしました」と説明する。

なるほど、確かにグリーン車だけにトイレを設置すると、トイレを利用するためにグリーン車に立ち入る旅客が出てくる問題や、グリーン車以外を利用する旅客から不満が出る恐れがある。多額の費用はかかるものの、事業者にとっても利用者にとっても悪い話ではない。

■グリーン車を入れるならトイレも増やさないといけない

だが、JR東日本が言及しないもうひとつの問題もありそうだ。2006年に制定されたバリアフリー法の基準を定める省令は、第32条第5項に「便所を設ける場合は、そのうち一列車ごとに一以上は、車椅子使用者の円滑な利用に適した構造のものでなければならない」としている。

しかしグリーン車のトイレは通路の脇にある小さなもので車椅子に対応していない。つまりトイレが付いたグリーン車を連結することで、車椅子に対応したバリアフリートイレを別に設置しなければならなくなるというわけだ。

前述の他5路線では10両編成の1号車と10号車の2カ所にトイレを設置している。4・5号車グリーン車は通り抜けできないため、サービス向上だけが目的であれば中央線でも1号車と10号車にトイレを設置する選択肢もあったはずだが、6号車だけの設置としたことに、別の理由があったことをうかがわせる。

混雑で有名な中央線利用者からすれば、追加料金で座れるグリーン車の設置は(たとえ日常的に使わないとしても)歓迎だろう。ところが計画発表から7年が経過する中で大きな環境の変化が生じてしまった。新型コロナである。

■通勤が減ったグリーン車はもうかるのか?

先に述べたようにコロナ以前の2019年、中央線(中野→新宿間)のピーク時間帯(7:40〜8:40)の平均混雑率は184%だった。それが2021年には大幅に減少し、120%となっているのである。混雑が緩和したことで着席需要は減るのではないか。

しかし結論から言えば大きな影響はないだろう。筆者も平日朝に大宮から宇都宮線・高崎線のグリーン車を利用することがあるが、ラッシュのピークを過ぎていても座席はほぼすべて埋まっていて、デッキに立って利用している人がいることもある。ちなみにグリーン車は着席しない場合でも同額の料金が必要だ。

両路線のコロナ前後の混雑率の変化を見てみると、高崎線(宮原→大宮間)は2019年の162%(6:57〜7:57)から2021年の114%(同)、宇都宮線(土呂→大宮間)は2019年の137%(6:56〜7:56)から2021年(7:02〜8:02)の89%と大幅に減少している。

実際には宇都宮線は今年3月のダイヤ改正で朝ラッシュピークの運転本数が3本減便されているので現在の混雑はもう少し高いはずだが、いずれにせよ追加料金を払ってでもグリーン車に乗りたいという人は少なくないようだ。コロナで他人との密着を避けるために着席需要が増加したという見方もある。

中央線には通勤特急も運行されており、早朝に上り「はちおうじ」2本、「おうめ」1本、夜に下り「はちおうじ」4本(1本は臨時)、「おうめ」2本(その他「かいじ」3本)が設定されている。

写真=iStock.com/Wachiwit
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wachiwit

■経営苦のJRにとっては喉から手が出るほど欲しい

特急といっても列車本数の多いラッシュ時間帯を走るため速度は遅く、東京―八王子間の所要時間は中央特快・通勤特快・通勤快速とほとんど変わらない。快速でも10〜15分しか変わらない。つまり「特別急行」とは名ばかりで着席できることを売りにした列車であり、特急でなくとも競争力が著しく損なわれるということはないだろう。むしろどの時間、どの駅からも利用できるようになるメリットのほうが大きい。

「はちおうじ」の定員は674人、「おうめ」は524人なので、18時台〜22時台の下り列車で提供されるのは計3744人。これに対して全列車にグリーン車を連結すれば、18時台〜24時台に94本の快速(通勤快速・中央特快含む)が設定されているので、1編成あたり180人で計1万6920人になる。

座席が埋まらない列車もあれば、立席での利用がある列車もあるだろうから、実際にどれくらい利用者がいるかは想定しづらい。だが仮に夜ラッシュ下り全列車の座席が埋まったとすると780円×1万6920人、1日あたり約1300万円、年間なら約26億円の増収になる。コロナ禍で経営が苦しいJRにとっては喉から手が出るほど欲しい収入だ。

■「日中は普通、朝晩は特急」の車両が増えた理由

ラッシュ時の混み合った車内を避け、追加料金を支払ってでも快適通勤をしたいという人はコロナ禍以前から増えていた。定期券で利用できる小田急ロマンスカーや国鉄・JRのホームライナーなど通勤向け座席指定列車は古くから存在したが、現在のブームの嚆矢(こうし)となったのは2008年にデビューした東武東上線の「TJライナー」だ。

それまでの座席指定列車は特急型車両を使用する例が多かったが、TJライナーは通勤用のロングシート(横向きの座席)と、ライナー用のクロスシート(前向きの座席)を切り替え可能な座席転換型車両を用いたことが革新だった。

座席指定車両に特急型車両が用いられるのは、日中を中心に運用される特急列車は朝・夜ラッシュ時間帯に車両が余るので、それを有効活用するためだ。すでにある車両を有効活用するのであればともかく、ライナー用に朝晩しか使わない特急型車両を新造するのはまったく割に合わない。

一方、座席転換が可能な兼用車両ならば、日中は普通列車、朝晩はライナーなどさまざまな用途で使用できるため無駄がない。また通常の通勤電車に座席転換機能を付与するだけなので、車両製造費も高額にはならず、元が取れるようになったのである。

■業界に「座席指定列車」ブームが訪れている

TJライナーの成功を受けて、西武鉄道は2017年に池袋線と地下鉄有楽町線を直通する「S-TRAIN」、2018年に西武新宿線・拝島線直通「拝島ライナー」の運行を開始。また同年、京王電鉄が京王本線と京王相模原線に「京王ライナー」を導入。2020年6月には東京メトロ日比谷線・東武伊勢崎線に「THライナー」が登場するなど、座席指定列車ブームが到来した。

だが今後、私鉄の座席指定列車に新しい潮流が来るかもしれない。全車両が指定席の専用列車を運行するのではなく、JRの普通列車グリーン車のように、通常の列車の一部車両を指定席とする考え方だ。

先んじたのは大阪と京都を結ぶ京阪電気鉄道だ。2017年から特急を中心に運用される8000系車両に座席指定特別車両「プレミアムカー」の連結を開始。2021年1月に3000系車両にも連結し、1日あたり計177本の列車でサービスを提供している。

2018年には東急電鉄が、大井町線の夜間下り急行列車の一部に座席指定車両「Qシート」を連結して運行を開始した。9月1日付東洋経済オンラインのインタビューで福田誠一社長は「利用率8割程度と好調で、夕方6〜7時台はほぼ100%に近く根強い需要がある」とのこと。東急は今後、東横線にも「Qシート」を導入する意向を示している。

■京急のウィング・シート、京王ライナー、阪急も…

東横線の運行形態について福田社長は「両端の駅で折り返しが可能で、停車時間を確保して出発待ちができるため、比較的導入しやすい」と語っていることから、渋谷駅始発の列車を設定するとみられる。朝は上り方面、夜は下り方面に設定するのか、それは特急になるのか、詳細はまだ明らかになっていない。

このほか、通勤用途ではないが、京急電鉄が2019年から土休日の一部快特列車2号車に座席指定車両「ウィング・シート」を設定していることも一例と言えるかもしれない。

今後、この流れは加速していきそうだ。京王電鉄は5月に公表した2022年度設備投資計画の中で、京王ライナーをさらに発展させる形で「一部座席指定列車の導入等による終日運行の検討を進める」と記している。

写真=iStock.com/tupungato
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tupungato

また阪急電鉄も10月12日、京都線で2024年に座席指定サービスを導入すると発表した。詳細は未公表だが、特急・通勤特急・準特急でサービスを開始する予定とあることから京阪と同様に種別限定で一部車両を指定席とする形になると思われる。

■運行本数減の代わりに付加価値アップの動き

コロナ禍で2〜3割減少した通勤利用者は収束後も元には戻りそうにない。朝ラッシュ時間帯は膨大な利用者を最大限効率よく運ぶために多数の列車を設定する。運行本数が多すぎると列車は数珠つなぎに走らざるをえず、前方の列車を追い越す快速列車・急行列車を多く設定することができない。設定されていたとしても日中よりも所要時間が長くなる。

需要が減少し、これに対応して運行本数が減少すれば輸送力の余力を別に振り向けることができるようになる。そこで座席指定列車(車両)の設定は貴重な増収策であるとともに、沿線価値向上にもつながる施策だ。

実際、東武東上線では2021年3月のダイヤ改正で準急列車2本を削減し、朝ラッシュ時間帯に上り「TJライナー」を2本増発している。このように列車本数を削減して生じた輸送力の余裕を座席指定列車の増発に充てるか、あるいは東急の「Qシート」のように1編成あたりの定員を減らす形で座席指定車両を設けるか、あるいは輸送力の余裕を優等列車の増発に充てた上で、京阪の「プレミアムカー」のように優等列車限定で座席指定車両を増結するという選択肢もあるだろう。

着席通勤というとお金に余裕がある人向けの贅沢なサービスというイメージがあるかもしれないが、毎日利用しないとしても、座って作業をしたい時、朝食をとりたい時、体調がすぐれない時など、誰にとっても選択肢が増えることは悪い話ではない。

今後ますます多様化が予想される通勤シーンにおいて、鉄道事業者がどのような選択肢を提示できるのか注目していきたい。

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枝久保 達也(えだくぼ・たつや)
鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家
1982年生まれ。東京メトロ勤務を経て2017年に独立。各種メディアでの執筆の他、江東区・江戸川区を走った幻の電車「城東電気軌道」の研究や、東京の都市交通史を中心としたブログ「Rail to Utopia」で活動中。鉄道史学会所属。
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(鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家 枝久保 達也)