「特急の近鉄」の象徴? 歴代最大勢力12200系 50年経てもなお生きる元「新スナックカー」
数ある「近鉄特急」のなかでも主力だったのが12200系です。「新スナックカー」としてデビューし、特急車両としては52年目にして引退したものの、改造車両は今なお現役。なぜここまで重宝されたのでしょうか。
12200系「新スナックカー」はどんな電車?
数ある近鉄特急のなかで、長年にわたり主力として走っていたのが12200系電車です。1969(昭和44)年に特急車両として登場し、2021年に引退したものの、改造車両はいまだ現役。実は歴代特急のなかで、最も多く造られた車両でした。
12200系は「新スナックカー」と呼ばれているように、過去に存在した「スナックカー」こと12000系電車の改良形として登場しました。「200」と細かく数字を刻んでいるのも、改良形の証です。
近鉄12200系電車の前面。1回目のリニューアルでこのスタイルに改められた(柴田東吾撮影)。
「スナックカー」こと12000系は1967(昭和42)年に登場し、当初は「スナックコーナー」というカウンターを備えて軽食などの提供を行っていました。また、座席にはリクライニングシートを備え、シートピッチ(座席の前後間隔)を980mmとして広く取ったことで、客室のレベルアップを図った点も特徴です。名阪特急の最新形として2020年3月から運転されている「ひのとり」では、座席の良さをアピールしていますが、「スナックカー」も座席の良さを前面に押した車両だったのです。
「新スナックカー」こと12200系は、スナックコーナーを拡大して食事を取るスペースを設けたほか、当時では珍しく、トイレは和式に加えて洋式も備えていました。今で言えば、「インバウンド」(訪日観光客)を意識した設備だったのかもしれません。
走行機器では、制御方式に抵抗制御を採用しているほか、青山峠(大阪線)を擁する急勾配での走行に対応して、主電動機(モーター)の出力は180kWと大きくしています。台車には空気ばねを使用していますが、特に12200系ではモーターのない車両に、効きの強いディスクブレーキを採用したことが特徴です。12200系で採用している機器は、後継の特急車両でも引き続き採用されました。
特急列車の拡大で大量生産
12200系は1976(昭和51)年までの6年間で168両が製造されました。これは歴代最多であり、現行の汎用特急「ACE」こと22000系電車の86両、「ひのとり」に使われる80000系電車や「アーバンライナーplus」こと21000系電車の72両と比べても突出しています。
新型特急「ひのとり」80000系電車(2020年6月、恵 知仁撮影)。
近鉄では、一般の車両も含めてひとつの形式が100両以上も造られることは非常に珍しいことです。では、なぜ12200系は大量に製造されたのでしょうか。
12200系が製造された頃の近鉄では、路線の拡張や特急の増発が盛んに行われていました。1970(昭和45)年には鳥羽線が開業し、志摩線の改良が完了したことで、大阪や名古屋から鳥羽や賢島に直通する特急の運行が開始されました。また、大阪方では難波線が開業し、大阪難波(当時は近鉄難波)まで特急が乗り入れを開始しています。
1973(昭和48)年には大阪〜奈良間の特急が新設されたほか、1975(昭和50)年には新青山トンネルが開通して大阪線の複線化が完了し、鳥羽線でも複線化が行われました。
こうした特急の運行区間の拡大に加え、特急の増発も都度行われたので、特急車両が大量に必要となり、12200系が量産されたのです。
ちなみに、かつての近鉄では大阪〜京都間の特急が運転されていました。この特急は、1973年から近鉄難波(当時)〜大和西大寺〜京都間のルートで運転され、大和西大寺で列車の進行方向を変えていました。近鉄難波(当時)〜京都間の所要時間は1時間で、京都から難波へ直接移動するには手頃な列車だったのかもしれません。この特急は1992(平成4)年に廃止されていますが、2022年から観光特急「あおによし」がこのルートを走るようになりました。
「スナックカー」から「スナック“なし”カー」に
12200系は製造時期によって細かな違いがありますが、12221編成からは「スナックコーナー」を廃止して客室にしています。当初は2両編成で登場したものの、各編成で1か所ずつ「スナックコーナー」を備えているのは非効率で、それよりも旺盛な重要に対応すべく客室としたのです。1971(昭和46)年からは、中間車を加えた4両編成も登場しましたが、中間車では「スナックコーナー」に代わって車内販売の準備室を備えていました。
12200系の側面の行先表示器。「ゆき」と書かれた行先に特徴があった(柴田東吾撮影)。
なお、6両となった編成もありましたが、現在は2両編成と4両編成に組み直しています。12200系では2両編成単位で柔軟に編成の変更ができるので、登場から現在に至るまで、編成の変更が都度行われているのです。
1977(昭和52)年からは、「スナックコーナー」付きの車両でもその撤去が始まりました。最初に「スナックコーナー」を撤去したのは12218〜12220編成の3本で、これらでは「スナックコーナー」跡をそのまま客室としていました。その結果、客室の間に出入口のドアが付く珍しい姿となりましたが、のちにドアを移設したため、12221編成のように当初から「スナックコーナー」のない車両と同じ外観になっています。
残る「スナックコーナー」付きの車両も、1981(昭和56)年から1983(昭和58)年にかけて、すべて撤去されています。このタイミングで「スナックコーナー」を撤去した車両では、「スナックコーナー」の跡に車内販売の準備室を備えたほか、残るスペースは客室としています。この関連でドアを移設することになり、改造は大がかりなものでした。
2回行われたリニューアル ただし2両編成を除く
近鉄の車両はリニューアルを都度実施していますが、12200系では2回行われました。1回目は1985(昭和60)年から1996(平成8)年にかけて行われ、早期に廃車された2両を除く166両に実施。このリニューアルでは前面に大きく手が加えられ、貫通扉に行先表示器が設置されました。それまでは左右に付く標識灯の上に行先が表示され、貫通扉には「特急」のマークがありました。
また、同時期に車体色も少し変えています。近鉄特急と言えば、オレンジと紺のツートンカラーが有名でしたが、紺の色合いを少し変えているのです。引退直前の2020年には12251編成に昔の塗装を復刻していますが、その違いは並べてみると分かります。
近鉄12200系の編成表(柴田東吾作成)。
さらに内装も一新していますが、その途上でデザインを変えています。リニューアルを始めた当初は、「サニーカー」こと12400系電車などに準じたオレンジ色の座席に白い壁面としていましたが、1990(平成2)年以降にリニューアルされた車両では、出入口のドアと客室との間に壁を設けて分離したほか、1991(平成3)年以降では、21000系「アーバンライナー」に似た客室に改装されています。
2回目のリニューアルは、1998(平成10)年から2008(平成20)年かけて行われました。内装はそのままにトイレや座席を一新しています。施工内容は時期や編成によって異なりますが、施工時期の遅い編成では座席の交換を行っています。
しかし2回目のリニューアルを行った頃、近鉄特急では運行の縮小も進められていました。4両編成では2回目のリニューアルが進みましたが、この際に中間車を廃車して2両編成に短縮した編成が出たほか、6両編成が消滅して4両編成に短縮されています。一方で、2両編成は2回目のリニューアルを行わずに2000(平成12)年から本格的な廃車が進められたため、先述した4両→2両の短縮編成が残された格好です。
このように近代化を図りながらも、短編成ゆえに柔軟な運用ができたことから、12200系は実に2021年まで現役を貫きました。また一部編成は、団体専用車の「おおぞらII」「かぎろひ」、そして先述した観光特急「あをによし」に改造され、いまだ現役です。