アメリカの裏庭「中南米」で中国の存在感が増す訳
返り咲きの声が多く聞かれるブラジルの前大統領ルラ氏(写真:ロイター/アフロ)
10月2日に中南米最大国家であるブラジルの大統領選が迫る中、中南米諸国では左傾化の波が押し寄せている。
8月には長年にわたり親米とされてきたコロンビアで史上初めての左派の大統領が就任した。すでに、ブラジルを除く中南米主要国ではすべて左派が政権を握っている。
アメリカによる影響力が強いとされ、長らく「アメリカの裏庭」と呼ばれてきた中南米の主要地域は今、反米色に染まっているのだ。
地域最大国のブラジルでも左派が台頭
大統領選を控える、ブラジルでも左派が台頭している。10月の大統領選では左派のルラ氏の返り咲きを予想する声が強い。
勝利が目されるルラ氏は2003〜2011年の大統領在位中、低所得者層に現金をばらまく「ボルサ・ファミリア」政策や、手厚い労働者保護政策を取り続け、今も貧困層から絶大な人気を誇る。ルラ氏は在任中の汚職や不正で実刑判決を受けたが、後に最高裁で判決が取り消され、再出馬が可能になった。
ブラジル人ジャーナリストは「(現大統領である)ボルソナロ氏は無策で、今のブラジルはひどい状況だ」と話し、「市民のルラ再来への期待は非常に大きい」と分析する。
中南米諸国で、左派の存在感が高まる直接的な要因は、新型コロナウイルス蔓延による経済的な打撃と、ロシアによるウクライナ侵攻に起因するインフレだ。
だが、その根底にあるのはトランプ前政権期から今なお続くアメリカの「中南米軽視」と、それに乗じた中国の覇権拡大である。このまま中南米諸国で左派政権が続けば、中国が「アメリカの裏庭」を支配する日が来るかもしれない――。
中南米諸国では20世紀後半以降、周期的に右派と左派が政権を奪い合う歴史が繰り返されてきた(下記図表は、外部配信先ではすべて閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でご確認ください)。
中南米諸国の政権が、左右に激しく動いた大きな要因が、アメリカとの関係だ。
冷戦下でアメリカは中南米諸国の軍事政権や右派勢力を、資金面やアメリカ軍による訓練、アメリカ中央情報局(CIA)による裏工作、人的支援、といったさまざまな形で支援してきたが、右派政権が安定化すると、その支援を控えるようになった。アメリカの存在感が薄まる一方で、中南米諸国では軍事政権からの民政移管が相次いだ。すると貧困層の支持を背景に、今度は左派が台頭し政権を握るようになった。
ところが1980〜1990年代の各国左派政権下では、過剰なばらまきなどの影響で通貨・債務危機やインフレを招いた。アメリカが支援することで、ふたたび右派政権が躍進するが、汚職や格差拡大が際立ち、不安定な政権運営が続いた。
「ピンクの波」が押し寄せる
そんな中で中南米国家の1つであるベネズエラに現れたのが、反米左派のウゴ・チャベス氏である。ウゴ氏は1998年の大統領選で貧困層救済のための社会主義的施策を掲げ当選した。
世界最多の原油確認埋蔵量を誇るベネズエラの豊富な石油を、周辺諸国の左派政権に安価で提供したことで、2000年代には中南米諸国でドミノ倒しのように左派政権が生まれた。これは「赤」でイメージされる共産主義革命ではなく、民主的に選ばれた穏健的な左傾化だったことから「ピンクの波」と呼ばれた。
その一方で、アメリカは2001年9月11日の同時テロ以降、「テロとの戦い」に突入し、中南米への対応は置き去りになった。それがかえって左派の台頭を後押しした。この間、中南米各国はチャベス氏を中心に結束を強めたのだ。
チャベス氏ががんを患って2013年に死去すると、マドゥロ氏が後任の大統領に就任した。だが指導力を発揮することができず、強引な企業の国有化や施設老朽化の影響で、ベネズエラの石油生産は大きく低迷した。
資源価格下落も伴ってベネズエラは危機に陥り、中南米の左派諸国への石油の支援に手が回らなくなった。その結果、チリやアルゼンチン、ブラジル、ペルーなどで右派政権への揺り戻しがあったほか、ホンジュラスでは軍事クーデターによる政権交代も起きた。
そんな中で、大きな変化が起きたのが、2018年だ。その前年にアメリカでトランプ大統領が就任すると、1929年から中道右派政権が続き伝統的にアメリカとの結びつきが強かったメキシコで史上初めての左派政権が誕生した。
トランプ氏は北米自由貿易協定(NAFTA)の解体や、メキシコ国境の壁の建設を、声高に主張。これに反発したメキシコ国民は、トランプ氏に対等な対話を求めるなど、強硬姿勢を強めると宣言した左派のロペスオブラドール氏を大統領に選んだのだ。
翌年にはアルゼンチンでも、中道右派政権下での格差拡大や景気低迷を背景に、左派政権が返り咲いた。トランプ政権による中南米軽視も重なったことで、その波はほかの中南米諸国にも広がっていった。
中国は中南米の大きな貿易相手国
こうしてアメリカが中南米に目を背けている間に、中南米で存在感を高めているのが中国だ。
南米全域で言えば、中国はアメリカを上回る貿易相手国だ。さらに中南米全域での貿易総額は年4500億ドル(約63兆円)に上り、2035年には7000億ドル(約98兆円)を超えると予想されている。
アメリカの中南米分析機関インターアメリカンダイアログによると、中国は2005〜2019年に中南米諸国に合計1380億ドル(約19兆3200億円)以上の融資を実行しており、この額はアメリカの融資額を上回る。
うち半分近くを占めるのがベネズエラで、担保の多くはまだ掘削されていない原油だ。そのほか305億ドル(約4.3兆円)のブラジル、182億ドル(約2.5兆円)のエクアドル、170億ドル(約2.4兆円)のアルゼンチンと、資源・食料生産大国が上位に連なる。
また融資分野別で言えば、エネルギーが946億ドル(約13兆円)、インフラが261億ドル(約3兆円)を占めており、ここから中国の中南米に対する狙いは、将来の資源・食料確保にほかならないことがわかる。
また、台湾と外交関係を持つ世界14カ国のうち半数以上の8カ国が集まる中南米で、中国は外交関係の切り崩し工作にも邁進している。
経済支援などで圧力を強めたことで、2017年以降、パナマやドミニカ共和国、エルサルバドル、ニカラグアが台湾と断交して中国との国交樹立に転じた。台湾との関係を依然維持しているグアテマラ、ホンジュラス、パラグアイなどを取り込もうと、中国は新型コロナウイルスのワクチン提供を働きかける動きも強めた。
さらにアルゼンチン南部のパタゴニア地方には中国の宇宙関連施設がある。中国は、債務危機に陥った同国の左派クリスティナ・フェルナンデス政権と2009年に最大約1兆円の通貨交換協定を締結して接近し、2010年から建設地選定を進め、2018年から施設の稼働を始めた。
中国側は月や火星の探査活動のためと標榜しているが、中国人民解放軍で宇宙空間やサイバー攻撃を担当する「戦略支援部隊」所属とみられる中国衛星発射観測制御システム部(CLTC)がこの宇宙関連施設を運営しており、情報収集など軍事目的との疑惑は強まる一方だ。
またクリスティナ・フェルナンデス氏の後継で、同じく左派のフェルナンデス現大統領は今年2月、中国が提唱する巨大経済圏構想「一帯一路」参加の覚書にも署名している。
バイデン大統領は中南米との関係に苦戦
一方、今年11月に中間選挙を控え、民主党支持基盤であったヒスパニック系住民の支持を固めるのに懸命なアメリカのバイデン大統領はトランプ前政権下での「中南米ネグレクト」とも言える軽視策からの脱却に苦しんでいる。
今年6月にはアメリカのロサンゼルスで、アメリカやカナダ、中南米の首脳が集まる米州首脳会議を主催し、地域の盟主たる立場をアピールしようと狙ったが、専制主義的なキューバ、ベネズエラ、ニカラグアを排除したことが裏目に出た。
その結果、メキシコ、ホンジュラス、ボリビアなどの左派首脳らがボイコットし、実に3分の1の国が開会式を欠席。中国の影響拡大を阻もうと焦ったバイデン氏の誤算によって、逆に地域の盟主としての地位が揺らぐ事態が表面化したのだ。
共和党のトランプ前大統領やその支持層の保守派市民は、メキシコ国境を越えて押し寄せる中南米移民に対するバイデン政権の「弱腰」を激しく攻撃している。バイデン氏が中南米対応で期待したアメリカ史上女性初のカマラ・ハリス副大統領も目立った成果を挙げられていない。
その一方で、中南米の首脳は歴史的に、強いリーダーであることが望まれる傾向が強く、その矛先は北の超大国であるアメリカに向きがちだ。
特に、左派首脳は不況やコロナなどによる内政の危機が大きければ大きいほど、アメリカへの強硬姿勢を示すことで国民の不満から目をそらさせる傾向が強い。バイデン氏が米州首脳会議で中南米の結束を揺るがす姿勢を見せたことを左派首脳は見逃さず、恰好の攻撃材料となったわけだ。
資源・食料価格高騰など財政状況は厳しい
ピンクの波が押し寄せ、資源国有化により貧困層へのバラマキができた20年前とは違って、世界的な資源・食料価格の高騰に伴って各国の財政状況は厳しい。財政健全化を優先するならば、左派政権各国も反米色を弱めてアメリカとも中国ともバランスを取って協調する姿勢を取るだろう。
ただ、中国が財政やワクチン支援にとどまらず、ありとあらゆる手で浸透を図り続けるのは間違いなく、アメリカへの強硬姿勢を固持しながら、中国と手を握る国が増え続けても不思議はない。中南米は今後も左に振れ続けるのか。それは、アメリカの態度次第だろう。
(東村 至恩 : ジャーナリスト)